こんにちは、よなみね寛子です。
2013年より色彩心理コミュニケーターとして、
講師として活動しております。
2006年に出会った色彩心理学。
これをもっともっとたくさんの方に知ってもらいたい!
そう思って資格を取り、現在にいたるまでの
の続編でございます。
今日は、第2話。
「職業は教員です、って言ったら嫌われると思ってた」です
タイトルからして、何や〜?って感じよね(笑)
では、始まり始まり〜
よなみね寛子、当時、31歳。
キュービック・カラーセラピストになることを目指しました。
カラーセラピストを目指す、
生徒としての私は、というと。
実は、当時のわたくし、
職業が学校の先生ということに、
人知れず、だいぶ抵抗がありました。
その原因は、
教員になって1年目、
保護者や生徒たちから、
「学校の先生は楽でいいよね〜
夏休みはずっと遊んでるんでしょ」
「学校の先生はいいよね〜
給料高いんでしょ」
などなど、心ないことを言われ、
それがね、繊細な私にとっては、
トラウマレベルだったんです。
(そう、繊細。ほんとよ。笑)
なので、私は、初対面の人には
名前や住んでる地域は話しても、
仕事については、完全に黙っていました。
キュービック・カラーセラピーを学び始めたころは
教員歴、6年目でしたから、
6年もの間、教員であることを言いたくなくて、
かたくなに、貫いていたんです、はい。
キュービック・カラーセラピーの講座は
とても楽しみだし、最後までがんばりたいけど、
きっと、私が学校の先生だと知ったら、
他の受講生は、私と距離をおくだろう。
私は仲間に入れてもらえないだろう。
って、思い込んでいたもんで。
なので、暢子先生にも、
その時の受講生の仲間たちにも
「主婦です」
って、噓ついてました。
まさか、その後何年も学ぶことになるとは
思っていませんでしたからね。
当時の受講生のみんなとは、
結局仲良くなることはありませんでした。
もしかしたら、
私のこと、なんとなく、自分を隠してるのが
ばれてて、なんとなく、不自然だったのかもね・・・。
暢子先生に正直に話したのは、
1、2年後だったはず。
私にとって、超忘られないエピソードです(笑)。
いつも、ありがとう♡
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