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大学中退者のその後の後

フリーランスです。仕事の合間の息抜きツブ。

皆さんはゴミ拾いをしたことが有りますか?

日本人なら誰もが一度はした経験が有ると思います。

筆者も以前居た会社での慈善活動で、ゴミ拾いに強制参加させられた経験が有ります。

昔はゴミだらけだった日本

知ってる方は知ってると思いますが、日本の街がきれいに成ったのは、1964年の東京オリンピックがきっかけです。

 

それまでは日本の道端はゴミに溢れていました。

日本人はそれに慣れていて、誰もきれいにしようとはしなかったと言います。

 

それに対し、東京オリンピックの誘致が決まった時に、海外からの観戦客を迎えるにあたり、ゴミだらけなのは恥ずかしいとなって、例の青バケツが採用され、皆こぞってゴミを拾いました。

 

自治体によってごみ処理施設が建てられ、ゴミの定期収集も始まりました。

 

というわけで、日本人はきれい好き、は幻想です。

ゴミ拾いの慈善事業が慣習化

このオリンピックをきっかけとしたゴミ拾いは全国に広がり、国民の慣習に成っていきます。

 

おかげで今は、海外から来た観光客が口を揃えて「日本の街はきれい」と言うに至っています。

 

これに気を良くしてますます日本人はゴミを拾いました。

 

学校でも会社でも、人が集まればゴミを拾い、悦に入っていたと思います。

場所によって大きく違うゴミ事情

日本の街中にゴミが無いのは、商店などが密集していて、各店舗で店前を清掃しているからです。

店のイメージアップのためです。

 

一方海外では業務の分担に関してシビアで、ゴミを拾うスタッフは居ません。

店主が気にしていないので、店前を清掃をすることは有りません。

 

代わりにゴミ箱が多く設置されていて、週に1,2回ほど自治体による清掃が行われます。

 

ですので、1日単位で見ると、海外の街角は汚く見えるわけです。

 

では、イベント会場などはどうか?

サッカーW杯の会場で、日本人がゴミ拾いをする姿はすでに有名です。

 

お花見会場も、ゴミの片づけは良くされているようです。

桜の美しさに対して、美意識が刺激されるのでしょうね。

 

それに対し、夏のキャンプ場や花火大会では、ゴミだらけに成ります。

 

このように、日本て、時と場所によってゴミ事情が全然違います。

 

そして、普段通る道はどうか?

街道沿いなど、ゴミだらけです。

歩いたり車で通ったときに、空き缶やペットボトルを良く見かけます。

そしてそれは時に何か月も放置されています。

ゴミを拾わなかったらどうなるか

どこの町でも数か月に1回ほど、ボランティアによる清掃活動が行われたりしていると思います。

 

もしそんな活動が無かった場合、どうなるのか?

当然、ゴミだらけに成ると思います。

 

実際に、交通量は多いのに周辺に人が住んでいない街道沿いなどは、本当にゴミが多い。

 

そこで思ったのですが、街中も道沿いでも、ボランティアによるゴミ拾いを止めてみたらどうでしょう?

 

たぶん、数日でみんなが嫌気が差すと思います。

 

そして、公共の場所の清掃を、全て自治体の仕事とすべきです。

 

ゴミを捨てれば、あっという間にそこら中がゴミだらけになり、さらに税金を使って清掃することに成る。

 

そうなれば、ゴミを捨てる人が減ると思いませんか?

 

そう、無料でゴミを拾う人が居るから、平気でゴミを捨てる人も居るのですよ。

 

どうでしょう?

どこかの町でテストケースだけでもやってみても良いかと思います。

平成の初めごろのお話です。

 

当時の大学生たちは、そのほとんどがリベラル思想で、当時、初の女性党首の土井委員長を擁した社会党が、彼らの支持政党でした。

当時、社会党は自衛隊が違憲であると主張していました。

また、まだまだ学内には核マル派などの極左も居たころです。

 

それに対し、筆者はもともと戦艦や戦闘機が大好きで、皇室を敬愛する田舎者でした。

当然のように学友たちには「右翼」と呼ばれて、ネタにもされていました。

平成の大学生のイデオロギー

大学2年で20歳になり、初めての国政選挙にも行きました。

結果は自民が大敗。戦後初の野党連合政権が誕生しました。

 

時代はバブルの崩壊直後。世論が最も左寄りに傾いていたころだと思います。

 

その後、政治も経済も混迷を極めていきます。

 

大学でも、去年までは先輩方が大手メーカーの本部に内定を得ていたのに、苦戦するように成ったという噂で持ち切り。

 

筆者は早々に留年が確定して高みの(低みの?)見物でしたが、就活を開始した同期から、酷い有様を聞きました。

 

結局、大手メーカー本部に採用された先輩方と同じくらいの成績だった同期でも、大手メーカーの子会社クラスからしか内定を貰えていませんでした。

さらに後輩たちに至っては、派遣会社に入るように成っていました。

 

大学2年生くらいまでは、学内でもイデオロギー論争が盛んでしたが、その後はみんな就活や社会生活への不安を語るばかりで、政治論争はどこかに消えていました。

保守化していく社会

その後、「失われた30年」に突入していきます。

 

その時起きたのは、リベラルの弱体化だったと思います。

保守派が台頭し、再び自民が政権を取ります。

 

ITバブルは有ったものの、おそらくほとんどの人が蚊帳の外だったのではないでしょうか。

 

みんな生活に追われ、自動車産業などの生き残り企業に必死にしがみつき、そんな企業を守るために非正規雇用が一気に解禁され、雇用が非正規化していきました。

 

筆者も必死にブラック企業にしがみつきながら、20代を過ごしました。

 

まわりで政治の話をする人など、誰も居なくなっていました。

このころから、社会に異を唱える人が排除される傾向が出てきます。

 

リーマンショックによって、さらにその傾向が強くなりますが、その後急速に経済が復活するにつれ、窮屈な保守の空気から逃れるように、再び野党連合が政権を取ります。

 

しかし、そこに襲い掛かった東日本大震災。

 

再び日本社会には暗い影が覆い、さらに再び保守が台頭していきました。

連綿と息づく保守

このように、バブル崩壊以降、「これ以上社会不安が進まないように」という、どちらかと言うと後ろ向きの動機から、保守派が息づいてきました。

 

戦後バブル期まで、日本経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長してきました。

勢いの有る時代、日本の右翼思想も、かつての大日本帝国へのあこがれが有りました。

 

だから、そのころの右翼と言えば、特攻服に身を包み、天皇制擁護を掲げ、日の丸と君が代を嫌悪する左派を攻撃していました。

 

そんなかつての右翼も、停滞する時代において、勢いを失っていきます。

 

同じように、生活に追われた人々は、リベラル思想からも遠ざかり、左派も勢いを無くしました。

 

こうして残ったのが、現在の保守層です。

令和に台頭する新リベラルと、対立するネトウヨ

令和の時代に入り、#METO運動をはじめとして女性たちが声を上げ始めます。

それまで性搾取を受けてきた女性たちが、一斉に男性たちに反旗を翻し、新時代のフェミニズムと成りました。

 

さらに性的マイノリティであるLGBTQ+の人たちも、その権利を主張しはじめ、新たなるリベラルの潮流と成ります。

 

そしてそれに対し、彼ら彼女らを社会の不安要素とみなして攻撃し始めた保守層こそ、「ネトウヨ」だと思います。

 

ネトウヨが良くやり玉にあがる原因は、こうした成り立ちから感じる、保身の考え方なのだと考えます。

 

「俺たちは、今まで通りで良いのだ!邪魔するな!」という主張に聞こえるのです。

 

それに対し、社会を変革したい人たちは、「自分勝手だ」と怒るわけです。

 

かつて右翼と揶揄された筆者ですが、今では軍事好きのリベラルで有るとともに、社会変革を推進する立場です。

(軍艦は好きだが「艦これ」は嫌いです)

 

どうせ日本社会は少子高齢化の強烈な影響を受けて、現状維持はかないません。

 

だからネトウヨの方々にも、変革は受け入れて頂きたいと思います。

今年も受験がほぼ終わり、各受験生たちも、新たな進路が決まったことでしょう。

そこで、SNSなどで見かけた今年の受験動向を踏まえて、意見を述べさせていただきたいと思います。

日東駒専の躍進

この傾向はすでに数年前から出てきていますが、入試レベルでMARCHの下に位置し、就職先もそれに準じたものだった日東駒専に人気が出てきています。

 

おそらく偏差値50前後の受験生たちが、親の経済状況を考慮して、浪人してMARCHを目指すのを諦め、日東駒専に入るように成った結果だと思います。

 

そしてそんな学生の中には、高校3年間ではそこそこの成績しか残せなかったものの、大学で頑張って良い成績を残すものも出てきたのだと思います。

 

その結果、日東駒専から大手商社や大手メーカーに入社する人が増えています。

企業側も、偏差値一辺倒から、人材を判断するデータベースを元にした人選をするように成った結果でしょう。

 

さらには、稼げ無くなった士業や、キツイだけでそれほど給料が高くない国家公務員などを、レベルが高い大学の学生が避けるように成り、コンサル企業などに流れています。

 

これも代わりに日東駒専の学生たちが受かるようにもなってきました。

「そこそこ」を目指す日本の若者たち

ここ数年の受験生たちの変化として感じるのが「そこそこ」感です。

 

昔だと、とにかく偏差値の高い大学に入学→官僚や弁護士、大手商社や大手広告代理店に就職という道を、がむしゃらに進む若者が多かったと思います。

 

それに対し、今の若者はそこまで切り詰めて考えてはいなく、「最終的に都心のオフィスでビジカジで働ければ」といった少し緩めの理想を持っているように感じます。

 

成功者の声しか届かない時代には、皆成功者を目指したことでしょう。

しかし、高学歴の無職の人や、仕事で成功してもプライベートが破綻している人など、ネット上で失敗談も目にする時代です。

 

そんな現実を前に、今の若者は、より現実的になってきています。

今も昔も稼げ無い人たち

時代と共に変化する若者の志向ですが、変わらないものも有ります。

 

それは「会社ありき、組織ありき、資格ありき」で考えているということです。

 

学校を出て必要なら資格を取って就活をして就職する。

それは親の代から行われてきた慣習なので、それにならっているだけで、特に考えは無いでしょう。

進む業種や企業の環境などを考慮する程度です。

学校でも、そうするための方法を教えています。

 

これが、この国の人々が、稼げ無い、自立出来ない大人に成る原因です。

 

一旦就職してしまえば簡単にはクビにもならず、努力などせずとも毎月給料が入り、ほぼ毎年昇給していきます。

 

しかし経済活動とは、本来、利益を追求し、常に変化していくものです。

 

そうした中では、去年通用した方法が、ある日突然通用しなくなったり、企業が倒産して、その株が紙くずに成ったりします。

 

そうしたことを踏まえると、日々勉強に励み、新しい技術を身に着け、業界の動向に目を凝らして、常に自分にとって最適な環境に身を置き、投資をして資産を増やす努力をするべきです。

 

でも、実際にそんなことをしている日本人など、ほんの一部です。

 

過去にも、大手企業が潰れたり買収されたりして、露頭に迷うサラリーマンがたくさん居ました。

そんなかれらの多くは、新卒で入社した会社の待遇には程遠い環境で働くことに成っていました。

 

今後、日本企業も、ジョブ型雇用に移行し、終身雇用では無くなる公算が強いです。

 

また、ユニコーン企業と呼ばれる成長企業がたいへん少ないのも日本の特徴です。

 

ただ学校を出る。ただどこかの会社に就職する。そしてそのためだけに勉強する。

こういう当たり前を、一度考え直す必要が有ると思います。

 

経済の原則に則り、いかにして稼ぐか、組織に寄らずとも仕事が出来るようになるか、給料をただ現金で持っているのではなく、投資して増やせるか。

 

その学習が必要です。

 

 

まずは一ファンとして、芦原妃名子さんのご冥福をお祈りいたします。

とても悔しいです。

 

なぜこんなことになったのかは、上の記事に有るように、第三者委員会などにゆだねる必要が有ると思います。

 

ただ、一つ言えるのは、間違い無くテレビ局側が作者の意図を十分にくまずに、視聴率を取るための改変に手を貸したで有ろうことです。

時代遅れのテレビ

すでにお感じの方もいらっしゃると思いますが、Netflixなどのサブスクが映像作品のメインストリームに成り、若者は皆テレビを見ずにスマホでyoutubeを見ています。

 

テレビと言えばスポーツ観戦も盛んで、ゴールデンタイムには必ずプロ野球の中継が有りましたが、これもサブスクでいつでも見られるようになり、テレビでは放送されなくなっています。

 

実際、テレビ全盛期には、視聴率は良ければ20%ほど有ったものですが、今や10%も行きません。

 

もはや「オワコン」の代表格であるテレビ。

その問題点を探ってみます。

利権を独占するテレビ局

以前書いたブログ「マスコミとルッキズム」でも書きましたが、日本の地上波放送は5局ほどの寡占状態に有ります。

 

海外ではケーブルテレビが主流で、局数は100局以上という国も多いですが、日本では色々な問題(各局で規格が違うために専用チューナーが必要など)で普及しませんでした。

 

そのために1局あたりの視聴率は自然と高く、CM料は高額に成ります。

そして後から参入することも出来ないため、テレビ局が持つ利権は絶大なものに成りました。

 

サブスクによってオワコン化していると書きましたが、有料のサブスクには加入せずにテレビを見ている人も以前一定数いますし、全盛期には我が世の春を謳歌していました。

 

このように、利権を独占してきたことから、テレビ局が大変横柄に成っていると感じるのは、筆者だけでは無いでしょう。

 

先に挙げた事件も、横柄に成った結果、原作者をないがしろにしたことも一因だと思います。

テレビ利権の解体

地上波テレビの利権が独占的であることが、数々の問題を起こしています。

 

例えばジャニーズ問題も、所属する売れっ子タレントを番組に出して視聴率を稼ぐために、すでに20年以上前から取だたされてていたにも関わらず一切報道することが有りませんでした。

 

このように、「他局を見る」という選択肢が無いことを良いことに、報道の内容を捻じ曲げてでも視聴率を取りに行く、などが利権を独占する問題点です。

 

もういっそのこと、地上波テレビを禁止して、その周波数帯を携帯用に開放するのが良いと思います。

 

既存のテレビ局は全てネット上で放送を行えばいいだけです。

受信設備(アンテナとチューナー)も要りません。

 

ネット回線とそれに接続出来る携帯電波は、今やどこでもつながります。

無料のOSとブラウザさえインストールされていれば、誰でも見れます。

最近のテレビは、OSとブラウザを搭載しているものが多いです。

 

利権が限られた人間によって独占されている状態は、必ず良くない、不公平な結果を生みます。

 

テレビ、やめましょ。

 

 

筆者は宮藤官九郎氏のファンです。

当然、彼の脚本最新作「不適切にもほどがある!」も見ました。

 

「昭和ってこんな時代だった!」って、今さら驚きながら思い出しました。

そして主人公がスマホにビックリしているのを見て、技術の進歩にも思いをはせました。

便利に成って良かったこと

とにかく、現代技術の最先端はスマホです。

電話どころか、メール、SNSをはじめ、全ての連絡がこれ一つで済みます。

 

動画も見てれ、電子書籍も見てれ、出先での暇つぶしにも成ります。

 

さらには、カメラで静止画、動画も撮影出来て、発信プラットフォームを使って収益化も出来て、今や億を稼ぐインフルエンサーも居ます。

 

さらに財布にも成り、最近は筆者も財布を持たずにスマホだけ持って出かけることもしばしばです。

 

調べものもこれ一つで出来ますし、道案内も頼めます。

 

こんな未来を想像したのは、かつてはスティーブ・ジョブズ一人だけでした。

 

筆者もすでにそうですが、スマホの無い生活など考えられない人が多いと思います。

便利に成って悪かったこと

このように、スマホでほとんどの用事が済むようになりましたが、それだけに、スマホをなくした時の絶望感はひとしおです。

 

筆者はガラケーの時代に一度だけなくして戻ってきたことが有りましたが、少し前に家族がスマホをなくしたときは大騒ぎでした。

 

このように、一つの手のひらに収まる端末で何でも済むように成るのは便利な反面、それをロストした時のダメージは計り知れません。

 

しかし、この問題も解決する方法は有ります。

 

例えば、SIMカードを無くし、スマホを管理するアカウントをクラウド上に作って、生体認証でどこからでもログイン出来るようにすれば、端末にこだわることなく、スマホを使用出来るようになります。

 

そうすれば、なくしたスマホはロックし、仮のスマホで簡単に代用出来ます。

 

ただこれも、そのアカウントを乗っ取られると、大変なことに成ります。

技術革新は人類のため?

結局、クラウド上にサービスを集約することによって、かなり便利にも成りましたが、個人情報が盗まれたり、アカウントが乗っ取られる危険が生じました。

 

だから、まだ各サービスごとにアカウントが有り、危険性を分散しているわけです。

 

しかし、現在、人類の約3分の1がアカウントを持つ、巨大サービスが存在します。

それはGoogleです。

 

まずは検索エンジンとしてスタートし、Androidとchromeによって、かなりの端末と成るスマホやPCの管理をするように成りました。

 

筆者も最初はそうでしたが、皆さんも、なぜGoogleが無料で使えるのか、不思議に思ったことは有りませんか?

 

それは何故かと言うと、多くの人がご存知だと思いますが、検索エンジンとして十分に浸透したタイミングで、検索上位に表示される有料サービスを設けたり、広告を打てるようにして収益化したからです。

 

そして、知る人は少ないですが、アカウントごとに検索するワードの傾向を分析し、それを個人情報として企業に売っているのです。

 

つまり我々は、知らず知らずのうちに、Googleを便利に使いながら、Googleの顧客企業の売り上げに貢献するように誘導されているのです。

現在の技術革新は一部の人の富のため

結局のところ、今の時代に便利なものを使うと、そのシステムを作った人とその顧客に集中してお金が集まるように成っています。

 

それは個人の幸福とは、また別なものなのです。

 

もちろん、この先AIを活用して自動運転などが実現すれば、個人の幸福にも繋がっていくことでしょう。

 

しかし、そこには必ず、より儲けようとする人間の思惑が絡んできます。

 

それを踏まえた上で、スティーブン・ホーキング博士などが、AIの使用に対して、警鐘を鳴らしてきたわけです。

 

今後、我々一般市民はGAFAなどのテック企業を注視し、真に人類の幸福につながる技術なのかを、見極めていかなくてはなりません。