きっしーのブログ

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集まった公的年金は所管の厚生労働省が、独立行政法人により運用している。

小泉の、もらうけど払わない政策が、どういう面から出ているかだけど、受給年齢を80歳からにすると、80歳になっているといつ死んでもおかしくないし、80歳まで生きられない人もいる。多くの人は10年以内には亡くなるだろう。つまり、国は年金を払わなくてよくなる。

年金は払うために集めているので、払わないということは、手元に年金の金が残ることになる。

ここで父の純一郎氏の郵政民営化政策が思い出される。純一郎さんは厚生大臣も勤めた。ちなみに純一郎さんの祖父の又次郎さんは、逓信(ていしん)大臣として郵政事業も所管していた。ゆうちょの金は民営化されて、アメリカなど外資が使いやすくなっている。日本は超低金利政策を続けた。しかし、ゆうちょに預けた金はペイオフで1000万円は保障されるので、貯金がとりっぱぐれるわけではない。

年金の場合はもっと酷い。今、現役世代は収入の9パーセント余り、毎月給与から厚生年金保険という名目で天引きをされて、さらに企業は同額を負担する。20万ぐらいなら2万円、30万円台なら3万円みたいに毎月徴収される。60歳より以前に死んだら、不慮の死だから年金受け取れないのはやむをえない。25歳から65歳までの40年間に毎月3万払った人は、65歳から75歳までの10年間に月12万受け取っていいことになる。しかし現実は、各世代ごとの人口が違っていて、今は若い人が少なく高齢者が多くなっていて、しかも延命治療や何やで日本ではただ生かされているだけみたいな人も含めて年金の支給対象になっている。一度払い始めたら、国としては、払わないわけにはいかない。

では払うのをやめたら、巨額の公的年金の金はどうなるのか。たぶん父親がやったみたいに、アメリカに好きに使わせて、しかも国民にはできるだけ払わないようにする。例えば支給年齢を10何年も引き下げてその間で寿命で死ぬとか、貧困で死ぬとか、そういうふうになれば、アメリカに忠義を尽くす自民党の立場も安泰だ、と。

この政策が小泉進次郎の本体ではないかと思うが、どうだろう。

どっちがいいということでは、まず外国でどうなっているか。ざっくりいうので、正確ではないかもしれないが。

韓国や中国は夫婦別姓。子供は父親の姓になる。お母さんは名字が違う。日本でも母親には旧姓がある(家単位でみて婿養子の場合はもともと母の姓、また親が離婚して母子家庭では母方の姓になることがある)。

明治になる前は庶民には姓がなく、武家でも結婚しても旧姓であったというから、明治期に今の家というか氏(うじ)の制度がつくられたようだ。

ヨーロッパでは、夫の姓に妻が改姓することが普通のようだ。夫はミスターだれだれ、その妻はミセスだれだれ、みたいになる。日本はこれを取り入れた。

今ではヨーロッパやアメリカでも、選択的夫婦別姓で、法律的に変えることまでは強制されていないのだが、日本とは決定的な違いがある。それは複合姓、ダブルネームだ。ドイツやイタリアでは、夫は結婚しても名前はそのままだが、妻は複合姓を名乗ることができる。山田洋子さんだったとして、夫が鈴木さんなら、鈴木山田洋子、みたいになる。

これを日本で実現することは難しい。

安易に夫婦別姓とすると、この重要な部分が抜け落ちてしまって、男女同権に、結婚後は男親または女親は、どちらかの姓またはそれぞれの姓を名乗って、子供は親が一つの姓ならその姓を、別々ならどちらかの姓を名乗ると決めることになる。

明治の日本でも、実はやろうと思えばできた。なぜやらなかったかというと、国民に選択肢を与えても、どうしたらいいのかがわからない。だから、一番いいと思う方を、強制にしたんだ。子どもは、お母さんの名字が同じ方がいいのに決まっている。

一番いい方法を、国が人々に強制した。

したがって、今でも芸能人みたいな人は本名と旧姓の通り名のようなものがある場合がある。外国籍の人は、住民票に本名と通称を併記することができて、どちらもその人の名前に相違ない。

したがって、複合姓つまり夫の姓と旧姓とのダブルネームを、おそらくは実現できないこの国では、安易に夫婦の姓を同じにするか別々にするか選べるようにするのではなく、公式にも妻が両方の性を名乗る仕組みを採用した方が、ヨーロッパまたはアメリカの仕組みに近いわけだ。

小泉進次郎氏は選択的夫婦別姓、高市早苗さんは旧姓を通称として法的根拠を、と言っている。現実には女性の方が姓を変えることが多いわけだから、改姓の不便さに向き合うことを体感している面で、この論点では、小泉さん不利、高市さん有利、のように思われる。




自由民主党の総裁になると、ほぼ内閣総理大臣になる。衆議院選挙で負けて下野した場合でない限り。

実際、頭の良し悪しでいうと、自民党政治家と自分でそれほど違いがあるとも実は思っていない。賢い人が、必ずしも国会議員や与党の政治家とも思っていない。

そうすると、どの部分で政治家は、自分よりも優れているのか。それは、信念の部分だ。これを、成し遂げる、という信念だろう。

それで行くと、河野太郎や、石破茂は、自分ほど、頭がよくないと思うし、何の信念もないから、たぶん総理大臣になることはないだろう。岸田さん、菅さん、安倍さん、小泉さん、みんな政治家の信念の部分で、自分は頭が下がる思いだった。

すると政治家の信念で、自分は叶わないな、と思うのは、高市早苗さんと、小泉進次郎氏ではないかと思う。まだよくわからないが大穴的な位置に、コバホークといわれている小林鷹之氏がある。都知事選の2位争いをみると、あんな人がうける可能性もある。投票する権利がないか、たぶんそうではないか、と思っているだけだけど。