「どうなる? 日本社会と外国人 多文化共生を考える」 | 新・法水堂

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「どうなる? 日本社会と外国人 多文化共生を考える」

 

 

『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)、『イスラムが効く!』(ミシマ社)W刊行記念イベントとして、集英社アネックスビルにて内藤正典さん(同志社大学大学院教授)とイヤス・サリムさん(同志社大学助教)の公開対談へ。

 

一昨日、イスラエル人作家のエトガル・ケレットさんの話を聞いたばかりだけど、本日はパレスチナ・ガザ地区出身のイヤス・サリムさんの話を聞くことに。

会場には『イスラムが効く!』の共著者・中田考さんもいらっしゃっていて、内藤さんが時折、「この言葉はどう日本語に訳したらいいんでしょうかねぇ」などと振ることも。

 

いつ戦争が起きるか分からない状況で、それでも日常生活を送っているガザ地区の人々。日本でも台風19号が甚大なる被害をもたらしたばかりだけど、自然災害や戦争などで愛する人や財産を失ったとき、ムスリムの人たちはどのようにその悲しみと向き合うのか。

まずそう尋ねられたイヤス・サリムさんはパレスチナはいわば"political typhoon"(政治的な台風)に襲われ続けているとギャグ。こういうユーモアを忘れないところはエトガル・ケレットさんにも通じるところ。

 

やはりムスリムの人にとって大事なのは神(アラー)との結びつき。死後、天国に行くことを信じているムスリム(内藤先生いわく、自分が地獄に行くと思っているムスリムに会ったことがないとのこと)は日々、いかにして神のもとへ近づけるかを考え、善い行いを心掛ける。震災時においても助け合いをするのもそうした考えから。

ひとつ感銘を受けたのは、ガザ地区にはホームレスがいないという点。理由は戦災で家を失った人がいれば、誰かが救いの手を差し伸べるから。住民票がないからとホームレスに避難所を利用させなかったどこぞの自称・先進国の役所は恥を知った方がいい。

 

日本でもムスリムの人を街で見かけることが多くなっているが、彼らは労働者である前に一人の人間であり、尊厳(diginity)があるということを忘れてはならない。一人ひとりの背後には、故郷に残してきた家族やその人を頼りにしている人たちがいる。これは内藤先生も著書で強調されていたことだけど、イヤス・サリムさんも同じことを仰っていた。

そのためにもまず、家族帯同を認めない「特定技能」などという人権を無視した制度は見直すべきであろう(留学生は家族帯同が認められているのに)。