夏休みの宿題の中でも、一番の強敵と言ってもよい?「読書感想文」。
ぼちぼち本を読み終わった子が出てきて、
いよいよ本格的に感想文を書き始めています。
毎年思うことですが、
読書感想文を書くこと自体、
今の私にはそれほど大変な作業ではない。
でも、誰かの感動文を書くお手伝いとなると、
もう何年もやっていることだけど、
やっぱり難しい。
全員の生徒の本を読んでいるわけではないし、
その場で読み切れるわけではないない。
だから、生徒が語る断片的なあらすじを頼りに、
対話をくり返しながら作業を進めることになる。
自分が完全に読んでいなくても、
生徒が語った内容の部分だけに限定しても、
自分の感想はそれなりに出て来る。
自分だったらこう書くかな、というイメージも出て来る。
ただし、そのイメージと本人が抱いているものは、
必ずしも一緒ではない。
もちろんある程度に通った部分も出て来るけど、
それを言葉に表すとなるとけっこう違いが出て来る。
当然といえば当然のことです。
でも、ここに難しさの一端がある。
違いがあるからこそ、自分のイメージを押し付けずに、
しかし、子どもたちの漠然としている感想(のイメージ)に、
適確に言葉を置いていく・・・。
それが読書感想文の指導なわけです。
これが難しい。
難しいのだけど、いや難しいからこそ、
そこがまた楽しいのですね。
きっと、本の内容や感想をどんどん誘導的に整理していって、
私のイメージに引き寄せた感想文を書かせてしまうことは容易にできるでしょう。
そうした指導が行われている所もあるのかもしれません。
感想文を書く本人は、どちらかと言えば、内容うんぬんよりも、
さっさと終わらせたいという気持ちの方が大きいでしょう。
であれば、先生に「押し付けられて」でもさっさと書けた方が良い。
でも、私はそうはしない。
手間がかかっても、どれだけ本人が苦しそうにしても、
良い言葉がつむげずにイライラして、放棄しそうになっても、
それでも、やはり私のイメージだけで書かせることはしない。
もちろんどうしようもない場合もある。
どれだけいろいろ探っても、
全然ピンと来ていないという人もいる。
そういう人に本の記述にそって敏感に反応してもらうというのは、
けっこう酷な話でもあるんですね。
そういう時には、「こんな感じでまとめてみて」と、
半ば「解」を与えてしまう。
私自身は「解」として提示したつもりはさらさらないけれど、
それを一言一句逃さず写し取る人さえ毎年何人かはいる。
それくらいただの苦行となってしまう場合もあるのだ。
でも、そういう場合の救済措置以外では、
極力私の感想を封印し、子ども達がひとまず感じたこと、
言葉にしてもらいます。
私と対話するなかで理解が深まり、
よくよく考えることで感じられるようになった思い、
それらと出会うことでより本の内容を豊かに味わったり、
新たな発見から、自分自身の成長等を実感する人も出てきます。
そうした経験をぜひみなさんにしてほしい。
小中学生のうちに。
ですから、本を読むのが苦手な人、
文章を書くのがキライな人、
読書感想文の作業が嫌な人、
いろいろいると思いますが、
そうした人であっても、
きちんと自分の感じたこと、
何となく言葉にならないイメージ、
それらを言葉にする作業を踏んで行ってほしい。
なるべくあなたが感じたものを言葉にしたいから。
自分の感想はグッと堪えて。
あなたになったつもりで。
さて、今年はいったい何人の「あなた」の作文を(頭の中で)書くことになるのでしょうか。
楽しみ。
だけど、やっぱり私も苦しい。
みんな一緒だ。
だから、一緒に頑張ろう。
その先には今までいなかった自分がいるはずだ。
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