こういう形の国際化もありかぁ
愛読している ちきりんさんの日記
↑の記事に
「中印流で国際人目指せ」という記事。引用ではなく、要約でどうぞ。
というのがあり、日本で中華学校や、インドの学校に子供を行かせる親が増えて
いるとあります。
さてさて、確かに、インドはIT立国しかも英語で授業&数学がすごいのは有名、
中国語はご存知の通りものすごーーーーい人口の人がしゃべる言語。
でも、ふと思ったんですよね、
確かに、数学も、語学もできるに越したことは無いですね。
ま、ちょっと日本語もまともにやらないうちから他言語って?って言う話しは
色んなところで賛否あるみたいなので、ここであえて言及することではないと
して…
「こういう形で日本に色んな価値感やバックグラウンドを持った人が
増えるのかなー」って。
これからは、見た目も、国籍も日本人だけど インドなまりの英語しゃべる
とか(ダメって言ってるんじゃないですよ。念のため)、むちゃくちゃ数学
できるとか、すごくアグレッシブで自己主張が上手い人とか、違う価値観を
もった日本人が増えて来て、一緒に働いたりするようになる。
相変わらず、移民というか、外国人が少ないこの日本。
なかなか、異なる文化やバックグラウンドを持った人と接する機会が少なく
異質な物を排斥する傾向がまだまだ根強く残っているけど、日本人でありな
がら、ちょっと違うバックグラウンドの人がどんどん増えたらどうなるんだ
ろう?って思った。
私はこれが、日本にあっている国際化(ってなんか古い言葉)かも!って
思うんですよね。見た目も外国人だと、外国人としてくくっちゃうでしょ、
そして別の人ってわけちゃうでしょ。
私の働いている職場でも良く、「やっぱりあ、外国人だからねー」とか、
海外現地オフィスの人とか来ると 「仕事のの進め方の価値感の違いか
ねえ…」とか良く聞く台詞。
でも、これが、コテコテの日本人でずっと日本で育ち、ただ教育を受けた
ところが日本人の学校ではない人がいっぱーーーーい出て来た場合って、
なんかもっと敷居も低く違う価値観の人とうまくやって行けるようになる
のかなぁって思うのです。
それでも、「あの人は中華 or インド学校の出身だからねぇ」とか言い出す
ようになっちゃったら、もうグローバルとか、国際とかあきらめた方が良い
のかも知れないねって、日本で日本人だけでがんばってーって言うしか無い。
↑の記事に
「中印流で国際人目指せ」という記事。引用ではなく、要約でどうぞ。
というのがあり、日本で中華学校や、インドの学校に子供を行かせる親が増えて
いるとあります。
さてさて、確かに、インドはIT立国しかも英語で授業&数学がすごいのは有名、
中国語はご存知の通りものすごーーーーい人口の人がしゃべる言語。
でも、ふと思ったんですよね、
確かに、数学も、語学もできるに越したことは無いですね。
ま、ちょっと日本語もまともにやらないうちから他言語って?って言う話しは
色んなところで賛否あるみたいなので、ここであえて言及することではないと
して…
「こういう形で日本に色んな価値感やバックグラウンドを持った人が
増えるのかなー」って。
これからは、見た目も、国籍も日本人だけど インドなまりの英語しゃべる
とか(ダメって言ってるんじゃないですよ。念のため)、むちゃくちゃ数学
できるとか、すごくアグレッシブで自己主張が上手い人とか、違う価値観を
もった日本人が増えて来て、一緒に働いたりするようになる。
相変わらず、移民というか、外国人が少ないこの日本。
なかなか、異なる文化やバックグラウンドを持った人と接する機会が少なく
異質な物を排斥する傾向がまだまだ根強く残っているけど、日本人でありな
がら、ちょっと違うバックグラウンドの人がどんどん増えたらどうなるんだ
ろう?って思った。
私はこれが、日本にあっている国際化(ってなんか古い言葉)かも!って
思うんですよね。見た目も外国人だと、外国人としてくくっちゃうでしょ、
そして別の人ってわけちゃうでしょ。
私の働いている職場でも良く、「やっぱりあ、外国人だからねー」とか、
海外現地オフィスの人とか来ると 「仕事のの進め方の価値感の違いか
ねえ…」とか良く聞く台詞。
でも、これが、コテコテの日本人でずっと日本で育ち、ただ教育を受けた
ところが日本人の学校ではない人がいっぱーーーーい出て来た場合って、
なんかもっと敷居も低く違う価値観の人とうまくやって行けるようになる
のかなぁって思うのです。
それでも、「あの人は中華 or インド学校の出身だからねぇ」とか言い出す
ようになっちゃったら、もうグローバルとか、国際とかあきらめた方が良い
のかも知れないねって、日本で日本人だけでがんばってーって言うしか無い。
弾丸!お伊勢参り 前編
実は先週末、突然金曜日が休みになったので、「何かしよう!」と前日に思い立ち、
台湾やら、伊豆七島やら色々考えたのですがさすがに前日で海外は無理、生憎の天気予報なので船旅も難しそう…ということでお伊勢参りに行くことに決定。
同行する妹が大阪でやっている堂島ビエンナーレにも行きたいと言い出し、ネットを駆使して弾丸ツアーを企画!
と言うことで宿が取れたら大阪ー伊勢ー名古屋の1泊弾丸ツアーにし、宿が取れなかったらお伊勢さん往復日帰りツアーにしようと決定。
宿はこちらのYoyaQ.comで、金曜日12:00発売の当日泊限定の宿を狙い、ホテル大阪ベイタワー(高級マーク付き
)をなんと8400円(2名)でゲット。
そこから、金券ショップで新幹線チケットをとってそのまま、2:30pmののぞみで大阪へ!ビエンナーレを見学し、大阪の電車の複雑さに倒れそうになりながら、妹がどうしても見たいという心斎橋大丸で高級日傘をみて、その後はねぎ焼きやまもとで夕飯を食べると、すでに11:00。
一路ホテルへ…2名で8400円、いくら高級ったってねえ…とさほど期待していなかったが47階大阪湾明石大橋まで見えるすごいビューーー!ベットもアメニティも、大きめバスタブも◎。
そして翌日は、近鉄特急で伊勢へ。
ここで、ちょっとした事件が…
(続く)
台湾やら、伊豆七島やら色々考えたのですがさすがに前日で海外は無理、生憎の天気予報なので船旅も難しそう…ということでお伊勢参りに行くことに決定。
同行する妹が大阪でやっている堂島ビエンナーレにも行きたいと言い出し、ネットを駆使して弾丸ツアーを企画!
と言うことで宿が取れたら大阪ー伊勢ー名古屋の1泊弾丸ツアーにし、宿が取れなかったらお伊勢さん往復日帰りツアーにしようと決定。
宿はこちらのYoyaQ.comで、金曜日12:00発売の当日泊限定の宿を狙い、ホテル大阪ベイタワー(高級マーク付き
)をなんと8400円(2名)でゲット。そこから、金券ショップで新幹線チケットをとってそのまま、2:30pmののぞみで大阪へ!ビエンナーレを見学し、大阪の電車の複雑さに倒れそうになりながら、妹がどうしても見たいという心斎橋大丸で高級日傘をみて、その後はねぎ焼きやまもとで夕飯を食べると、すでに11:00。
一路ホテルへ…2名で8400円、いくら高級ったってねえ…とさほど期待していなかったが47階大阪湾明石大橋まで見えるすごいビューーー!ベットもアメニティも、大きめバスタブも◎。
そして翌日は、近鉄特急で伊勢へ。
ここで、ちょっとした事件が…
(続く)
Right on time!
忙しくて10日程ビクラムを休んでいました。
今週の水曜日から復活して、水、木、金、土とやっと連続4日。
連続4日を超えた位から私の場合は精神状態も身体も良くなっているのを実感できるようになります。
なので、なるべく休まないようにしているのですが…ときどき足が向かなくなる時期が来ます。
今回は最も大きい理由はもちろん、忙しかったこと。
でも実際は行こうと思えば行けたし、忙しい程プラクティスした方が良いことは自分が一番わかっている。
でも、今回は足が向かなかったー。
大体この状態になる理由は、プラクティス中に内ではなく外ばかりが気になってしまうようになった時。いつもなら、多少気になる…程度ですぐに自分に集中できるのに、この状態にハマると本当に気になってプラクティスどころではなくなっちゃう。
イライラし、怒りさえ湧いて、雑になり最悪の場合怪我をする。
その原因は、大抵、先生の言うこともしくはダイアローグを聞かない人が出て来た時。
先生のダイアローグと違うタイミングでイン/アウトしたり、ポーズの間でまっすぐStand Stillせずに身体を動かしたり、ひどいときは左右の間のタイミングで変なことをし出す。
例えば、Standing Head to kneeの左右の間に腰をぐるぐる回す…トライアングル前に左右にスクワットする、awkward poseでやたらと横の鏡をちらちら見たり…。
特に最前列でこれらをすると目立つし、しかも先生が注意しても全く気にする様子もなく、ひどいときはあからさまにブーっと不機嫌になっている人までいる。これでは、先生もアドバイスしづらいですよね…。
以前に通っていたスタジオがエチケットについてはとても厳しいスタジオだったので、最前列は聖域で、手本になる人、クラスを引っ張れる人のポジションでした。もちろん、長く通っていていつも涼しい所にいると先生から、「そろそろ前で練習しなさい」といわれたり、混んでて一番前しか空いていない時に初心者の方が来て、場所のチェンジをいわれて偶然最前列なったりで、私も前で練習することもあったけど…呼ばれて嬉しいと同時に、いつも緊張する瞬間なのです。時々、もう一回やって見て、と良い例だったり、悪い例だったりで使われたりもするのですよ、最前列は。
だから、特に一番前でのおかしな行動は気になってしょうがない。しかも長くやっている風な方に限って、先生に言われても違うことをし続けることが良くある。
もちろん、日本のスタジオでは一番前は聖域ルールはないし、暑いのが好きな人なら誰でも行って良いんだと思いますよ。私も、自分に余裕のあるときはそれも集中の鍛錬と思い受け流すことができるのだけど…この数週間は気になってダメだった。だから、忙しさにかこつけて休んでいたのです。
10日空けた後の3日目、やっとヘロヘロ状態から少し余裕がでてきたところ…
一緒に帰ったヨガメイトさんが帰り路で全く同じことを言い出した。
最近気になってしょうがないから練習場所を変えたそうだ。家が遠くて週2回しか来ないのでとても貴重な時間なのに…と悲しそうでちょっぴり怒ってもいた。
長く練習していても体調が悪くてポーズの間にふらついたりしてしまうこともあるし、運悪くそれが一番前で練習している時に起きてしまうこともある。それでふらふらするのは仕方の無いことだし、先生も注意をするのではなく、座るように言ったり、横なるように言ってくれたり気を使ってくれる。
気になるのはそう言うのではなくて、“いつもいつも同じところ”でタイミングがずれたり、他の人がポーズをとっていても、一番前で座って水をがぶ飲みしたり、違うことをしたり、そして言われても全く直さない。。。いっぱいいっぱいで聞こえてないのでは無いと思う。
ポーズが毎回同じだからルーティン化して、耳が閉じて聞こえなくなっているんだと思う。私だってそういうときもある。
※誤解の無いように言わせて下さい。
人を否定するつもりで書いているのではないのです。ヨガは自分と向き合うものなので、どんな状況であっても周りが何をしていようと、自分がちゃんと自分の練習ができること、平常心でいられることが理想だと思っています。 気になってしまって練習できなくなっているのは自分の問題で、自分に向けてのメッセージとご理解頂けると嬉しいです。
そんなこんなで、悶々していたらサンノゼからのニュースレター
が来た。
またこれが、同じようなネタでした!
必要な時に、必要なタイミングでアドバイスが与えられるもんですねー。
今週の水曜日から復活して、水、木、金、土とやっと連続4日。
連続4日を超えた位から私の場合は精神状態も身体も良くなっているのを実感できるようになります。
なので、なるべく休まないようにしているのですが…ときどき足が向かなくなる時期が来ます。
今回は最も大きい理由はもちろん、忙しかったこと。
でも実際は行こうと思えば行けたし、忙しい程プラクティスした方が良いことは自分が一番わかっている。
でも、今回は足が向かなかったー。
大体この状態になる理由は、プラクティス中に内ではなく外ばかりが気になってしまうようになった時。いつもなら、多少気になる…程度ですぐに自分に集中できるのに、この状態にハマると本当に気になってプラクティスどころではなくなっちゃう。
イライラし、怒りさえ湧いて、雑になり最悪の場合怪我をする。
その原因は、大抵、先生の言うこともしくはダイアローグを聞かない人が出て来た時。
先生のダイアローグと違うタイミングでイン/アウトしたり、ポーズの間でまっすぐStand Stillせずに身体を動かしたり、ひどいときは左右の間のタイミングで変なことをし出す。
例えば、Standing Head to kneeの左右の間に腰をぐるぐる回す…トライアングル前に左右にスクワットする、awkward poseでやたらと横の鏡をちらちら見たり…。
特に最前列でこれらをすると目立つし、しかも先生が注意しても全く気にする様子もなく、ひどいときはあからさまにブーっと不機嫌になっている人までいる。これでは、先生もアドバイスしづらいですよね…。
以前に通っていたスタジオがエチケットについてはとても厳しいスタジオだったので、最前列は聖域で、手本になる人、クラスを引っ張れる人のポジションでした。もちろん、長く通っていていつも涼しい所にいると先生から、「そろそろ前で練習しなさい」といわれたり、混んでて一番前しか空いていない時に初心者の方が来て、場所のチェンジをいわれて偶然最前列なったりで、私も前で練習することもあったけど…呼ばれて嬉しいと同時に、いつも緊張する瞬間なのです。時々、もう一回やって見て、と良い例だったり、悪い例だったりで使われたりもするのですよ、最前列は。
だから、特に一番前でのおかしな行動は気になってしょうがない。しかも長くやっている風な方に限って、先生に言われても違うことをし続けることが良くある。
もちろん、日本のスタジオでは一番前は聖域ルールはないし、暑いのが好きな人なら誰でも行って良いんだと思いますよ。私も、自分に余裕のあるときはそれも集中の鍛錬と思い受け流すことができるのだけど…この数週間は気になってダメだった。だから、忙しさにかこつけて休んでいたのです。
10日空けた後の3日目、やっとヘロヘロ状態から少し余裕がでてきたところ…
一緒に帰ったヨガメイトさんが帰り路で全く同じことを言い出した。
最近気になってしょうがないから練習場所を変えたそうだ。家が遠くて週2回しか来ないのでとても貴重な時間なのに…と悲しそうでちょっぴり怒ってもいた。
長く練習していても体調が悪くてポーズの間にふらついたりしてしまうこともあるし、運悪くそれが一番前で練習している時に起きてしまうこともある。それでふらふらするのは仕方の無いことだし、先生も注意をするのではなく、座るように言ったり、横なるように言ってくれたり気を使ってくれる。
気になるのはそう言うのではなくて、“いつもいつも同じところ”でタイミングがずれたり、他の人がポーズをとっていても、一番前で座って水をがぶ飲みしたり、違うことをしたり、そして言われても全く直さない。。。いっぱいいっぱいで聞こえてないのでは無いと思う。
ポーズが毎回同じだからルーティン化して、耳が閉じて聞こえなくなっているんだと思う。私だってそういうときもある。
※誤解の無いように言わせて下さい。
人を否定するつもりで書いているのではないのです。ヨガは自分と向き合うものなので、どんな状況であっても周りが何をしていようと、自分がちゃんと自分の練習ができること、平常心でいられることが理想だと思っています。 気になってしまって練習できなくなっているのは自分の問題で、自分に向けてのメッセージとご理解頂けると嬉しいです。
そんなこんなで、悶々していたらサンノゼからのニュースレター
が来た。またこれが、同じようなネタでした!
必要な時に、必要なタイミングでアドバイスが与えられるもんですねー。
陰陽
色々諸事情ありまして(会社が大組織再編をやっただけなんだけど…)
突然思い立ちお伊勢参りにいってみたり、
ちょっとヨガから遠ざかってました…。
さて、復活ヨガはYing Yang Yoga. いきなりアシュタンガやビクラム
は辛いっしょ ってことで…。
ビンゴでしたねービンゴ。
何が次に出て来るかわからないシークエンスが決まっていないヨガ。
ひとつのポーズをナガーーーーーークトって心と身体が開くのを観察。
いかに自分がYang(陽)で息が詰まっていたかがわかったような…。
性格的にも陽よりだと思うので、今は陰が必要なのかも…
Yangなヨガに復活するのがちと怖い。
突然思い立ちお伊勢参りにいってみたり、
ちょっとヨガから遠ざかってました…。
さて、復活ヨガはYing Yang Yoga. いきなりアシュタンガやビクラム
は辛いっしょ ってことで…。
ビンゴでしたねービンゴ。
何が次に出て来るかわからないシークエンスが決まっていないヨガ。
ひとつのポーズをナガーーーーーークトって心と身体が開くのを観察。
いかに自分がYang(陽)で息が詰まっていたかがわかったような…。
性格的にも陽よりだと思うので、今は陰が必要なのかも…
Yangなヨガに復活するのがちと怖い。
外から見てみて見えてくること
逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
外国人の目から見た、開国前の日本について書いた本です。長いです(笑)。
ぜひぜひ読んでいただきたい作品ですが、超かいつまんで言うと、
西洋の文明化が入ってくる直前の日本が、外国人の目を通してみてどのように映っていたのかということが書いてあります。
ペリーやヒュースケンなどおなじみの人物も登場し、いわゆる西洋の文明からみると日本の開国前は文明が無いというか、”西洋で言う文明化”以前の日本の生活を描写しています。
失われるには惜しいと外国人が思うくらいの当時の江戸や日本の生活や文化を、必死に悪いもの、無き物としようとする日本の当時のインテリ層のことなども書いてあります。
確かに存在した物を非文明的だとして、自ら必死に無かった物としようとしたため、外国人の評したものしか当時を語る書物が無いとも書いてありました。
この、インテリ層って言われる人達のスタンスって、きっと今も変わってない。隠蔽気質って言うのかな、そこがまた面白いなーと思いました。
で、あとがきで何でこの著者がこんなに長い本を書く必要があったのかが何となく見えて来たわけです。
この作者も大連(日本国外)で過ごした人。
あとがきに著者自身が書いている、日本人であり祖国に帰って来たのに異邦人のような感覚。これ、外国である程度の期間過ごしたことのある人は結構経験しているのでは無いですか?
日本の外に出たから見えて来るこの国の、良い部分・悪い部分。
中にいる人はなかなか気付くのが難しいんだろうなーって思います。
特筆すべきは、日本の庶民が皆 西洋文明的見地からは、必ずしも豊かではなくても、幸福そうに見え、住居や風景は美しく、人々が親切だと皆が言っていること。
そう、当時の日本は、ヨガ的に言えば常に現状を受け入れて満足しているが故の精神的な豊かさ。西洋の文明で言う金銭や効率的な豊かさとは違う豊かさの尺度があったのでしょう。
客観的に外から自分や自国を見る感覚が薄い人々が、このような本を書く人を「アンチジャパン」とか「アメリカナイズされている」とか言うんだろう。
これって実はグローバル、グローバルって言われている今も変わってない、って思うんですね。
今この現在でも、客観的に外から自分や自国を見る感覚が薄い人、かつ日本で比較的既得権を得ている人程、声高にグローバルを叫び、頭の中は超内向きドメスティック思考の人が多い気がする。
私の勤めている会社も、「日本の」名だたる大学を卒業され、何もしなくてもとりあえずある程度までは行けると約束された人がまだ居たり…そう言う人に限って、社費留学とかしていてちょっぴり英語が話せたりして、でもマインドが閉鎖的で自分はグローバル人材とか言うのだから結構困ることがある。
例えば外国からのゲストのいる食事の席で、女性社員にとなりに行ってお酌をしろと勧めたり。私も何度かそのようなディナーの場に立ち会い、ゲストが非常に恐縮&困惑して、帰り路でこっそり、「あれは日本ではセクハラにならないの?」と聞かれたことさえある。自分の国ではすぐに、人事行きのネタだと言っていました。
大学だけをアメリカで過ごした私は、別に帰国子女でも何でもないのだけど、小さな頃から何となく違和感を感じてはいました。
18歳ではじめて日本をでて、オレゴンの大学に行き、それから色々な国を旅したけれど、いつも淡い色の日本の空よりもアメリカや、ハワイや、ペルーなどで観た濃くてはっきりした空の青と濃い緑に惹かれていた。
この本の著者も異国の空の方が好きだったらしい...(余談だが湿気が苦手と言う所も私と共通。。。)
ただ私自身、ずーっと感じていた違和感を埋めるように、日本のもっとも日本らしい会社に入り、自分がやって行けるじゃん、ちゃんと日本人じゃん!と言うことを確認したくて頑張って来たけれど…
違和感がどんどんくっきりしてきて、2006年に1年半程 日本を離れて帰って来てみれば、その違和感は日増しにくっきりしてくるばかりな気がしています。
海外の大学で学び、仕事をするチャンスがあったのおかげで、言葉の面だけでなく世の中には色んな人がいて、色んな考え方があるからコミュニケーションを重視し、ちゃんと皆に見えるルールてやっていかないとうまく行かないことを痛い程実感している。
正直、アメリカで仕事していた方がやりやすかったし、居心地が良かった。
出身国や言葉のレベルも様々だから、必ずコミュニケーションをとり明確に意思疎通を行うことが必須。それは、皆違うことが前提で仕事をするからかなーと思っている。
でも、いざ日本の会社に戻ってみると、それをアメリカナイズ(これも限定的で嫌いな言葉)されているとか、アンチ日本だとか言う人は結構いるんです。
毎日遅くまで仕事をしたり、節電で暑い中も残業したり、地震で祖国に帰る外国人を悪く言ったりする。仕事で心と身体が壊れてしまうまで働くが故に保たれているクオリティがあることは理解している。
例えば日本の職人芸や様々な伝統文化は、効率化を超えた部分にあることを尊敬しているし、それ故に世界から評価されていることもたくさん思う。
でもこれがますますグローバルビジネスの世界ではネガティブになってしまうことがあると思っている。そして同質でない物を排除したり、同じにできない人を排除する気質が、これだけ色々な国が近くなった現代ではマイナスになることも多くなっている。
そしてこの排他は外国人というより、実は日本人に向けての方が厳しくキツい。
あえて使うけど西洋化された日本人に向けられる評価の方がぐっと厳しい。
まあ、当人はちっとも自分が西洋化されているって思ってなくて他人が「アメリカナイズされている」(しつこいけどなぜ、アメリカなのかヨーロッパナイズは無いのか疑問だけど…)と言うだけなんでしょうけど。
例えば、目的やゴールが明確でない会議を延々に続けて、外国人の社員が出て行ってしまっても誰も何も言わないけど、もし日本人である私が、同じことをすれば非難囂々になるのは明らか。
これは、お子さんがいて残業できない方や、節電で冷房の切れた暑いオフィスで体調が悪くなって我慢して働くことができない人や、放射能の恐怖で一時避難したりする人が、悪く言われたり、ひどい場合は出世をあきらめなくてはならないなどのどこにも書かれていない制裁を受けることになる。
同じにできない人、とにかく一緒に(我慢)できない人には非難が向けられるのです。特にそれが同じニホンジンであればますますひどくなる。
この本に書いてある、日本に西洋文化が入る前、当時の外国人賞賛したという日本の良さは、日本のインテリ層が必死に忌むべき物で過去に捨て去るべき物として葬り去られようとしていると書いてある。
これを読んで私の気持ちが少し晴れたような気がした。
私自身はなぜなのか、たまたま非常に西洋的な物の考えがすっと馴染み、心地よかったけど、多くの人にとっては長い間に刷り込まれた日本人気質が開国後もう随分たっても消える物では無いんだろうと思うんですね。色々考えてみると、小さな時に祖父母に預けられ、歯科医をしていた祖父がとても異端というか変わり者で、バイオリンを弾いて学費を稼ぎ、戦争中は駐留しているアメリカ軍の歯を診て、空襲が来る情報を得たり、当時としては珍しいのであろう新婚旅行はヨーロッパで、祖母は良く「じいちゃんは、あんなだけど、新婚旅行のときはペラペラと英語やドイツ語で話してたよー」と言っていた。
まあ、私がどうして、日本(企業)に馴染めないのかはおいておいて…
開国以降の西洋文明化の流れのなかで、「(西洋から見て)文明的でない」と言われ、日本のエリートが必死で無き物しようとした気質が実はまだ残っていて、それとは違う価値観の人達とビジネスをしなくてはならない現在今、その非文明的日本人気質に自分自身で脅威になっているのかも。
実は開国前と気質は殆ど変わっていない日本人にとって、特に多くエリートの人々にとっては受け入れなければならないと思いつつも、自分の日本人の気質がそうさせないことへのジレンマなのかなと…。
だって、日本のエリートと呼ばれる人達(誤解を恐れずにいうと官僚や大企業の幹部及び幹部候補生)は、日本ではすごーーーーく既得権のある大学を出ていたりしているわけだから、別に自分の気質に会わない文化や価値観をもった人と交わらなくたって十分(日本のなかでは)エラくなれますからね。
別にグローバル、アウェーで頑張らなくたって良いわけですよね。
だから、同じニホンジンでありながらスーットそちら(ウエスタン)を受け入れている人々に対して、やっかみというか、「こいつニホンジンなのに!」という気持ちが拭えないのではないかなと思う。
「わかっちゃいるけど、消えない日本人気質、でも無理して“自分はグローバルなんです"って証明しなくちゃ行けない…」これが、日本のエリートさんたちに蔓延していて、何とも言えない閉塞感ややっかみ、出る杭を打つ気質がつくられているのかなーと思うわけです。
私の職場も多くの人が、が多い。そして多くの日本の大企業や政界トップいわゆる日本で既得権の得られるの有名大学を卒業した人材で構成されているとすれば、心の開国はまだまだ先なのかもしれませんね。というか、無理...?
2011.8.6 追記
外国人の目から見た、開国前の日本について書いた本です。長いです(笑)。
ぜひぜひ読んでいただきたい作品ですが、超かいつまんで言うと、
西洋の文明化が入ってくる直前の日本が、外国人の目を通してみてどのように映っていたのかということが書いてあります。
ペリーやヒュースケンなどおなじみの人物も登場し、いわゆる西洋の文明からみると日本の開国前は文明が無いというか、”西洋で言う文明化”以前の日本の生活を描写しています。
失われるには惜しいと外国人が思うくらいの当時の江戸や日本の生活や文化を、必死に悪いもの、無き物としようとする日本の当時のインテリ層のことなども書いてあります。
確かに存在した物を非文明的だとして、自ら必死に無かった物としようとしたため、外国人の評したものしか当時を語る書物が無いとも書いてありました。
この、インテリ層って言われる人達のスタンスって、きっと今も変わってない。隠蔽気質って言うのかな、そこがまた面白いなーと思いました。
で、あとがきで何でこの著者がこんなに長い本を書く必要があったのかが何となく見えて来たわけです。
この作者も大連(日本国外)で過ごした人。
あとがきに著者自身が書いている、日本人であり祖国に帰って来たのに異邦人のような感覚。これ、外国である程度の期間過ごしたことのある人は結構経験しているのでは無いですか?
日本の外に出たから見えて来るこの国の、良い部分・悪い部分。
中にいる人はなかなか気付くのが難しいんだろうなーって思います。
特筆すべきは、日本の庶民が皆 西洋文明的見地からは、必ずしも豊かではなくても、幸福そうに見え、住居や風景は美しく、人々が親切だと皆が言っていること。
そう、当時の日本は、ヨガ的に言えば常に現状を受け入れて満足しているが故の精神的な豊かさ。西洋の文明で言う金銭や効率的な豊かさとは違う豊かさの尺度があったのでしょう。
客観的に外から自分や自国を見る感覚が薄い人々が、このような本を書く人を「アンチジャパン」とか「アメリカナイズされている」とか言うんだろう。
これって実はグローバル、グローバルって言われている今も変わってない、って思うんですね。
今この現在でも、客観的に外から自分や自国を見る感覚が薄い人、かつ日本で比較的既得権を得ている人程、声高にグローバルを叫び、頭の中は超内向きドメスティック思考の人が多い気がする。
私の勤めている会社も、「日本の」名だたる大学を卒業され、何もしなくてもとりあえずある程度までは行けると約束された人がまだ居たり…そう言う人に限って、社費留学とかしていてちょっぴり英語が話せたりして、でもマインドが閉鎖的で自分はグローバル人材とか言うのだから結構困ることがある。
例えば外国からのゲストのいる食事の席で、女性社員にとなりに行ってお酌をしろと勧めたり。私も何度かそのようなディナーの場に立ち会い、ゲストが非常に恐縮&困惑して、帰り路でこっそり、「あれは日本ではセクハラにならないの?」と聞かれたことさえある。自分の国ではすぐに、人事行きのネタだと言っていました。
大学だけをアメリカで過ごした私は、別に帰国子女でも何でもないのだけど、小さな頃から何となく違和感を感じてはいました。
18歳ではじめて日本をでて、オレゴンの大学に行き、それから色々な国を旅したけれど、いつも淡い色の日本の空よりもアメリカや、ハワイや、ペルーなどで観た濃くてはっきりした空の青と濃い緑に惹かれていた。
この本の著者も異国の空の方が好きだったらしい...(余談だが湿気が苦手と言う所も私と共通。。。)
ただ私自身、ずーっと感じていた違和感を埋めるように、日本のもっとも日本らしい会社に入り、自分がやって行けるじゃん、ちゃんと日本人じゃん!と言うことを確認したくて頑張って来たけれど…
違和感がどんどんくっきりしてきて、2006年に1年半程 日本を離れて帰って来てみれば、その違和感は日増しにくっきりしてくるばかりな気がしています。
海外の大学で学び、仕事をするチャンスがあったのおかげで、言葉の面だけでなく世の中には色んな人がいて、色んな考え方があるからコミュニケーションを重視し、ちゃんと皆に見えるルールてやっていかないとうまく行かないことを痛い程実感している。
正直、アメリカで仕事していた方がやりやすかったし、居心地が良かった。
出身国や言葉のレベルも様々だから、必ずコミュニケーションをとり明確に意思疎通を行うことが必須。それは、皆違うことが前提で仕事をするからかなーと思っている。
でも、いざ日本の会社に戻ってみると、それをアメリカナイズ(これも限定的で嫌いな言葉)されているとか、アンチ日本だとか言う人は結構いるんです。
毎日遅くまで仕事をしたり、節電で暑い中も残業したり、地震で祖国に帰る外国人を悪く言ったりする。仕事で心と身体が壊れてしまうまで働くが故に保たれているクオリティがあることは理解している。
例えば日本の職人芸や様々な伝統文化は、効率化を超えた部分にあることを尊敬しているし、それ故に世界から評価されていることもたくさん思う。
でもこれがますますグローバルビジネスの世界ではネガティブになってしまうことがあると思っている。そして同質でない物を排除したり、同じにできない人を排除する気質が、これだけ色々な国が近くなった現代ではマイナスになることも多くなっている。
そしてこの排他は外国人というより、実は日本人に向けての方が厳しくキツい。
あえて使うけど西洋化された日本人に向けられる評価の方がぐっと厳しい。
まあ、当人はちっとも自分が西洋化されているって思ってなくて他人が「アメリカナイズされている」(しつこいけどなぜ、アメリカなのかヨーロッパナイズは無いのか疑問だけど…)と言うだけなんでしょうけど。
例えば、目的やゴールが明確でない会議を延々に続けて、外国人の社員が出て行ってしまっても誰も何も言わないけど、もし日本人である私が、同じことをすれば非難囂々になるのは明らか。
これは、お子さんがいて残業できない方や、節電で冷房の切れた暑いオフィスで体調が悪くなって我慢して働くことができない人や、放射能の恐怖で一時避難したりする人が、悪く言われたり、ひどい場合は出世をあきらめなくてはならないなどのどこにも書かれていない制裁を受けることになる。
同じにできない人、とにかく一緒に(我慢)できない人には非難が向けられるのです。特にそれが同じニホンジンであればますますひどくなる。
この本に書いてある、日本に西洋文化が入る前、当時の外国人賞賛したという日本の良さは、日本のインテリ層が必死に忌むべき物で過去に捨て去るべき物として葬り去られようとしていると書いてある。
これを読んで私の気持ちが少し晴れたような気がした。
私自身はなぜなのか、たまたま非常に西洋的な物の考えがすっと馴染み、心地よかったけど、多くの人にとっては長い間に刷り込まれた日本人気質が開国後もう随分たっても消える物では無いんだろうと思うんですね。色々考えてみると、小さな時に祖父母に預けられ、歯科医をしていた祖父がとても異端というか変わり者で、バイオリンを弾いて学費を稼ぎ、戦争中は駐留しているアメリカ軍の歯を診て、空襲が来る情報を得たり、当時としては珍しいのであろう新婚旅行はヨーロッパで、祖母は良く「じいちゃんは、あんなだけど、新婚旅行のときはペラペラと英語やドイツ語で話してたよー」と言っていた。
まあ、私がどうして、日本(企業)に馴染めないのかはおいておいて…
開国以降の西洋文明化の流れのなかで、「(西洋から見て)文明的でない」と言われ、日本のエリートが必死で無き物しようとした気質が実はまだ残っていて、それとは違う価値観の人達とビジネスをしなくてはならない現在今、その非文明的日本人気質に自分自身で脅威になっているのかも。
実は開国前と気質は殆ど変わっていない日本人にとって、特に多くエリートの人々にとっては受け入れなければならないと思いつつも、自分の日本人の気質がそうさせないことへのジレンマなのかなと…。
だって、日本のエリートと呼ばれる人達(誤解を恐れずにいうと官僚や大企業の幹部及び幹部候補生)は、日本ではすごーーーーく既得権のある大学を出ていたりしているわけだから、別に自分の気質に会わない文化や価値観をもった人と交わらなくたって十分(日本のなかでは)エラくなれますからね。
別にグローバル、アウェーで頑張らなくたって良いわけですよね。
だから、同じニホンジンでありながらスーットそちら(ウエスタン)を受け入れている人々に対して、やっかみというか、「こいつニホンジンなのに!」という気持ちが拭えないのではないかなと思う。
「わかっちゃいるけど、消えない日本人気質、でも無理して“自分はグローバルなんです"って証明しなくちゃ行けない…」これが、日本のエリートさんたちに蔓延していて、何とも言えない閉塞感ややっかみ、出る杭を打つ気質がつくられているのかなーと思うわけです。
私の職場も多くの人が、が多い。そして多くの日本の大企業や政界トップいわゆる日本で既得権の得られるの有名大学を卒業した人材で構成されているとすれば、心の開国はまだまだ先なのかもしれませんね。というか、無理...?
2011.8.6 追記