私の仕事というのが、AIやロボットと密接な関係が有りまして。
いわゆる自動化というやつですが、現在、世界中でとんでもない速度で進んでいるわけです。
おかげさまでブログ更新もかなり久々ですが、ある考えをまとめるために、書いてみました。
私も仕事を進めるなかで、AIが確実に人に代わって仕事をしつつあることを実感しています。
今後、AIに仕事を奪われた人達の救済策の一つとして”BI”-ベーシック・インカムというシステムの研究と実験が各国で進んでいます。
BIとは、基本的に全ての人にお金を配るというシステムのことです。
以前のブログの中でも、BIの必要性を、私なりに書かせていただきました。
すでにネット記事などでBIを簡単に目にするようになってもいるので、詳しく知りたい方はそちらもご参照くださいませ。
政治と経済とAIとBI
BIについて私が一つ気になっていることが、「BIと政治の関係性」についてです。
私は単なる技術者で、政治にも経済にも疎いほうですが、例えば資本主義と民主主義の関係性であったり、産業革命とマルクス主義の関係などは、おおむね理解しているつもりです。
そんな私から見ても、”AI”と”BI”がもたらす政治への影響は、多大なものだと思います。
BIはAIがもたらすもの
BIがこのタイミングで盛んに議論されるのは、当然、AIの発達があるからです。
製造業のみならず、事務作業やサービス業、建設業から農業まで、仕事のほとんどがAIによって自動化されつつあり、人の代わりに仕事をしはじめています。
それによって起こると予想されることが、人件費が浮き、生産効率が上がり、多くの利益が出ること。そして、多くの人が失業することです。
「AIによって新たな仕事が生まれる」と説く方も多いのですが、多くの仕事がAIに奪われたうえに、今後新たに誕生する仕事は、完璧な仕事をするAIが活躍する環境で行う業務なわけです。
それまで馬の世話をしていた人が、蒸気機関や内燃機関のメンテナンスを行うようになった、第一次産業革命とは、わけが違います。
簡単な職業訓練で対応出来るとは、ちょっと思えません。
いくら頑張っても、出来る仕事が見つからない人も出てくるでしょう。
そこで、AIによって出た儲けを、仕事が見つからない人に配ることで、社会を安定させることが、現在考えられているBIの目的です。
ただし、仕事をしたいのに仕事が無いのと、仕事をしないという選択は別問題ですが、それを客観的に判断することは難しいため、仕事が有る人にもBIを配るのが、BIの基本的な平等の考え方です。
BIの収入と仕事の収入のバランスは個人差が出る
BIは全ての人に平等で、配られる金額も、基本的に全ての人で同額になるはずです。
そして、BIの収入だけだと生活するだけで精いっぱい、娯楽などに使う余裕は無い、という金額に設定される予定です。
理由は単純で、そうしないと経済的に成り立たないのと、働く人がいなくなってしまうから。
しかし、上に記したように、AI登場後の仕事は難易度が高いものが多く、一部の人間に仕事と収入が集中することが予想されます。
そうするとどうなるか。
過半数の人間が、BIのみか、BIプラスわずかの収入で暮らすことになります。
そもそも、BIが民主主義の国で導入されるには、当然、過半数を超える数の市民がBIを必要だと考えていなければなりません。
つまりその時点でその国は、すでにAIに仕事を奪われた人が多数派だということになります。
BIに依存する人々がマジョリティになった世界
その時何が起こるか。
ま、話は単純です。
BIが収入のほとんどを占めている人達が、民主国家においてその権利を行使した場合、BIの金額を吊り上げようとするのは当然のこと。
そうすると、BI導入当初に計算により導き出された金額を上回って行き、最終的に仕事による収入が少ない人から、働く必要を感じなくなって、仕事を離脱して行くことに成るのではないでしょうか。
AIの導入が進んだとしても、様々なシステムを維持するための最低限の人材は必要でしょう。
もしライフラインの維持に必要な人材が辞めて行けば、生命に関わる事態です。行政機関が制限をかけるしか有りません。
BI導入は、民主主義の原則に対し、制限を要求する可能性が高いと考えます。
北欧諸国のケース
現在においても北欧諸国などに、民主主義と資本主義の形を取りながらも、行政の権限が大きく、公的福祉が充実している、社会主義に近いシステムは有ります。
BIの導入に際し、このような北欧型のシステムが暗黙のうちに必要とされている気がしてなりません。
しかしそれは北欧という、地理的な要因が有ればこそ成り立つもの。例えば、冬場にはホームレスが居たら凍死するし、自然の中に食物も育たない。温暖なヨーロッパとは海が隔てています。だからこそ、困窮したときに行政に頼る必要性が高く、民意で行政に大きな権限を与えています。
地理的にも気候的にも豊かな国では、市民が困窮して行政の助けを必要とする場面は比較的に少なく、BI導入後でも、行政が大きな権限を持つことは民意に背くことに成りかねません。
多数派の民意に制限をかけねばならないのは、民主主義に反しています。
BIと民主主義は、相反する面が有ることを、よく考えていかねばならないのではないでしょうか。
そもそもBIは資本主義の原理にも反している
ところで、AIがした仕事の報酬を受け取るのは誰なのか?
それは、AIを導入する資金を提供した人です。
さらには、AIの技術者にも報酬は支払われますが、技術者が通常手にする報酬は、AIが開発され、導入されるまでに提供した技術の対価です。
運用においても、改良の際などに支払われることは有りますが、現行までの実情を見ると、AIがした仕事の収入は、技術者には支払われません。
つまりAI導入は、資本家が得をするばかりで、労働者は得るものが無いばかりか不要になるという、より資本主義的な格差を助長するシステムなのです。
いくら技術革新が進もうとも、資本主義の搾取の構図は変わりありません。
さて。AI導入により、資本家が儲かるという、従来の資本主義の原則は変わらないわけですが、ではBIの導入は資本家の儲けにはなるのか?
ここまでの話をお読みくださったならお分かりかと思いますが、BIでは資本家は儲かりません。あえて言うなら、社会的な安定のために必要というだけで、資本家個人が費用を負担する理由は特に有りません。つまりBIの財源は、あくまでも個人の善意に依存しています。
結局、BIは民主主義にも資本主義にも反している
先日亡くなった、著名な物理学者のスティーブン・ホーキングも、生前のインタビューで、この点に触れています。
要約すると、「AIによって、一部の人間に富が集中し、格差が拡大しつつある。これを是正するには、AIに関わる資本家の善意に依存するしかないが、今のところ、善意は感じられない」と。
おそらくホーキング博士は、資本家に善意が無いと怒っているわけではなく、今後の時代において、より良い社会を作るには、ごく一部の人間の善意に依存しなければいけないことを嘆いているのだとおもいます。
彼の憂慮こそが全てを物語っています。
AIは、精神的、肉体的負担が大きい労働を減らし、人を幸せにするものだと、私は信じています。
しかし、一部の人間の意志に社会全体が左右されることへの恐怖。そして、多くの市民が頼らざるを得ない制度である”BI”が資本主義に反し、さらには民主主義を揺るがすものであることを考えると、AIの導入が、いかに難しい問題かと、暗い気持ちにもなります。
新しい社会制度の必要性
ここまでの考えをまとめると、中国共産党が、BIを導入するのにもっとも適している政治体制の気がしてきます。
しかし、その中国も、一国二制度を導入して久しく、経済的には資本主義です。中国といえどBI導入は、政治的道義には反せずとも、経済システムは変革を余儀なくされるわけです。
政治にも経済にも、今後「AI主義」とでも言うべき、全く新しい社会制度が必要なのかも知れません。
アメリカの現大統領当選から始まった世界的なナショナリズムの流行も、AI導入を含む新時代の流れに反発する、旧体制派が起こしたものだと見て取れます。
AIとBIの導入のために、より政治的な議論を活発化させる必要が有ると考えます。