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きっしーのブログ

自己紹介系ブログ

子供の頃にみた「地球へ・・・(テラへ)」っていう映画をBS12でみた。リメイクのテレビ放映が2007年にあって、それも少しみたのだけど、アニメ映画は1980年4月公開らしい。竹宮恵子の原作漫画もあるけど、それは図書館で大人になって最初の方を少し読んだぐらい。

時代的には銀河鉄道999の映画のあとで、ガンダムは存在したけど人気が出て映画化される前。ぼくは小学校5年生で10歳だった。

当時999と一緒ぐらいはまって、レコード(LP)も持っていてよく聴いてた。主題歌はダ・カーポで、よく知らなかったけど、年上の人はよく知っているようだった。レコードのライナーノーツに映画の監督さんの話があって、意図的に俳優さん、女優さんを使ったとか。でも当時活躍してた声優も出ている。

話は、前半ハリーポッターみたいで、雰囲気的に手塚治虫さんの火の鳥望郷編みたいなのかと思ったら全然違っていて。みどころは、いくつもあるけれど、自分としては、ミュウという新しい人類とコンピューターシステムにより全てを管理された普通の人間との対立というか戦争がすごかった。ミュウは目が見えない、耳が聞こえない、虚弱体質などの代償としてテレパシーなどの超能力が使える。人類はミュウを危険視して、発見次第殺すわけだ。ミュウの方は何もしなくても自分たちが殺されるので、故郷である地球を目指して、地球というか人類とは戦うわけだ。

現実にガザ地区とイスラエルで戦争が起きていて、きれいごとでないことになっている。70〜80年代は戦争アニメは多く作られたのだけど、この話は本当にすごい。一方、現実の世界では話し合いで物事を解決することが賛美された時代で、今でもそう思っている人は多いだろうけど、相手の意向を無視した実力行使は賛同はされないが、殺しにきた相手に対抗するには力ずくで対抗するしかない。そもそも話し合いのテーブルにつくためには、相手を力でねじ伏せる必要も出てくる。

裁判でも勝ち負けがついていたら、話し合いにはならない。一方の都合だけで相手の都合は考慮されないが、互いにやり合ってはじめて、では話し合いを、という方に進む。

戦争は格好いいようにみえるが、実は民間人を殺すだけ。戦争は同じ民族ではなくて違う民族との間で起こるが、障がい者でなくても、例えば宗教上の教義が違うと、そもそも言葉では伝わらなくて、障がい者のように見えることもある。さらに自分たちより優れた面があれば、ジェノサイドというか殺りくも起こる。

こんな怖い話というか、人類の人類たりえる部分というか、そんなことに10歳ぐらいで向き合っていたんだなと思う。


目が赤い髪が黄色い(金髪?)ヘッドホン型の補聴器をつけているから、ソルジャー・ブルーだと思うけど、原作では補聴器はジョミーも引き継ぐらしい


会社勤めして思うことは、女性社員もいて、正社員もパートもいるのだけど、勤務時間が男性と変わらない人もいれば時短ですぐ帰る人もいる。

それは仕事の都合であって、人間的には対等と思いたいところだけど、ステータスというか、男性でも家庭つまり妻子がある人、妻子はいない独身の人、どっちも仕事で差はない。ところが女性の場合、独身で婚歴なしの人、独身で婚歴あり子供なしの人、婚歴あり子供ありの人、結婚して子供はいない人、結婚して子供ありの人、それぞれいて、優先するところが人それぞれ違う。

大別して、既婚未婚をとわず子供はいない人と、既婚離婚をとわず子供がいる人とに大別されるように思う。子育てに専念するのはいいことかもしれないが、正直に言って、本能にしか思えない。

どんな動物でも、それは出来る。人間の価値がそこにあるとは思えない。

そんな考えだから、ずっと独身なのかもしれないが、やっぱり子育てだけしか取り柄がないようなのは、つまらないように思う。お金とか、愛とか、それならまだいい。生活力ないからお金のために結婚するのもいいし、好きな人の近くにいたいから、一緒に暮らしたい、というのは価値のあることだ。

でも子育てを頑張っても、それはつまり、本能に過ぎないから、動物と差がないので、そこに価値があるようには思えない、たいしたことではないような気がしてくる。

人類が進歩する方が戦争が起きる気がする。

未熟だから戦争が起きるということではないと思う。つまり、子供はすぐ人を叩いたりするのに大人はこれをしないから、という理屈ではなくて、子供は誰とでも対等に接するのは、まだ自分の親や友達と自分との区別がよくついていないので、大人は誰でも同様にというわけにはいかない。青年心理学でも友人を選ぶのに歳が小さいと誰とでもなりうるが、思春期以降は合う合わないがわかってきて、人を選ぶようになってくる、というのが一般的な見解。もちろんはじめから人見知りということはあるだろうが。

例えば自分の子供と誰かの子供では、全く同じことにはならない。血縁関係になくても、身の回りの世話をしてくれる人なら、全く知らない人と同じにはならない。はじめて会って、まだ言葉を交わしていない人でも、好きな人もいれば、好きでない人もいる。

外国を相手にするというだけでなく、じつはこの人はいない方が自分の利になるということがある。だからといって、勝手に人を殺したら刑法違反なんだけど、京都アニメーションに放火殺人をしたような人が社会からいなくなってくれた方が、本人以外の大勢にとっては、利があると思う人は普通にいるだろう。人類が進歩して、つきあう人を選ぼうとすると、戦争も起こる。自分の国の中でも、この人を戦地へ送ろうとか、生死の確率がわからない任務を与えようとかいうことが起こる。しかし、そこで生き残ったら、生きているということがいえる。