さて、先週の金曜日のこと。
(投稿したつもりが保存になっていた(+o+))
またまた深夜に帰宅して見るとはなしにTVをつけていたら、
ちょうど番組が始まったところでした。
月末の金曜日といえば、
そう「朝生」です。
今回は「安保法制」がテーマ。
先日、関連事項について記事を書いてますが、
(それはこちら⇒http://ameblo.jp/learning-labo/entry-12018513960.html
ちょっと気になる発言等があったので、
コメントを記してみたくなりました。
やはり近しい人には誤解してほしくないし、
何より主権者として、自ら思考してほしいから。
気になったことというのは、
独立総合研究所代表、青山繁晴さんの発言に対する、
あるお二方のリアクション。
青山さんが、拉致の問題や尖閣、小笠原のサンゴの問題を取り上げ、
日本はこれまで近隣諸国と「話し合い」を重ねて重ねて・・・来た。
でも、拉致の問題は一向に解決しない。
その際に、国民が卑劣な「拉致」という被害にあっているのだから、
国として「取り返しに行きますよ」という態度があってしかるべきなはず、
というような発言をされました。
その発言にちょうど向かい側の席に座っていた二人が
笑ったんです。
その二人とは、ピースボート共同代表の川崎哲さん、
広島市立大学広島平和研究所研究員の高橋博子さんです。
髙橋さんに至っては「怖い、恐ろしい」というようなリアクション。
いやいや、ちょっと待って。
笑うっておかしくないですか!?
青山さん、すかさず、
「こっちもあなた方の話を笑わずに聞いているんだから
笑わずに聞きなさいよ」
と一喝。
その的確なツッコミに笑ってしまいました。
確かに青山さんは少々粗暴な言い方をしているかもしれない。
話の中身も物騒といえば物騒なことではある。
でも、そこは否定すべきところではないように思う。
真の敵は拉致を行った側であり、武力で現状変更をしようとしている側なのだ。
国の領土、領海、領空、国民の生命、財産を守るということを考えたとき、
一体どうすれば良いのか。
やはり私たちは改めてそれぞれが考えなければいけないのだ。
自分の肉親が拉致されたとして、それをただ指を加えて眺め、
「返してください」とお願いすることが、私たちが求めるべきことなのでしょうか。
笑っていたお二人は、自分の肉親が某国に拉致されたとして、
その場合にも同じことができるのでしょうか。
国が武力を背景として、全力で取り返しに行くことを、
そんな馬鹿なことを、と笑い、反対するのでしょうか。
そうするというのであれば、きっとその思い、考えは本物なのでしょう。
でも、なんか本物感がしないのはなぜなのだろう。
国際政治学者の三浦瑠麗さんからの指摘だったでしょうか、
「日本のリベラルは自衛隊の廃止を言わない」
というものがありました。
川崎哲さんは「自衛隊はやむを得ない」と言うような発言をしていました。
理想としては、軍事力はなくすべきだという立場でという補足はありましたが、
でも、現実問題として自衛隊の現状維持という立場を表明されています。
では、その自衛隊の本分とは何か。
3.11で注目を集めることになった自衛隊。
その本来の任務を、そのイメージからか、
「災害救助隊」と勘違いしているのかな、
と思う発言をする人もいる。
でも、これは明確に違う。
自衛隊とは、その名の通り、自国を守る軍隊なんですよ。
国防が本分なわけです。
国を国民を守るのが仕事の自衛隊が、連れ去られた国民を救いに行くのが、
他国の権利を蹂躙する侵略戦争と同列に語られる野蛮な行為なのでしょうか。
いや、そもそも国民が拉致されるような状態にさせないのが国防でしょう。
現状そうしたことさえも許されないでいる自衛隊をどのように考えているのでしょうか。
物騒な話かもしれないけど、それは一つの正義ではあるでしょう。
国際社会でも今のところそれが「ふつう」な感覚なわけですね。
だって、明らかに拉致なんて悪ですから。
さらに現状、自衛隊のオペレーションが国内のみならず、
国際社会において一定(以上?)の貢献をしていることも明らかでしょう。
自衛隊がそうした存在であることが国際社会で認められていくことは、
それ自体が国益につながると考えられますが、
9条に異常に固執されている方は、9条がなくなると、
世界各国は「日本は戦争放棄を放棄した国だ」と認識される
という主張をされることもある。
ちょっと待ってほしい。
自衛隊の災害救助やPKOなどでのオペレーションについて、
あるいはそれによってもたらされている益については一方で認めておき、
いや、積極的に認めていなくても目をつぶり、
そうした主張をされているのは、何ともすっきりしない不健全さというか、
理想が理想を産んでしまって、信仰のようになってしまっているのか、
柔軟な、理性的な思考が働いていないような印象を受けてしまう。
ここに何だか本物感を感じられない理由があるのかもしれない。
きっと字面だけ見れば、言葉だけ聞けば、
彼らの主張は一つの理想だから、
良く聞こえるし、素晴らしい内容のようにも思える。
しかし、現実はどうなのだろう。
そもそも、日本国民の国益を考えたら、
もっと違った角度で、内容で議論が進むべきだと思う。
昨今の安保法制についての議論、特に国会におけるそれは、
あまりにも「違憲」とか「戦争できる国」とか、
「徴兵制」などの議論に終始しているように思う。
本来的には「違憲」とも見なされるべき自衛隊に目をつぶり、
現状のような活動や、災害救助に対しては肯定的。
そのくせ、本分である国防や、国際協力に関しては、
異常なまでの拒絶。
自然に考えれば、
「それなら憲法見直そうよ」
「自衛隊を憲法でちゃんと規定しようよ」
ってなりそうなものですが、
それは反対。
どういうことなんだろう。
それならやはり三浦さんの言うように
「自衛隊なくせ!」
という主張がないのが不思議ってことになってしまうでしょう。
すでに現状でさえ、誰かの血のうえで「平和」な生活をしている私たち。
すでに現状でさえ、日本にはアメリカの基地があるということ。
それらについての自己矛盾を一体どのように解消しているのであろう。
こんな風に言葉にすると、「右傾化」だとか言われてしまうのでしょうか。
別に言い訳をするわけではありませんが、
私自身、自民党、安倍首相の考えを全面的に支持するわけではありません。
ですが、その方向性、やろうとしていることの意義は十分に認められると思っています。
このテーマは、これまでやるべきなのに、やれて来なかった戦後の大きな宿題の1つでしょう。
だからやっぱり、変な感情論や、誤ったというか偏った主義主張で、
特にそれが未来の世界のきれいな理想である場合、
それらに固執せず理性的に議論を進めていってほしい。
あるいは現実に迫る危機や想定される危機に対する現実的な対応を考えていってほしい。
もちろん、そうではない意見であっても、「本当にそうなの?」って思いを持ちながら、
それぞれが自分の頭で考えてほしい。
それこそが国防や安全保障の第一歩ではないでしょうか。
私も授業で、取り上げていますが、
近年は学校でも語られているでしょう、「メディアリテラシー」
メディアというのは、何もマスメディアのことだけでなく、
情報をもたらしてくれるものは、何でもメディアです。
それがバッチをつけた議員さんであっても、
単なる理想論だけではないのか、
特定の誰かの利益になるだけではないのか、
などなど、ちょっと「?」を投げかけてみるのが大切なのです。
もちろん、その上で、やっぱりこの人の言ってることが、
自分の考えと同じだ、とか、近いとか、賛成できる…
そう思えたら、その人を支持し、一票を投じれば良い。
それが間接民主主義です。
それが国民主権です。
それは国民に存する権利でありますが、現代の人にとっては、むしろ義務だと言っても良いとさえ思えます。
わずか数分で終わる投票にさえ行かない人がかなりの数いるんですから。
しかも、そういう人に限ってこういう時声高に叫んだりする。
だったら、投票に行き、政治に関心を持ち、主権者としての自分の代理人を具にウォッチングしていなさいよ。
少なくとも選挙の時くらい、きちんと権利を行使し、自らの思いを願いを票にのせて投じるべきでしょう。
その意味で、特に現代の人には義務であるとさえ思うのです。
だって、そこには、「私」が、「私の家族」がこの世界でどう生きていくのか、国というものの中でどのように生きていくのか、根本にはそんな当たり前で、当たり前だから大事なこと、それしかないのですから。
だから、そうしたことに無関心で、何かあったときにだけ誰かのせい、それは正当な権利の行使ではなく、濫用にも似た行為だとさえ思えてしまう。
そんなの、さみし過ぎる。
さぁ、だからこそ、みなさん、考えましょう。
自分で、自分たちで。
誰かの都合の良いだけのものにしないように。
誰かが変に潔癖になり過ぎて、意固地になり過ぎて、
肝心な時に、こんなはずじゃなかった、
こんなの想定外だ、なんて言い訳されないように。