さて、本日(といってももう昨日ですが)7月7日は「七夕」ですね!
みなさんはどんな願いを短冊にしたためたのでしょうか!?
七夕といえば、願い事を書いた短冊を笹の枝に結わいて・・・
というのが一般的になっていますが、そもそも七夕ってどんなお祭りなんでしょうか。
といいつつ、七夕のルーツはまた別機会に、として、
今日はそういう「お祭り」や「年中行事」のルーツって意外に知られていませんよねって話。
現在の日本でも行われている「祭り」や「年中行事」というのは、
基本的には土着の信仰や宗教などその土地に住む人たちの精神性と深く結びついていることが多くあります。
お盆やお彼岸などもそう。
日本の場合は稲作によって生活の糧を得てきたわけだから、
当然、その祭りというのは、農耕儀礼がベースになっている場合が多い。
さらに大元には、神道的な精神性が色濃くあるとされています。
神道に仏教などが習合し、民間・土着の信仰などとも習合しながら、
明確に「絶対神」を崇めるような形ではなく、
生活様式とも密接に関わりながら習俗が定着してきました。
ただし、これは周知のことではありますが、
主に先の戦争(大東亜戦争/太平洋戦争)後、日本の生活様式が劇的に変化したことで、そこに結びついて伝承されてきた精神性が、きちんと伝わらなくなってきてしまったわけです。
特にコンクリートジャングルの中で生まれ育ち、一生のほとんどをそういう環境の中で過ごす人にとっては、木々や田畑が茂る中で自然に対峙し、自然の恵みを享受することに対する畏怖の念などは、そもそも実感を伴って抱けるものではありません。
そうした中でも、祭りなどは、日常では体験できない、そうした「崇高なるもの」や「神秘」とつながる場/時であります。
しかし、最近はそうした祭りもただのイベントの一つ、「バカ騒ぎ」の場/時となってしまっている向きがあります。
日本人の精神性として、宗教的なものでさえも、柔軟に受け入れ、微妙に習合を遂げていくという特性があると言われています。
そうした柔軟な受容の態度で、様々な宗教にルーツを持つお祭りを行事として取り入れたりもしています。
まぁ現代はストレスフルな社会ですから、お祭りなどで日常という「タガ」を外すというのは、大変実利的でもあります。
昔から祭りというものの要素にそうした非日常性というのもあったのでしょう。
しかし、現在はあまりにも節操がなさすぎる気もするのです。
クリスマスなどはもうだいぶ定着してしまっていますが、
近年勢力著しいのが、ハロウィン。
私が幼少期にはほとんどなかったことですが、
近年はそこら中で仮装パーティーが繰り広げられています。
日本も農耕民族という側面がありますから、
収穫祭という意味では理に適ったことなのでしょうが、
実際のところ、イベントと化したお祭りは単なる経済原理で動いていることもしばしばということをもっと認識しておく必要がありそうです。
例えば、バレンタインのチョコなんてのもある菓子メーカーの販売戦略の一つだとも言われています。
ハロウィンなどで、収穫祭という本来の意味が欠片もなく、単なる仮装パーティーをするくらいなら、日本にも昔からある「新嘗祭」などもきちんと復活させる方が、私たちの生活様式を見直し、私たちの理に適った祭り・行事とすることができるような気がします。
・・・と、偉そうに言ってみましたが、私自身もそうした理に適った祭りをしているわけでも、生活が送れているわけではないのですが。
自戒の念を込めて。
でないと、例えば、この手のことが生活の中で伝承されたり、実感できないと、すぐに学校などで「教え込まれる」教育コンテンツになり下がってしまうんですね。
最近の「伝統的文化」に対する動きなども、生活の中での伝承はもはや難しいからこそ、「せめて学校で」という形になってしまうのではないでしょうか。
もちろん学校で扱われることが悪いわけではないのですが、
もともと生活の中でのことなのに、何でもかんでも「学校で」という流れが安易に出来てしまうのはどうなんでしょう。
学校も教員も簡単にパンクしちゃいます。
そんな話題に関連して、1つ新聞記事を見つけました。
それについては、また別の記事で。
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