『止められるか、俺たちを』(白石和彌監督) | 新・法水堂

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『止められるか、俺たちを』



2018年日本映画 119分
監督:白石和彌
脚本:井上淳一 音楽:曽我部恵一
製作:尾崎宗子
プロデューサー:大日方教史、大友麻子
アソシエイトプロデューサー:辻智彦
撮影:辻智彦 照明:大久保礼司
美術:津留啓亮 衣裳:宮本まさ江
ヘアメイク:泉宏幸 編集:加藤ひとみ
録音:浦田和治 音響効果:柴崎憲治
キャスティング:小林良二
助監督:井上亮太 制作担当:小川勝美
タイトル:赤松陽構造

出演:
門脇麦(吉積めぐみ)
井浦新(若松孝二)
山本浩司(足立正生)
岡部尚(沖島勲)
大西信満(大和屋竺)
タモト清嵐(秋山道男(オバケ))

毎熊克哉(小水一男(ガイラ))

伊島空(高間賢治)
外山将平(福間健二)

藤原季節(荒井晴彦)

上川周作(斎藤博)
中澤梓佐(篠原美枝子)

奥田瑛二(ATG製作・葛井欣士郎)

寺島しのぶ(バーまえだのママ・前田孝子)

高岡蒼佑(大島渚)

高良健吾(吉澤健)

音尾琢真(赤塚不二夫)
白石和彌(三島由紀夫)
万里紗(重信房子)
西本竜樹(撮影技師・伊東英男)、柴田鷹雄(照明技師・磯貝一)、市川洋平(三枝博之)、ささの翔太(和光晴生)、渋川清彦(松田政男)、安竜うらら(遠山美枝子)、松浦祐也(田村孟)、岡本智礼(佐々木守)、ウダタカキ(佐藤慶)、岩谷健司(渡辺文雄)、満島真之介(ミキサー助手・福ちゃん)、廣末哲万(新聞記者)、奥野瑛太(ナンパ男)、地曵豪(雑誌記者)、寺本一樹(同)、江藤修平(同)、細川岳(警察官)、井端珠里(横山リエ)、麻美(芦川絵里)、吉田真理(小桜ミミ)、石丸奈菜美(花村亜流芽)、和田光沙(『女学生ゲリラ』の時子)、和女(『女学生ゲリラ』の絹代)、櫻井拓也(『女学生ゲリラ』の誠一)、安部智凛(『女学生ゲリラ』の女教師)、小川勝美(『女学生ゲリラ』の男教師)、井上亮太(『女学生ゲリラ』の男子学生)、板垣雄大(『噴出祈願』のビル)、三宅里沙(木村牧子)、枝元深佳(佐々木天)、加藤絵莉(武藤洋子)、川並淳一(アジ演説の男)、両角周(左翼活動家)、中山求一郎(同)、サトウヒロキ(同)、松井大樹(同)、岡崎育之介(同)、稲川悟史(同)、コガケースケ(同)、大野正人(同)、福士織絵(同)、堀越希美恵(同)、チョードリー・イクラム(パレスチナゲリラ)、辻智彦(同)、大日方教史(同)、アンヌ・ソフィー・ロワイエ(カンヌ国際映画祭執行委員)、マキリミリアン・コンスタンティン・クスケ(同)、山口彰識(カンヌ国際映画祭通訳)、松山裕太(焼き鳥屋店員)、宮崎二健(ジャズ喫茶マスター)、吉澤健(カプリコンのマスター)、篠原勝之(KUMAさん)、外波山文明(バーまえだの客)、川上泳(レコード店店長)、早川節子(ユニコンのママ)、足立正生(ユニコンの客)、木村牧子(同)、小林三四郎(蠍座の客)、増田恵美(同)

STORY
1969年春。21歳の吉積めぐみは、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われ、“若松プロダクション”の扉を叩く。当時、若者たちを熱狂させるピンク映画を作り出していた若松プロダクションは、監督の若松孝二を中心とした新進気鋭の異才たちの巣窟であった。小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生、冗談ばかり言いながらも全てをそつなくこなす助監督のガイラ、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲、カメラマン志望の高間賢治、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦など映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトする。そして撮影がはじまれば、助監督は現場で走り、怒鳴られ、時には役者もやる。そんななか、めぐみは若松孝二という存在、なによりも映画作りそのものに魅了されていくのだった。だがある日、めぐみに助監督の全てを教えてくれたオバケが、エネルギーの貯金を使い果たしたと若松プロを去っていく。めぐみ自身も何を表現したいのか、何者になりたいのか、何も見つけられない自分への焦りと、全てから取り残されてしまうような言いようのない不安に駆られていく。1971年5月。カンヌ国際映画祭に招待された若松と足立は、そのままレバノンへ渡ると日本赤軍の重信房子らに合流し、撮影を敢行。帰国後、映画『赤軍―P.F.L.P世界戦争宣言』の上映運動の為、若松プロには政治活動に熱心な多くの若者たちが出入りするようになる。いままでの雰囲気とは違う、入り込めない空気を感じるめぐみ。ひとり映画館で若松孝二の映画を観ていためぐみは、知らぬ間に頬を伝う涙に戸惑いを隠せないでいた……【「KINENOTE」より】

若松孝二監督が1965年に設立した若松プロに所属し、助監督などを務めた吉積めぐみさんの実話を基に若松プロ出身の白石和彌監督が映画化。

最初に個人的なことを書いておくと、私は名古屋で映画を観るようになり、若松監督がオーナーを務めていた映画館シネマスコーレにも足を運ぶようになり、監督ご本人にも何度かお目にかかったことがある(若松監督役の井浦新さんにも)。当然のことながら、まだ生まれていないこの時代のことはほとんど知らないことばかりだったが、最期まで失われなかった映画作りへの情熱が伝わってくる作品となっていた。


本作においては、映画内映画はモノクロ、その他のパートはカラーとなっているが、冒頭、吉積とオバケが待ち合わせをしていた店から出て新宿の街を歩くオープニングもモノクロになっている。これは、ここから吉積めぐみという1本の映画が始まったことを意味しているのであろう。また、映し出される風景が現在の新宿というのも、これが昔を懐かしむ類の映画ではなく、「今」の映画なのだと宣言しているかのようだ。


めぐみは事務所で初めて出会った若松監督に助監督として3年いたら監督にしてやると言われるが、結局、3年経つ前に亡くなってしまう。1本、ホテルで流すための30分の作品の監督を任されるが、浦島太郎に材を取ったその作品はまったく評価されず、めぐみが若松プロに入って2年だと聞いた若松監督は、「2年か。なら仕方ないな」と去ってしまう。
あと1年、彼女が生きながらえることができたなら、果たして監督になれていたのだろうか。なれたとしてどんな作品を作っていたのだろうか。そんな考えても仕方のないことばかり脳裏に浮かんでしまった。
もう一つ、若松監督がご存命だったら、現在のパレスチナ情勢に対してどんな行動を取っていただろうかということも。

それにしても門脇麦さんがよくぞこの役を引き受けてくれたものだと思う。監督にはなりたい、だけどどんな映画を撮りたいかは分からないというめぐみの葛藤と戸惑いを繊細に表現していた。