きっしーのブログ -31ページ目

きっしーのブログ

自己紹介系ブログ

 これはチェコのミュシャが描いた、スラブ叙事詩の一作

 

 

 こんなのもミュシャの作品

 

 スラブ語を話すスラブ民族には、ウクライナやベラルーシやロシアの東スラブ、ポーランドやチェコやスロバキアの西スラブ、かつてユーゴスラビアと呼ばれたバルカン半島のセルビアやクロアチアなどの南スラブがあるが、このうちウクライナから南ロシアにかけての黒海沿岸は、印欧語族がもともといた場所ともされる。

 ギリシアの歴史家ヘロドトスによると、スキタイという民族がいた。スキタイは最古の遊牧民だが、農耕生活をしたり、農産物を売ったりする民族もいた。遊牧民のスキタイには、王族スキタイというものもいて、ほかのスキタイに対して王のように振る舞った。また、王族スキタイに従わない別種スキタイというものも離れたところに住んでいた。

 自分は、ポーランドやウクライナは、農民スキタイや農産物を作るだけでなく売って暮らす農耕スキタイ、ロシアは冷戦時代にほかのスラブ諸国に対し王のように振る舞っていたので王族スキタイというイメージを持っていた。

 でも2022年のロシアによるウクライナ侵略をみていると、ロシア人の本質は違うのではないかと思うようになった。wikipediaなどをみると、ロシアはもともとフィン・ウゴル語派の影響下にあった。

 フィン・ウゴル語派というのはウラル語族のことで、ほかにはサモエード語派があるが、今ではネネツなどという。フィンというのはフィンランドとエストニア(エストニア以外のラトヴィアとリトアニアは印欧語族のバルト語派なので違う)とサーミが含まれ、ウゴルとはハンガリー(マジャールともいう)のことのようである。

 言語と民族とは一致しない場合がある。アメリカでは黒人も英語を話すが、数世代前は英語とは違う言語だった。ロシア人は言語は東スラブ化しているが、文化的にはウラルもしくはフィン・ウゴル、あるいはサモエードと同一なのではないか。そうするとエストニアやフィンランドと並ぶことになり、フィンランドはロシアに対抗してきた歴史があるが、ハンガリーの首相は今回ロシアに同調している。

 

 フィンランドの絵画はこんな感じである。

 

 

 一方、これはロシア

 

 日本人の黒田清輝が描いた洋画

 

 スウェーデンのカール・ラーション

 

 ルノワールなのでフランス

 

 日本人は簡単に洋画を描くことができ、向こうの人が描いたものと区別がつきにくいのに、ウラル系の人は画風が異なる。たんに日本人が器用というより、元々感性が近いのだろう。

 ウラルと思われる人はヘロドトスの歴史の、スキタイの条に出てくるアンドロパゴイであるとされている。特異な民族でスキタイ系では全くなく、その風俗は世にも野蛮なもので、正義も守らなければなんの掟ももたない。遊牧民で服装はスキタイに似ており、独特の言語を持つ。アンドロパゴイとは、人を食べるという意味である。スキタイが住んでいた黒海沿岸よりも北の方にその居住域があり、ロシア人はその影響下にあった。

 今回の戦争でみられるロシアの特徴は、世にも野蛮なものであり正義も守らなければなんの掟ももたない。古い時代のウラルの習俗だけを受け継いだのではないだろうか。ネネツ人やサーミ人はトナカイを飼って暮らす先住民扱いされることもあるが、フィンランド、エストニア、ハンガリーなどは現代の国であり、野蛮とはいえない。中国の遼河地方がその原住地であるとされる。櫛目文土器というのが、遼河発祥とされていて、東は韓国まで、西はフィンランドにまで伝播した。ロシア人が、言語だけ印欧語化したウラル系と考えたら、ウラジオストックとモスクワのような遠く離れた地域にまたがって住んでいることもわかりやすい。またその拠点が遼河であるので北朝鮮、中国、ロシアが近い関係にある説明もつく。

 ウクライナはドニプロ川(ドニエプル川)の河畔の農耕地帯がおおもとになっている。

 ロシアのRussiaは、かつてウクライナにあったルーシという国を意識しているのだが、むしろ遼河(中国語発音ではLiao He)という意味に解したほうが適切なのではないか。

 遼河文明は紀元前6200年頃からなので、黄河文明や長江文明よりも古い。まだ新石器時代であり、磨製石器を用いた農具があった。金属が使用されるのは紀元前3000年頃とされる黄河文明の青銅器時代を待たねばならない。

 石器時代と金属器が使用された時代がどう違うかというと、人が所有するという観念が出てきた。今でも硬貨は1円玉のアルミを除いて全て銅の合金でできている。金属は加工して作るものであり、加工には技術がいったので、人が所有する観念が生まれる。それ以前の打製石器や磨製石器では、見よう見まねで誰にでもできたので、ものは共有でよかった。つまり原始共産制のようなものがそこにあった可能性もある。騙されないようにしないといけないが、自分のものが誰かのものでもあるということだから、権力者により容易に私権が他人のものにされてしまう。ウクライナでロシア人が民家を襲撃しものを盗んでさらに人を殺しても、物はもともと共有だからと考えるとさほど悪いことではなくなる。そういう意識では人命も軽く扱われる。

 ロシアの有する非文明の部分とは戦っていかねばならない。

 本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした、ありがとうございます。

 これが松田聖子の挨拶。これに感動した。松田聖子は女性だけど、トップアイドルもしくは歌手として活躍していたのだけど、神田沙也加の父は神田正輝で、神田正輝は一通りの挨拶を終えたあとで、松田聖子としては、特にそれ以上のことは何も言わずに、来て頂いた報道陣を気遣うことを述べている。まさに女王の貫禄であると、そう思った。

 普通なら、一人娘を亡くした母親であるので、報道陣に伝えたいこともあったであろうと思うけど、それを何も言わないで、当時の伴侶であった男性を立てつつ、かつ報道陣を気遣う発言のみをしていることに、彼女の偉大さがあるように思う。自身も、ディナーショーを中止にして札幌に駆けつけてもいるが、そのようなことには、何も触れないわけだ。松田聖子の態度に自分は感銘を受けた。

 神田沙也加さんは転落死で、事件性はないといわれているので、自ら飛び降りた可能性が高いだろう。遺書はないようなので、事故か自殺かはよくわからない。

 親の七光りな人が、特に政治家や芸能人では多いような状況の中で、彼女は、アナと雪の女王のアナ役とか、自分の芝居で足元を固めていたようであったので、残念で仕方がない。おそらく、神田沙也加が、松田聖子の娘であることを知らないでファンになった人もいるだろう。しかし、今回の挨拶で、松田聖子はしばらく喪に服しても、そのうちまた活動を再開するであろうから、松田聖子の方が、神田沙也加よりも上であったことは否めない。残念ではあるが。

 

 ところで、飛び降り自殺というと、岡田有希子のことを思い出さずにはいられない。今から35 年前のことであるらしい。当時18歳だった。神田沙也加が生まれる半年ほど前である。

 峰岸徹の名前が、当時でていた。もう故人であるけど、彼女の手記にあるといわれるMさんは、実は峯岸(徹)さんではなく、(神田)正輝さんのことではないか、といわれている。ほかにも、舘ひろしなど名前がでているが、舘ひろしは岡田有希子の憧れの人であったようだ。大学時代の友人は、神田沙也加は石原裕次郎の娘なんだと語っていた。しかし自分は信じなかったし、成長すると、神田沙也加は、神田正輝に似てきた。

 真偽はわからないが、岡田有希子は神田正輝と付き合っていたという説もある。岡田有希子は、松田聖子の事務所の後輩であり、その後は酒井法子がデビューすることになるのだが、岡田有希子のくちびるNETWORKという曲の作詞は、松田聖子でもある。もし、岡田有希子が、神田正輝の子を妊娠していたという話が本当なら、神田沙也加の姉が、岡田有希子と一緒に命を落としたことになる。

 結局本当のことは、何もわからないのだが、斎藤道三の息子が、自分の実の父は斎藤道三ではない、と考えていたように、神田沙也加が、実の父からは何も聞いていなかったとしても、インターネットの普及した時代に、父のことを調べたら、父は岡田有希子と付き合っていたが、石原裕次郎により、その愛人である松田聖子との縁談をすすめられて、その結婚を承諾して、役者として今日まで仕事を続けてきて、その延長線上に、自分の仕事もまわってきている、と考えたら、人生は生きるには値しない、と考えても仕方がないのではないかな、という気はする。

 でも、それを助ける方法はあったような気はする。なぜなら、今でも地下アイドルな人は、顧客との関係を求めてその活動を続けており、神田沙也加も、有名とか知名度とか、そういうことではなく、顧客との関係を構築する方向にすすめば、きっと、仕事を生きがいとすることができたはずであった、と自分は考えるからである。だから、惜しかったように思うし、自分に何かできたようにも思う。