神田沙也加 | きっしーのブログ

きっしーのブログ

自己紹介系ブログ

 本当に皆さん、お寒い中、申し訳ございませんでした、ありがとうございます。

 これが松田聖子の挨拶。これに感動した。松田聖子は女性だけど、トップアイドルもしくは歌手として活躍していたのだけど、神田沙也加の父は神田正輝で、神田正輝は一通りの挨拶を終えたあとで、松田聖子としては、特にそれ以上のことは何も言わずに、来て頂いた報道陣を気遣うことを述べている。まさに女王の貫禄であると、そう思った。

 普通なら、一人娘を亡くした母親であるので、報道陣に伝えたいこともあったであろうと思うけど、それを何も言わないで、当時の伴侶であった男性を立てつつ、かつ報道陣を気遣う発言のみをしていることに、彼女の偉大さがあるように思う。自身も、ディナーショーを中止にして札幌に駆けつけてもいるが、そのようなことには、何も触れないわけだ。松田聖子の態度に自分は感銘を受けた。

 神田沙也加さんは転落死で、事件性はないといわれているので、自ら飛び降りた可能性が高いだろう。遺書はないようなので、事故か自殺かはよくわからない。

 親の七光りな人が、特に政治家や芸能人では多いような状況の中で、彼女は、アナと雪の女王のアナ役とか、自分の芝居で足元を固めていたようであったので、残念で仕方がない。おそらく、神田沙也加が、松田聖子の娘であることを知らないでファンになった人もいるだろう。しかし、今回の挨拶で、松田聖子はしばらく喪に服しても、そのうちまた活動を再開するであろうから、松田聖子の方が、神田沙也加よりも上であったことは否めない。残念ではあるが。

 

 ところで、飛び降り自殺というと、岡田有希子のことを思い出さずにはいられない。今から35 年前のことであるらしい。当時18歳だった。神田沙也加が生まれる半年ほど前である。

 峰岸徹の名前が、当時でていた。もう故人であるけど、彼女の手記にあるといわれるMさんは、実は峯岸(徹)さんではなく、(神田)正輝さんのことではないか、といわれている。ほかにも、舘ひろしなど名前がでているが、舘ひろしは岡田有希子の憧れの人であったようだ。大学時代の友人は、神田沙也加は石原裕次郎の娘なんだと語っていた。しかし自分は信じなかったし、成長すると、神田沙也加は、神田正輝に似てきた。

 真偽はわからないが、岡田有希子は神田正輝と付き合っていたという説もある。岡田有希子は、松田聖子の事務所の後輩であり、その後は酒井法子がデビューすることになるのだが、岡田有希子のくちびるNETWORKという曲の作詞は、松田聖子でもある。もし、岡田有希子が、神田正輝の子を妊娠していたという話が本当なら、神田沙也加の姉が、岡田有希子と一緒に命を落としたことになる。

 結局本当のことは、何もわからないのだが、斎藤道三の息子が、自分の実の父は斎藤道三ではない、と考えていたように、神田沙也加が、実の父からは何も聞いていなかったとしても、インターネットの普及した時代に、父のことを調べたら、父は岡田有希子と付き合っていたが、石原裕次郎により、その愛人である松田聖子との縁談をすすめられて、その結婚を承諾して、役者として今日まで仕事を続けてきて、その延長線上に、自分の仕事もまわってきている、と考えたら、人生は生きるには値しない、と考えても仕方がないのではないかな、という気はする。

 でも、それを助ける方法はあったような気はする。なぜなら、今でも地下アイドルな人は、顧客との関係を求めてその活動を続けており、神田沙也加も、有名とか知名度とか、そういうことではなく、顧客との関係を構築する方向にすすめば、きっと、仕事を生きがいとすることができたはずであった、と自分は考えるからである。だから、惜しかったように思うし、自分に何かできたようにも思う。