平成の初めごろのお話です。
当時の大学生たちは、そのほとんどがリベラル思想で、当時、初の女性党首の土井委員長を擁した社会党が、彼らの支持政党でした。
当時、社会党は自衛隊が違憲であると主張していました。
また、まだまだ学内には核マル派などの極左も居たころです。
それに対し、筆者はもともと戦艦や戦闘機が大好きで、皇室を敬愛する田舎者でした。
当然のように学友たちには「右翼」と呼ばれて、ネタにもされていました。
平成の大学生のイデオロギー
大学2年で20歳になり、初めての国政選挙にも行きました。
結果は自民が大敗。戦後初の野党連合政権が誕生しました。
時代はバブルの崩壊直後。世論が最も左寄りに傾いていたころだと思います。
その後、政治も経済も混迷を極めていきます。
大学でも、去年までは先輩方が大手メーカーの本部に内定を得ていたのに、苦戦するように成ったという噂で持ち切り。
筆者は早々に留年が確定して高みの(低みの?)見物でしたが、就活を開始した同期から、酷い有様を聞きました。
結局、大手メーカー本部に採用された先輩方と同じくらいの成績だった同期でも、大手メーカーの子会社クラスからしか内定を貰えていませんでした。
さらに後輩たちに至っては、派遣会社に入るように成っていました。
大学2年生くらいまでは、学内でもイデオロギー論争が盛んでしたが、その後はみんな就活や社会生活への不安を語るばかりで、政治論争はどこかに消えていました。
保守化していく社会
その後、「失われた30年」に突入していきます。
その時起きたのは、リベラルの弱体化だったと思います。
保守派が台頭し、再び自民が政権を取ります。
ITバブルは有ったものの、おそらくほとんどの人が蚊帳の外だったのではないでしょうか。
みんな生活に追われ、自動車産業などの生き残り企業に必死にしがみつき、そんな企業を守るために非正規雇用が一気に解禁され、雇用が非正規化していきました。
筆者も必死にブラック企業にしがみつきながら、20代を過ごしました。
まわりで政治の話をする人など、誰も居なくなっていました。
このころから、社会に異を唱える人が排除される傾向が出てきます。
リーマンショックによって、さらにその傾向が強くなりますが、その後急速に経済が復活するにつれ、窮屈な保守の空気から逃れるように、再び野党連合が政権を取ります。
しかし、そこに襲い掛かった東日本大震災。
再び日本社会には暗い影が覆い、さらに再び保守が台頭していきました。
連綿と息づく保守
このように、バブル崩壊以降、「これ以上社会不安が進まないように」という、どちらかと言うと後ろ向きの動機から、保守派が息づいてきました。
戦後バブル期まで、日本経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長してきました。
勢いの有る時代、日本の右翼思想も、かつての大日本帝国へのあこがれが有りました。
だから、そのころの右翼と言えば、特攻服に身を包み、天皇制擁護を掲げ、日の丸と君が代を嫌悪する左派を攻撃していました。
そんなかつての右翼も、停滞する時代において、勢いを失っていきます。
同じように、生活に追われた人々は、リベラル思想からも遠ざかり、左派も勢いを無くしました。
こうして残ったのが、現在の保守層です。
令和に台頭する新リベラルと、対立するネトウヨ
令和の時代に入り、#METO運動をはじめとして女性たちが声を上げ始めます。
それまで性搾取を受けてきた女性たちが、一斉に男性たちに反旗を翻し、新時代のフェミニズムと成りました。
さらに性的マイノリティであるLGBTQ+の人たちも、その権利を主張しはじめ、新たなるリベラルの潮流と成ります。
そしてそれに対し、彼ら彼女らを社会の不安要素とみなして攻撃し始めた保守層こそ、「ネトウヨ」だと思います。
ネトウヨが良くやり玉にあがる原因は、こうした成り立ちから感じる、保身の考え方なのだと考えます。
「俺たちは、今まで通りで良いのだ!邪魔するな!」という主張に聞こえるのです。
それに対し、社会を変革したい人たちは、「自分勝手だ」と怒るわけです。
かつて右翼と揶揄された筆者ですが、今では軍事好きのリベラルで有るとともに、社会変革を推進する立場です。
(軍艦は好きだが「艦これ」は嫌いです)
どうせ日本社会は少子高齢化の強烈な影響を受けて、現状維持はかないません。
だからネトウヨの方々にも、変革は受け入れて頂きたいと思います。