こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 

 

 

 

 

 

 

 

【パートナーのことは信用してるけど、油断はしないのよ。】⁣

最近アメリカドラマを⁣

見てるんだけどね、⁣

表現が(翻訳が?)⁣

おもしろいなと思って見てて。⁣

まず、⁣

バツ5の男性と⁣

バツ1の女性が恋に落ち、⁣

熟年者同士で⁣

同棲することになったとき、⁣

彼氏が”またダメかも”⁣

という不安から、⁣

彼女に内緒で⁣

自分の家財をトランクルームに⁣

預けることに。⁣

しかし⁣

後ろめたい気持ちになって告白。⁣

ところが彼女はすでに⁣

察知していたし、⁣

なんなら⁣

「安心して、私もそうだから」⁣

と彼女が言って、⁣

その続きの言葉がタイトルにした⁣

【私、⁣

パートナーのことは信用してるけど、⁣

油断はしないのよ】⁣

という一言。⁣

聞いた私は⁣

「おーーーー!」って声を出した笑⁣

それから、⁣

何か忘れたけど違うドラマで⁣

博打依存の克服に⁣

注力を注いでいる夫が、⁣

妻に隠れて賭け事をしていて。⁣

妻が知ってしまったとき⁣

「あなたのやったことは許せないけど、⁣

愛しているわ」⁣

っていうセリフ。⁣

私は「あー…」ってこれも声が出た笑⁣

この2つ、⁣

私にとってとっても印象的でさ。⁣

この⁣

「〇〇してるけど、⁣

〇〇だ」⁣

っていう表現が、⁣

『こうでもあって⁣

こうでもある⁣

”それが私”なんです』⁣

っていうのが⁣

なんかまっすぐ聞こえてね。⁣

「油断はしないけど、⁣

信用してる」⁣

「好きだけど、⁣

やったことは許せない」⁣

前後逆になっただけで⁣

印象の違う言い方になるなぁって。⁣

私は夫のことを⁣

「愛しくて大好きで大切だけど、⁣

クソが!と思う存在」⁣

って言葉にしてて、⁣

夫もそう思ってるとも思ってる。⁣

これが、⁣

「クソが!と思うけど、⁣

愛しくて大好きで大切だと思う存在」⁣

って逆になると⁣

これまた雰囲気が違って聞こえる。⁣


こういう「両方ある」って表現って、


“私の本音”って感じがするんよね。⁣

 

でもって、⁣

あとに続く言葉のほうに強さがある。⁣

今まで無意識だったけど、⁣

「クソが!」を後にしてるのは、⁣

「大好きな人にそんなこと⁣

思っちゃいけない」⁣

っていう制限を払拭するため。⁣

怒ってるけど、愛してる。


信じてるけど、油断はしない。


好きだけど、ムカつく。⁣

こういう、⁣

相反するような言葉って⁣

矛盾じゃなくて


どっちも本当の感情なんだと思う。⁣

よく
「どっちかに決めなきゃ」⁣

って思いがちだけど、⁣

 


本当は両方あっていいし、

むしろそのままの方が⁣、

健やかだったりする。⁣

たとえば、
夫と一緒にいて⁣

安心するときもあれば⁣


「なんで今それ言うん…」⁣

って突き刺さる瞬間もあるし、⁣

「愛おしいなぁ♡」⁣

と思った直後に⁣

 


「え?何その態度!⁣

なんでそんなことしてくるん!?」


って思うこともあるよなー笑⁣

完璧で一貫してる感情よりも


バラバラに見えるような⁣

気持ちの方が、


実はめっちゃ本音だったりする。⁣

 

 

そんな本音を


自分で「そうだよね」って


許せるようになってから、⁣

他人にも⁣

『矛盾してるように見える本音』を


そのまま出せるように⁣

なった気がするし。⁣

なんか、⁣

昔はね⁣

どっちかが偽物やと思ってたんよ。⁣

「ムカつくってことは、


本当は好きじゃないのかも」とか、⁣

「好きだと思ってるなら、


文句なんて言ったらあかん」とかさ。⁣

でも今は


「どっちも本音なんだな」

って
受け入れた。⁣

そしてこの⁣

アメリカドラマのセリフたちに、


そういう“矛盾ごと本音でいい”っていう


潔さみたいなものを感じて、⁣

「あー私こういう表現好きなんやな」


って思ったんだよね。⁣

正直で⁣

かっこよくて、⁣

軽やかで⁣

でも本気。⁣

私もそういう言葉を
使っていきたいし、


受け取っていきたい。⁣

だから今日のタイトルはこれよ。⁣

【パートナーのことは信用してるけど、⁣

油断はしないのよ。】⁣

これ、⁣

めっちゃいいセリフやと思うわ。⁣

あなたはどんな⁣

“矛盾してるように見える本音”⁣

を持ってる?

 

 

 

 

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こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 

 ⁣

 

 

 

これまで私は⁣
『今の自分はどんな状態か』⁣
なんて確認せずに、⁣
「これではダメなんだ」⁣
「もっとできないと」⁣
「まだ足りない」⁣
みたいな⁣
自分にダメ出しするのが⁣
お決まりだった。⁣
 
 
「こんな私ができることなんて…」⁣
 
 
そんなふうに思うこともよくあって⁣
ふと自信がなくなる時があったんだ。⁣
だけど、⁣
周りからは“できる人”って⁣
思ってもらえてるみたいで、⁣
 
「ゆきちゃんって普段から⁣
きっちりしてる」⁣
「なんでそんな⁣
サービス一つ作るのに、⁣
時間がかかるんやろ?⁣
と思ってたけど、⁣
これ見たら⁣
そら時間かかるわ」⁣
「もうこれ以上せんでいいんちゃう?」⁣
 
と言ってもらったりもしてね。⁣
 
 
実際に近くにいる人たちが⁣
そう言ってくれてるんだから、⁣
きっと“そう”なんだと思う。⁣
ただ、私が⁣
「この程度ではいけない」⁣
と自分にジャッジしてるから⁣
全く受け取れてなかったんよね。⁣
つくづく以前の私は、⁣
本当に人の話を⁣
聞いてなかったなと思う笑⁣
 
 
今の私はというと、⁣
「ダメなやつだと思われたくない」という⁣
価値観はやっと薄れてきて、⁣
「自分が納得できるまでやる」⁣
という取り組み方に変わってきた。⁣
 
 
ためになること⁣
言わなくちゃとか⁣
評価されなくちゃ、⁣
頭がいいとか⁣
器用だとか⁣
”ちゃんとしてる”とかさ。⁣
承認欲求の塊だった私は、⁣
今やっと⁣
「できることしかやれん」⁣
「もっとこうなりたい」⁣
「これはできるんだな」⁣
そんなふうに、⁣
今の自分の”現在地”を見て⁣
これからどうなりたいかを⁣
考えるようになってきた。⁣
 
前は自分のダメなところを言うのに、⁣
自虐っぽく笑いにしないと⁣
話せなかったけど、⁣
今はそれもなくなった。⁣
だって、⁣
どうせバレてる笑⁣
 
 
この程度のやつと思われるか、⁣
すごいなって思ってもらえるかは、⁣
もう相手次第。⁣
やっと自分に目を向けられるようになった。⁣
何言われても⁣
どう思われても、⁣
「ここまでは⁣
できるようになった」⁣
そう思えるようになったのは、⁣
大きいなって思う。⁣
子供3人が⁣
6歳を通過して思うのは、⁣
6歳までって、ふにゃふにゃの赤ちゃんから、⁣
身体も心もめまぐるしく成長していく時期。⁣
言葉を返したり、文字を書いたり、⁣
“人として”の変化がすごく見える。⁣
「『じゃ』ってどうかくの?」⁣
「まむ、これあけて!」⁣
「なわとびれんしゅうする」⁣
やりたい気持ちと行動が⁣
結びつかないときもあって、⁣
「ここまでできるけど、⁣
ここからがわからない」⁣
って“現在地”を自覚してたりする。⁣
かと思えば、⁣
「おもったとおりにならなかった」⁣
「できるかとおもったけど、⁣
もうてがいたい」⁣
「10かいしかとべなかったのが⁣
20かいとべた」⁣
チャレンジの結果も⁣
自分で受け取っててさ。⁣
もちろん拗ねて、⁣
「もうむり!」⁣
「いっしょうやらない」⁣
っていうこともある笑⁣
でも、⁣
自分が納得してなかったら⁣
やっぱり挑戦する。⁣
 
大人になるとさ、⁣
『できて当たり前』⁣
っていう前提があったりして⁣
『そんなのも知らないの?』⁣
『教育受けてないのか』⁣
『今まで何してきたん?』⁣
みたいな⁣
厳しい目がある。⁣
ただ、⁣
それを自分自身に向けてると⁣
おもっきし真に受けて⁣
しんどいよね。⁣
 
 
だけど⁣
『今、自分はどんな状態か』⁣
『これからどうしたいか』⁣
って視点があれば、⁣
どんな言葉にも、⁣
「私はこれでいい」⁣
って穏やかでいられるし、⁣
逆に⁣
「何くそ!」⁣
って火がつくこともある。⁣
そうやって、⁣
自分が“選ぶ側”になれるって、⁣
健やかだなと思う。⁣
私はこうして、⁣
安心と自分への信用を⁣
少しずつ取り戻してきてる。⁣
いやー⁣
頭ではわかってても、⁣
体感するまでほんと長かった!⁣
でも、今だからわかることがある。⁣
自分に時間とエネルギーをかけるって、⁣
やっぱり大事。⁣
ダメな自分を責めるんじゃなくて、⁣
ちゃんと今の私を見ながら進めたら⁣
それが私なりの“完璧”かもしれないな⁣
って思う。⁣
 
完璧は目指すけど、⁣
もう否定する自分は消えてったな。

 

 

 

 

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こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 

 

 

 

 

 

なんで私は⁣

感情を出すことより、⁣

頭使って生きてきたんやろ?って⁣

向き合ってみたら、⁣

やっぱり親の影響が大きかった。⁣

今でこそ穏やかな母だけど⁣

私が学生の時は⁣

フルタイムで働きながら⁣

父方の祖父母との同居生活。⁣

父が単身赴任で不在なこともあり⁣

全部”母が担う”⁣

みたいな状態だった。⁣

母は責任感が強い人。⁣

23歳のときに祖母⁣

(母からみた実母)を亡くし、⁣

私の祖父は⁣

船乗りで、酒呑みで…。⁣

母は何もかも自分でやってきた。⁣

そんな背景もあって、⁣

父に依存していたんよね。⁣

 

 

母本人がそうはっきり⁣

私に言うくらいには。⁣

 

 

でも、⁣

父が物理的にいない日が続いて⁣

母はきっと参ってたんだと思う。⁣

 

 

その当時のことを⁣

私の目線で言うと、⁣

『八つ当たり』されてた。⁣

ヒステリックで、⁣

いつもイライラしてて、⁣

目に入ると叱られる。⁣

そんな母を”感情的な人”⁣

って感じてたことも覚えてる。⁣

「あんたテレビ見てるだけなら⁣

手伝ったらどうなん!?」⁣

「グラフがわからんのやで⁣

解るまで勉強しなさい」⁣

「部屋が汚い!片付けな!」⁣

といったことを言われるのは⁣

日常茶飯事。⁣

当時はただの怒りに聞こえてた言葉も、⁣

今ならわかる。⁣

・手伝ってほしい⁣

・できないことを減らしたい⁣

・整えてほしい⁣

 

っていう“母の願い”だったんよね。⁣

でも当時の私は、⁣

「また叱られた」「私が悪い」って思ってた。⁣

だって、⁣

親は絶対だから。⁣

手伝うのも、⁣

「かえって邪魔かな」って思ってたし、⁣

肺炎で学校を休んでたから、⁣

グラフの単元の意味すらわかってなかった。⁣

「まぁ、今やってるとこ違うし、別にいっか」⁣

って感覚だったし、⁣

リビング族だったから、⁣

部屋なんて寝れればいいと思ってたもん。⁣

そりゃー…⁣

噛み合わんよね。⁣

『私が悪い』ということにして⁣

無理やり自分を納得させてたな。⁣

ほんとはね、⁣

戸惑ってたんだと思う。⁣

 

 

「なんで叱られるんやろ?」

って。⁣

 

 

 

同時はこんな言語化スキルないから、⁣

ただただ密かに泣いたんよね。⁣

もちろん意見を言うこともあったよ。⁣

でも、返ってくるのは⁣

「反抗するな」⁣

「やることやってから言え」⁣

「そんなこと言える立場か?」⁣

そんなような言葉だったなぁ。⁣

「人の話聞けや」⁣

って思っても、⁣

それを言ったら⁣

母が“悪い人”になってしまうやん。⁣

母を責めるなんてこと、⁣

当時の私にはできなかった。⁣

そんな価値観すらなかったからね。⁣

だから私は、⁣

“思ったことを言ってはいけない”⁣

って、深く刷り込まれた。⁣

でもって⁣

「感情的になると、母は八つ当たりする」⁣

という体感もあった。⁣

そうなると、⁣

「感情的な人には何を言ってもムダ」⁣

って思い込んで、⁣

自分を守るようになる。⁣

結果、⁣

本音より「説明」で⁣

人を納得させようとする。⁣

母を怒らせないように、⁣

感情を刺激しないように⁣

顔色を伺いながら必死こいて。⁣

本当は言いたいことがある。⁣

ただ聞いてほしかっただけ。⁣

受け入れて欲しかった。⁣

だから私にとって⁣

本音を言うとか、⁣

気持ちを伝えるってことは⁣

とてもハードルが高い。⁣

いい大人になっても⁣

どこかで「叱られる」の延長にいて、⁣

その先に「愛されない」が繋がってる。⁣

子ども時代に培った自己防衛策が、⁣

今の私の足を引っ張ってることもある。⁣

もう必要ないのに、⁣

無意識に出てくる。⁣

積み重ねてきたものって、⁣

簡単には消えないね。⁣

別に親を否定してるわけじゃない。⁣

恨んでもいない。⁣

むしろ感謝は計り知れん。⁣

だからこそ、⁣

今は「私が私の話を聞いてあげる」⁣

っていう時間をとても大切にしてる。⁣

ノートとのやりとりが、⁣

私にとってのリハビリ。⁣

最近は気づきが深すぎて、⁣

泣いてばっかりやわ。⁣

 

 

 

 

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こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 







私は以前⁣
「ありがとう」と「ごめんなさい」を⁣
うまく使えてなかったな⁣
と気づいた出来事があった。⁣


どなたかの発信を見て、⁣
その人が⁣

私は「ありがとう」も⁣
「ごめんなさい」も⁣
言えませんでした。⁣


って書いてたんよね。⁣


やってもらって当たり前、⁣
悪いのは誰かのせい⁣
私は悪くない。⁣

そんな世界観で生きていたから⁣
言えなかったと。⁣


 



ふんぞり返っていたのか?⁣
それとも本当にそう思っていたから⁣
言う機会がなかったのか?⁣

その人しかわからないのだけど⁣
ふと自分のことを思い出したの。⁣

 


ある日⁣
実家から友人宅へ寄った帰りぎわ、⁣

「じゃあまたねー!ありがとー!!」⁣

と車の窓から⁣
手を振りながら言ったら、⁣

「ごめんねーまたねー!」⁣

って友人が笑顔で言ったのよ。⁣



「え?なんでごめんって言うん?」⁣

って思わず車を止めて⁣
聞いてしまった笑⁣


友人は半笑いで、⁣

「いやだって私が「寄って」って言ったし…」⁣

って言うから、⁣

「いや嬉しかったから!⁣
ほな、また”寄れよ”って言うてくれー」⁣

って笑い合って別れたんだけどさ。⁣



このときの「ごめんね」は、⁣
”手間かけさせた”⁣
”迷惑かけたかも”って⁣
意味なのはわかってる。⁣

日本語の文化的な?⁣
丁寧・謙虚の表れでもあるんだけど、⁣
よくよく思い返すと⁣
友人は「ごめんね」って⁣
よく言うなと思った。⁣

気遣いなのか、⁣
自己価値の低さなのか⁣
文化的なものなのか、⁣
正直わからない。⁣




私はどうだったかな?と⁣
振り返ってみると、⁣
今は気持ちと連動して⁣
言葉が自然に出てくるようになった。⁣


でも昔は私も『正しく』使えなかったな。⁣



誰かの思いやりを⁣
受け取れなかったとき、⁣

「気を使ってくれてありがとう」⁣
と言えばいい場面で⁣
「気を使わせてごめんなさい」⁣
と言ってしまったり⁣

あるいは、⁣

「気が使えなくてごめんね」⁣
と言えなかった代わりに⁣
「そんな私を許してくれてありがとう」⁣
って言ってた。⁣



どっちも”私が至らなかったせいで”という⁣
反省の意味。⁣




でもさ、⁣
本来「そんな私を許してくれてありがとう⁣」
って⁣


自分を見つめた上で、⁣
「愛してもらってるなぁ」って⁣
浸るときに出てくる言葉
だと思うんだ。⁣

だけど当時の私は⁣
そんなニュアンスじゃなくてね。⁣


完全に“超・反省会”。⁣


「あなたは優しいから許せたんだろうけど、⁣
私は自分を許せない!!」⁣

みたいな、⁣

自責の嵐。⁣

でもその反省の裏側には、⁣
相手の気持ちを⁣
そのまま受け取ってない。⁣



相手は「もう大丈夫だよ」⁣
って言ってくれてるのに、⁣

「いや、私はまだ許せません!」⁣
って突っぱねてるもんだから、⁣

意見の相違じゃなく、⁣
そもそも“対話になってない”
やんな。⁣



こうなると、⁣
誰の話も心では聞けなくなる。⁣



耳では聞こえてるし、⁣
頭では理解してる。⁣

でもそれは辞書の言葉をなぞってるだけ。⁣


自分の内側では⁣
「私が悪い」⁣
「私が足りない」で、⁣
ずっと否定してる。⁣



疑ってる。信じてない。⁣



だから、⁣
聞いてるようで、聞いてない。⁣



好意は素直に受け取れないし、⁣
悪意にすら鈍感になって⁣
怒ることもできない。⁣

ところが⁣
言葉は“聞こえる”ものだから⁣
無視もできなくて。⁣

結局、⁣
自分責めの材料として変換して⁣
折り合いをつける。⁣




そんな状態で生きてたら、⁣
そりゃあ自分を信用できるわけがないし、⁣
当然、他人のことも信用できない。⁣

誰かの信用の問題じゃなくて⁣
自分の“フィルター”がもう、⁣
信用ならんのよ。⁣



外側に見せてる私は、⁣
ハリボテだったんだよね。⁣



不器用なりに素直だったときも、⁣
たぶんあったんだと思う。⁣

いくつかの場面はあったはず。⁣

ただ⁣
全体的に“なんだかな”って感じだったから、⁣
その印象が濃く残ってるんだろな。⁣



もう拗れた受け取り方はやめたい。⁣



内側と外側を一致させたい。⁣

『自己価値の低さ』⁣
で片付けられるような、⁣
表面的な理解では終わらせたくない。⁣


素直な自分になってこれば、⁣
言葉も“言葉通り”に使えるようになる。⁣

「ありがとう」と「ごめんね」を、⁣
適切な場面で⁣
もっと素直に言えるようになる。⁣


誰かの優しさや好意を⁣
まっすぐ受け取れる⁣
自分でいたいなと思う。⁣




気づくって大事。⁣

それだけでも、⁣
欲しい未来に変わり始めるんだよね。⁣

 

 

 

 

 

 

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こんにちは

夕季(ゆき)です
 
 

 

 

 

 

 

 【無条件の愛ってなんでしょうか?】⁣

前回、⁣

【『愛』は条件つき】という話を⁣

書いたことで、⁣

私はこれまでたくさん愛情を⁣

受け取ってきたこと、⁣

それにもかかわらず、⁣

自分を過小評価していたことに⁣

気づいたんよね。⁣

そんな中、⁣

こんな言葉を言われた。⁣

「してもらうばかりだね」⁣

その人に悪意があったわけでも、⁣

嫌味を言ったわけでもなく、⁣

ただ素朴な“疑問”のようなトーンで、⁣

その言葉は私の耳に入ったんよ。⁣

当時小2の長男が⁣

保護者のへの手紙を⁣

書いてきたときに、⁣

(うちはパパとマム宛)⁣

その手紙には、⁣

「毎日ごはん作ってくれてありがとう」⁣

「学校に赤白ぼうしを

持ってきてくれて助かった」⁣

そんなふうに、⁣

「〇〇してくれてありがとう」という⁣

言葉が並んでた。⁣

私は⁣

「愛情を感じて、受け取ってる」と⁣

嬉しくなったのだけど…⁣

夫はひとこと⁣

「してくれるってことしか書いてないやん」⁣

って。⁣

その時は⁣

「いやいや、それが愛情の受け取りやろ」⁣

と返したものの、⁣

なんかその言葉がずっと心に引っかかって。⁣

それから数日後に別の場面で、⁣

冒頭の「してもらうばかりだね」が⁣

出てきたの。⁣

別に怒りでもモヤモヤでもなく、⁣

「???」という小さな違和感。⁣

そのあとに続いた⁣

「ゆきちゃんだってやってるよね?」

という言葉も、⁣

なんだか文脈がつかめなくて、⁣

よけいに引っかかる。⁣

 

 

 

私は主体性がないように見えたのかな?⁣

依存してるように思われたのかな?⁣

クレクレになってるってことなのかな?⁣

 

 

私にとって「してもらうこと」は感謝であり⁣

愛情の受け取り。⁣

だけど、⁣

そうは見えていないのかもしれないと思うと⁣

ぐるぐると考えてしまう。⁣

んで思い出したのが、⁣

先日の『できなくはない』の出来事。⁣

私は自分に対して常に期待しているし⁣

同時に、⁣

自分のやっていることを⁣

過小評価をしてしまう癖がある。⁣

「これくらいやって当然」⁣

「これは私がやるべきこと」⁣

「やるなら、ちゃんとやらなきゃ」⁣

そんなふうに、⁣

無意識に自分にムチを打ってる。⁣

 

 

 

その結果、⁣

自分に対して⁣

「私はできてない」⁣

「私はしてもらってばっかり」⁣

「もっとやれるはずなのに」⁣

って思ってしまう。⁣

 

 

 

こうなると、⁣

どうしても

「愛情=条件つき」になるやんか。⁣

でも本当は、⁣

人間関係を大切にしたいし、⁣

受け取ることも、⁣

助けてもらうことも、⁣

すごく素直な気持ちがあってこそ。

って思ってると出できたのは

「無条件の愛」や「無償の愛」という言葉。⁣

「これって、どういうことなんだろう?」⁣

と思わずにいられない。⁣

ちょっとググってみたらね、⁣

出てきたのはこんな定義たちよ。

・弱さを見せても、⁣

 離れずにそばにいてくれるとき⁣

・何も返せなくても、⁣

 ただ“あなたがいること”が喜ばれるとき⁣

・頑張れないときに「それでいいよ」と⁣

 受け入れてもらえるとき⁣

・見返りを求めずに、⁣

 ただ手を差し伸べたくなったとき⁣

……あーこれ知ってるやん

わかってる。⁣

実感もある。⁣

でもこれ本当に「無条件」って⁣

言えるんだろうか?⁣

やっぱりそこに

“何かの条件”がある気がして⁣

わからなくなってしまった。⁣

そんなときふと、⁣

夫が私を病院に連れていってくれた時のことを⁣

思い出す。

一時間以上、⁣

私の診察を待ってくれていた夫。⁣

その時にね、⁣

「あぁ、これって愛だな」と感じた。⁣

「待ってて”くれた”」こと。⁣

夫にとっては「待って”あげた”」こと。⁣

行為だけを見ればただの『待ち時間』⁣

だけど私は、⁣

その中にある“差し出された気持ち”を⁣

受け取った。⁣

つまり、⁣

【何をされたか】よりも、⁣

【どう受け取ったか】⁣

もしかしたら⁣

”くれる”とあげる…じゃないな、⁣

”与える”っていう境界線も⁣

もっと曖昧でもっと自然で、⁣

ただそこに“在る”⁣

っていうことなんじゃないか。⁣

もっと言うとそれは⁣

肌感覚でじんわりあたたかくて、⁣

ただ“そこにあった”としか⁣

言えないような感覚。⁣

瞑想に近い感じかもしれない。⁣

理解するというより、ただ感じる。⁣

なんかそれっぽいこと言ってるけど、⁣

そうなんじゃないかって思ってる。⁣

感性を、取り戻していく。⁣

頭で考えていると、⁣

私が本当に欲しいものって⁣

絶対見えない。⁣

だからこそ私は今、⁣

もう一度「感じること」に⁣

意識を向けていきたいな。⁣

はぁ、⁣

涙腺弱くなるわ〜

 

 

 

 

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