二兎社『私たちは何も知らない』 | 新・法水堂

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演劇と映画の日々。ネタバレご容赦。

二兎社 公演43
『私たちは何も知らない』
 
 
【東京公演】
2019年11月29日(金)~12月22日(日)
東京芸術劇場シアターウエスト
 

作・演出:永井愛
美術:大田創  照明:中川隆一  音響:市来邦比古

衣裳:竹原典子  ヘアメイク:清水美穂
音楽:熊谷太輔/AZUMA HITOMI
演出助手:白坂恵都子  舞台監督:増田裕幸
 
出演:
朝倉あき(平塚明(らいてう))
藤野涼子(伊藤野枝)
大西礼芳(岩野清)
夏子(尾竹紅吉)
富山えり子(保持研)
須藤蓮(奥村博)
枝元萌(山田わか)
 
STORY
明治45(1912)年、平塚らいてうこと平塚明(はる)から「青鞜」1周年記念号の表紙を依頼された尾竹紅吉は青鞜社を訪ねる。発起人の一人・保持研(よし)は冷たくあしらおうとするが、らいてうは絵を気に入り、紅吉は編集に関わるようになる。姦通を扱った小説のために「青鞜」が発禁処分となり、編集部は寺への移転を余儀なくされる。らいてうや紅吉は批判をものともせず、吉原に繰り出して更に世間を騒がせる。そんな折、茅ヶ崎でらいてうは画家志望の青年・奥村博に出会う。らいてうと同性愛的関係にあった紅吉は嫉妬の炎を燃やす。青鞜社には九州から伊藤野枝、大阪からは岩野泡明の妻・清がやってきて「青鞜」の売り上げは上昇、社員も100人を超えるが、紅吉は退社に追い込まれ、らいてうからは絶交状を送られる。その後、らいてうは初めての著書『円窓から』が発禁となるも、奥村と一軒家を借りて同居を始め、子供をもうける。大正3(1914)年、精神的に不安定になっていた保持が青鞜社を去り、入れ替わるように山田わかが編集にくわわる。日本がドイツに宣戦布告してヨーロッパでの戦争に参加していく中、「青鞜」は3周年を迎えるが、らいてうは奥村の療養も兼ねて御宿海岸に出向き、野枝に編集を任せる。その後、完全に編集権を譲られた野枝は無規則、無方針とし、貞操問題、堕胎問題など議論を活発なものにしていく。
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 平塚らいてうらが創刊した誌「青踏」編集に関わった女性たちを描く。

平塚らいてうと言えば「元始、女性は太陽であった」の言葉で知られるが、そのフレーズを基にしたラップとともに開幕。
服装も現代的で、尾竹紅吉(本人は「べによし」と読ませたかったが、「こうきち」が定着)にいたってはジーパンにスタジャン、キャップといったいでたち。
こういった演出自体は珍しくはないものの、さほど効果的とも感じられなかった。いっそのこと登場人物たちにラップをやらせるぐらいじゃないと(それだと青年団『日本文学盛衰史』の二番煎じになっちゃうか)。

こうした史実に基づいた作品の場合、どうしてもエピソードの羅列になってしまう。
本作でも100年前にこういった従来の結婚観や女性観に真っ向から反抗するような女性たちがいたのに、なぜいまだに男女別姓も認められなければ同姓婚もパートナーシップ制度どまりなのかという感想は持つものの、らいてうたちがなぜこういった活動に身を投じたのか本質的なところが描ききれていなかったように思う。
伊藤野枝については前から気になってた『村に火をつけ、白痴になれ』でも読もうかな。

キャストでは夏子さんがとてもよかった。らいてうへの思いを吐露するシーンでは、すっと自然に涙が流れ、その涙の流し方にちょっと感動すらしてしまった。
サインをもらうとき(ちなみに本作の姉妹作と言ってもいい『見よ、飛行機の高く飛べるを』を購入)、永井愛さんも「これから伸びる人」とおっしゃっていた。

次いでよかったのが富山えり子さん。
最後は物忘れが激しくなり、情緒不安定になってしまうけど、この人がいなければ「青踏」はなかったとらいてうに言わしめる保持研の矜持が感じられた。
朝倉あきさんは立ち姿は綺麗だし、演技自体も悪くはないけど、台詞を自分のものにしきれていないという印象も受けた(およそ朝倉あきさんが言わなさそうなことばかり言うからね。笑)。
これが初舞台の藤野涼子さんは調子が悪かったのかちょいちょい噛んでいたのが惜しまれる。
『いだてん』では国旗担当の吹浦として最終回でも活躍していた須藤蓮さんは、よくよく聞くと変わった声ね。笑
 
上演時間約2時間41分(一幕1時間10分、休憩16分、二幕1時間15分)。