学習意欲は低いのに、能力はそこそこ高い…これって悲劇でしょ!? | 作文・読解力など国語力向上 学習塾ラーニング・ラボ横浜天王町教室のスタッフブログ!

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テストの成績が気になる一方で、中高生の5割が「勉強しようという気持ちがわかない」 年齢が上がるにつれて「得意」が減る傾向も

ベネッセ教育総合研究所が3月14日、東京大学社会科学研究所と共同で実施した「子どもの生活と学びに関..........
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大変興味深い調査結果です。

とはいえ、すでにこのことはさまざまな調査で分かっていることであります。

文科省が毎年実施している「全国学力・学習状況調査」や国際学力調査であるOECD-PISAにおいても、日本の学生は端的に言って、「基礎的な能力は高いけど、学習意欲が低い」という結果が出ています。

これは多くの人が実際に見聞きし、実感されていることのようにも思います。


社会現象や教育問題は教員や関係者の経験則で語られることもあるのですが、この話題に関しては、もういくつもの調査で明らかにされているので、まず間違いのないことなのでしょう。

それが近々の調査でも明らかにされたのですから、やはり教育関係者を始め、子を持つ親御さんはより意識して教育を考えて頂きたいものです。



だって、学習意欲が低いのに能力は高いっていうのは、よくよく考えればたいへん不思議な現象ではないですか?

そんな人が社会に出て、現在ようなの変化の早い、激しい社会の中で、どうやって活躍していくのでしょうか。




意欲が低いのであれば行動が伴わず、学力の形成だって上手くいかない…というのが自然な流れのような気もします。

しかし、日本の学生は「嫌々やっていて、それなりに力はつけている」という状態。


記事にもあるように学習意欲の低い学生もテストの成績は気になる、というのです。

「ここテストに出すぞー」
「ここテストに出るからしっかりやっておけ」


勉強の場面では、こうしたセリフをよく見聞きします。

もちろん僕自身も「テスト対策」を依頼される身ですから、そうした場面では「これはテストに出るから」という投げかけをすることがあります。


ただ、やはり日本においては、テストを過度に意識した勉強が学習のすべてになってしまってはいないか。
実は、それが今回の調査結果が示すような現象をもたらす要因になっていると思うのです。

僕はこれまでも同様の趣旨のことはくり返し語ってきましたし、ラーニング・ラボというのは、そんな問題意識から発信した学びの場の1つであります。



「学習意欲が低いのに学力はある」


テストというものが必要以上に強力な装置として子どもの学習に多大な影響力をもってしまっている。

だからこそ、テストへの意識は高い。

しかし、テストで良い成績を得る以外(以上)に学習をする目的意識はない。

ただし、テストで一定の成績を得ることをしているから、能力はそこそこ高い。


世界に目を向ければ、こんな摩訶不思議な状況は稀有な存在であり、ある意味贅沢な悩みとも言えます。

「勉強したくてもできない」

途上国などでは当たり前に存在する状況です。

でも、だからこそ彼らは非常に意欲が高く、学べる環境があればもの凄い勢いで学ぶ。

だから、意欲も能力も高い。


現在、東南アジア諸国などでは経済的は発展が目覚ましく、学習意欲が高く、よって能力の高い学生もたくさんいます。


日本はアジアの中ではいち早く先進国となり、経済的にも繁栄してきました。

が、もはやいまはその過去の遺産を継承し、何とか経済大国という立ち位置にいるという状態です。


このままではおそらく新興国にその地位を取って代わられるでしょう。

もちろん彼らをリードできる立場にいなければならないわけではありません。

別に世界No1、No2で在り続けることがすべてではありません。


しかし、自ら衰退の一途をたどるのを甘んじて受け入れるのは何となく違う、僕はそう思います。



だからこそ、彼らの勢いで相対的に順位などが変わったとしても、日本は日本でしっかり自分たちの立ち位置を見出し、発展していかなければなりません。

それは僕らが頑張るってことも大事ですが、これからの世代の子ども達にもそうした価値観を持ってもらい、皆が国や地域、世界というものを意識して働いていかなければならないことです。


だから、みなさん。

ちょっとテストとか入試みたいなもの中心に考えた教育を置いておきませんか?

いやいやそんなの急には無理だというのはわかっています。

だから、テストや入試みたいなものに振り回されず、大事な学習がきちんとできるようにしませんか?



このままの状態が進んで行けば、間違いなく日本の社会はぐだぐだになるでしょう。


すでにオックスフォード大学でAI(人工知能)などの研究を行うマイケル・A・オズボーン准教授が、10年後に消える仕事などを発表しています。
約47%の仕事が消滅するとか。

Googleの創業者でCEOのラリー・ペイジも人工知能の発達によって多くの人が今とは異なる仕事に就いていると語っています。

そうした大きな変化がすぐそこまで来ているのに、人間が学ぶことが旧来のままのテストにしばられたもので良いはずがない。


これまでのテストや入試で測られる力の大きな特徴は、情報の記憶量とその短時間での処理能力です。

近代社会を構築するために、日本は近代列強が持つような軍隊と工場が必要でした。
だからこそ、そのための素養を培うことを目的として近代学校が導入されました。

それは戦後にも継承され、日本においては「入学試験」が強い力を持った学校制度が教育の中心に置かれます。
だからこそ「学歴社会」や「学歴主義」などが誕生し、その弊害は1980年代あたりから顕在化しはじめました。

テストや入試は近代日本にとっては良い悪いは別にして必要不可欠なものであったともいえます。

しかし、今はもう、そこで求められる力は何の価値もなくなるかもしれないものなのです。

もちろん、まったく否定するつもりも、するべきものでもありません。

しかし、ギリギリなんとかそれを習得したところで、将来どうにもならないというほどのものなのだという認識は少なくとも持っておくべきです。


20年前であればそれだけで、ある意味安泰な人生が待っていたのでしょう。

学校の勉強を頑張って良い大学に入れば、それで人生上がりだったのでしょう。


でも、いまはもう無理です。


良い大学に入ったということだけではその先の長い人生目をつぶってても良い方に流れるなんて、そんな「幸せな」時代は幕を下ろしました。


だからお願いです。

ちゃんと勉強しましょ。

いや、学びましょ。



なぜ僕がこんなことをいうのか。

その理由はただ一つ。


僕自身が良い社会に生きて、良い人生を全うしたいから。

程度の差や内容の多少の違いはあれ、あなたも同じように考えてはいませんか?


人間は良くも悪くも一人では生きていけません。
多くの人やモノたちと直接、間接的につながって生きています。
生かされていると言っても良いでしょう。

だから、環境が、周囲の人やモノが、社会が世界がよろしくなければ、自分一人が頑張ったって、結果は良いものにはならないのです。

だから、僕は周りの人とともに良いものを目指したい。

「勉強したくない」
「メンドクサイことはしたくない」
「将来!?…特に何もない」


なんて寂しいことを平然と言ってのける子どもばかりが増えるような事態をなくしたい。

そのためにこそ僕は働いているつもりです。

もちろん微々たる力ですから、その思いを日々実現できているわけではありません。


だから、あなたにも協力して頂きたいのです。
だから、あなたにも目を覚まして頂きたいのです。
だから、あなたにもくり返しこうしてご提案しているのです。


みんなで一緒に頑張りませんか!?」と。



何か現状に閉塞感や不健全さ、危険性などを感じ取られた方は、ぜひ考えてみてください。
そして、その考えをぜひお聞かせください。

何かのヒントになればと、以下のようなカテゴリーをつくって気になる記事をストックしたり、情報をまとめています。

ぜひご覧ください。
「これからの時代を生きる力って何だ!?」


そして最後に、やっぱり多くの人に見てほしい。
きっと何かを感じてもらえるはずです。
至るところで引用していますが、しつこくもう一度ご紹介します。




※同様の趣旨でサイトをつくっています。よろしければぜひご覧ください。
 【偏差値が高いだけの受験学力バカにならない学習方法