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きっしーのブログ

自己紹介系ブログ

 気がついたら、自分の大学時代からは30年程度の時間が経過していたようだ。

 最近では、学生数の減少により、誰でも大学には入れる状況なのかなと思っていたところ、実際には、親の経済事情により必ずしもそうではないようだ。親の経済事情により、そもそも大学にいけるというだけで違うようだ。わかる気がする。自分も給料が上がるとは限らないし、派遣とか非正規雇用の増加で、経済的にやばいことになっている世帯がある。コロナ禍でも、影響を受けないような職業の人もいるだろうし、直撃している職業、たとえば外食産業や旅行関連なども、あるわけだ。

 80〜90年代なら、大学をめざす人が多かった。中には二浪も三浪もする人もいて、三浪までする人は少数派だったけど、現役と一浪はほぼ同じ扱いで、自分は一浪だったが、一年の誤差では特に差異は感じられなかったように思う。親からの養育費が一年余分にかかるぐらい。

 社会人になってから、大学卒で得をしたと思ったことはない。高卒や専門学校卒で、大卒と待遇がかわらなかったのなら、むしろ損得でいうと、その人の方が得をしたというべきではないのかな。むしろ自分は損し続けてきたといえる。

 損得だけでいうなら、大学なんて行かない方が得な気がする。お金もかからないし、待遇が変わらないのなら。たとえば、国会議員になったとしても、最終学歴については、その人の収入には全く関係しない。

 したがって、お金儲けが第一義であるというという人は、是非大学には行かないことお勧めしますよ。学問をすることと、お金を儲けることとは関係がないように思う。是非大学に行って欲しいと思う人は、答えを求めている人。それでも高等教育は、最終的には、大学へ行くことを前提にして、教育を行っているので、高等教育までの意味や理由は、大学での教育にある。ラスボスというか最終フェイズにたどり着きたいと思う人は、結局はどのような結果に辿り着こうとも、大学までいくことを薦める。お金の有無はここでは関係がない。自分がやりたいことをするべきである。

 ただちに台湾有事になるとは限らないが、香港に国家安全法を制定した中国の習国家主席は将来的には台湾、さらにその次には沖縄もしくは沖縄の一部としての尖閣諸島にも領有権を広げてくる。そういう路線で進んでいる。

 台湾は中国の内政問題であるという主張に耳を貸すと、尖閣諸島の領有も中国の内政問題ということになりかねない。チベットや内モンゴルや、ウイグルなどの人権状況をみると、台湾は実質的に別の国であるので、その独立は守られるべきではないか、と思う。台湾出身で日本で芸能人や有名人もいる。

 日中関係を友好的に進めることと、台湾有事で台湾の側につくこととは矛盾しない。日露戦争が起きたとき、ロシアは皇帝ニコライ2世の頃だったが、来日したこともある知日家だった。経済の面で民間交流は冷え込ませるわけにはいかない。

 清朝の頃は、小学校の社会科では、清朝は眠れる獅子といわれていたが、日本は清朝に勝ったと当時の先生は説明していた。清朝のあとに辛亥革命が起きて中華民国が成立した。革命を主導した孫文は来日したこともある。中華民国は中国の国民党政権で、日本が日中戦争で戦った中国の本体でもある。中国の共産党は国共内戦や国共合作を経て、戦後に国民党に武力で勝利し、国民党政権は台湾に逃れた。蒋介石の像は、今でも台北で兵士に守られている。

 台湾は、1949年以前から住んでいる人と、それ以降にきた人と、原住民とがいるというが、国民党政権と一緒にきた人はそれ以前からいる人と居住地域や文化が異なっている。

 日清戦争の結果、下関条約で台湾は清朝から日本に割譲されて、その後第二次世界大戦後のサンフランシスコ条約で日本は台湾及び澎湖諸島を放棄することになった。台湾に逃れた国民党政権は、そこで別の国を作っていて、大陸に復帰する構想はあったようだが、現状ではそこまでに至る可能性は限りなくないようだが、経済面で、技術的、文化的には凌駕する可能性もないわけではない。つまり国民党政権が台湾に存続したとしても、中国共産党に脅威を与えるものではなく、多くはもとからの本省人なのだから、結果的には侵略ということになる。

 清朝を打倒した辛亥革命を祝いながら、清朝の支配地域の復興を目指すのはおかしいだろう。

 香港との違いは、香港の場合は、天安門事件で中国当局を批判する勢力が、香港の民主化を主張したり分離独立を主張したり、言論の自由をいいことに中国の北京の政権を弱める動きをしていたことがあったようである。香港が自由経済で、言論の自由があるのはいいことだが、反政府主義者が香港で活動していたから、彼らのいう国家の安全を維持するという方針自体は、まあそういう動きになるだろうな、という面はあった。

 しかし香港の一国二制度は守られなかったのだから、台湾に一国二制度などといったとしても信用するに足りない。香港を救えなかったのは残念だったが、台湾の自由と独立を守る戦いには参戦したい。

 よく古代ローマ時代の奴隷が現代のサラリーマンであると言われることがある。

 奴隷とサラリーマンの違いは、そうであることに本人の意思が介在するかしないかが違う。でも待遇そのものは大きくは変わらない気がする。

 現在の日本の憲法では奴隷制はないことになっているから、仮に奴隷制のような状態であったとしても、法律上は奴隷は存在しない。

 戦争捕虜のような人が奴隷として売られると、人でもあり物でもあるような立場の労働力となる。値段は高いから、主人にとっては貴重な財産になる。衣食住は主人が提供するし、主人の名前を名乗ることになる。今のサラリーマンは、衣食住は保証されないが給料という定額を支給することで勝手に生活している。電話や自己紹介で名乗る時は会社名を名乗るし、名刺には会社の名前が併記されている。会社には経営者という個人がいて、従業員を雇用して給料を払っている。

 違うのは、奴隷になろうとして奴隷になる人は通常はいないこと。また、奴隷でいることは、不名誉なことであること。しかし奴隷には、解放される場合がある。奴隷解放をされることで、市民権を得られる。市民権を得られると、もはや他人の財産ではなく、自分で財産を持つこともできる(古代ローマの場合は、外国人労働者だった人が、ローマ市民になって行くプロセスともとれる)。

 企業の従業員は、どこかのタイミングで、自らそういう生き方を選んでいるから、本人の意思が介在しており、誰かに奴隷にされるのとは意味が違う。しかし奴隷が、烙印を押されたり、鎖に繋がれたり、鞭打たれたりするのと同様に、大企業でも中小企業でも、現代でもそれに近いように思う。転職といって、別の企業へ行っても同じことになるだけだ。上司に呼ばれるだけで、怒られるんだと思って身構えるような人になりやすい。

 もっとも日本には、古代の奴婢のようなものは、日本史的には解体されており、各階層ごとに身分制があった、というのが最近の解釈のようだ。つまり豪農は、雇われ人を大勢抱えているし、商家でも同様だったろう。個人事業主だからえらいというわけではなく、支配者層の武家は、誰かに仕えている。藩なら藩に仕えていたし、新撰組でも白虎隊でも海援隊でも、隊士になりたいと志願してなる場合もあったろうし、家柄または本人の意思で自らそうなる。自分は、会社に入るとは、そのようなことと考えていた。

 

 しかし会社員をしていると、そこで働いている従業員は奴隷な感じな人が多数にのぼるように感じられる。それが不快であり、違和感があって、人間には違いないんだけど、人間というよりは、仕事をするための「物」としての面が強いような感じがして、それはそれで優秀なんだろうけど、そうすると、理想はともかく、実体験としては「サラリーマンは奴隷である」という結論にならざるを得ない。つまり古代ローマ時代の奴隷制が、中世の農奴制となり、その後の民主政治となって行くが、元は生産手段である農地の付属物、従属物だったものが、産業革命を経て、様々な労働に従事するようになった。

 資本主義制度は、西欧社会からアメリカを経て移入されたようなものだが、アメリカでは労働に自由意志を認める方向だけども、日本で実際のところ、自由意志で働いている、という状態にある人は少ないのではないかな。辞められないだけではないか。