没後90年記念 岸田劉生展 | 新・法水堂

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没後90年記念 岸田劉生展

Kishida Riusei: A Retrospective
 
 
【名古屋展】
2020年1月8日(水)~3月1日(日)
名古屋市美術館
 
《麗子微笑》で知られる岸田劉生(1891-1929)の没後90年を記念した展覧会。
10代半ばから38歳で短い生涯を終えるまでを全6章で構成し、150点余りを展示。
 
第一章「第二の誕生」1907-1913
劉生の学習時代。水彩による風景画やゴッホら後期印象派に影響を受けた「外光主義」と呼ばれる手法で描いた作品など。
 
第二章「近代的傾向…離れ」から「クラシックの感化」まで 1913-1915
友人たちをモデルにした肖像画や自画像がメイン。
訪れる人を片っぱしからモデルにしていたので、「劉生の首狩り」と呼ばれていたとか。
2012年、51年ぶりに発見されて話題となった《黒き土の上に立てる女》など妻・蓁(しげる)をモデルにした作品も。
 
第三章「実在の神秘」を超えて 1915-1918
木村荘八らと草土社を結成。北方ルネサンスに感化された画風。
開地中だった転居先の代々木の風景を描いた作品の他、結核と診断されてから(後に誤診と判明)取り組んだ静物画など。代表作《壺の上に林檎が載って在る》も。
 
第四章「東洋の美」への目覚め 1919-1921
娘・麗子が主要な題材に。
重要文化財《麗子微笑》の他、数多くの麗子像を展示。
 
第五章「卑近の美」と「写実の欠如」を巡って 1922-1926
関東大震災により京都に移住。
日本の美術文化への関心が高まり、「卑近の美」を麗子像にも反映していくように。
本格的に日本画の制作に取り組むようになったのもこの頃。
 
第六章「新しい余の道」へ 1926-1929
『棋道』の表紙として使われた南画風の作品や満州旅行に出かけて手がけた風景画など。
帰国直後に山口県にて急逝。
 
 
若松英輔さんのツイートで名古屋展が開催中ということを知り、本年の美術館始めへ。

 

岸田劉生さんの作品をこれだけまとめて見たのはもちろん初めてなのだけど、特に初期の作品はもろに印象派の影響を受けていて笑ってしまうほど。それがだんだんと自分の画風を獲得していって、麗子像に至る様がよく分かる展覧会となっていた。個人的には肖像画にタイトルや日付が英語でレタリングされているのが好き。
《麗子微笑》の他、多くの麗子像が展示されていたけど、どれを見てもやっぱり不気味だな……。笑
 
それにしても日曜日というのに場内はさほど、というか全然混んでいない状況。
《麗子微笑》は2月16日までの期間限定ですぞ、皆の衆(誰だ)。