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FUxK IN LIFE

やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

毎年この時期になると、決まって調子が悪い。

誰との連絡も遮断して、冬と共に廃人生活が始まった。



自分の中では心を震えさせるような事でも、傍から見たら全く持ってちっぽけな事なのだろう。

些細な出来事の積み重ねであるが、それに一憂してしまう私は毎度のことながら弱いな、と実感させられる。

何が嫌だって、どんなに親しく信頼している人達の事さえ、信じるのが怖くなってしまうということだ。

大切な人達を信じられない事は、自分自身をも苦しめる。

申し訳ない気持ちと、どうしたらいいだろうと考えあぐねる思い、そして信じる事の出来ない自分への嫌悪で頭の中がいっぱいになっていく。

一体いつになったら、私はこの表現しようも無い恐怖に打ち勝てる時が来るのだろう。


10月あたりからその恐怖はやってきて、冬が始まり終わるまで、大抵は私を支配する。

夜になると得体の知れないものが脳内を巣食って、毎日のように涙を流す。人に対してだけでなく、色々な事を思い出してしまい、感情が希薄になり何もする気が起きなくなる。どうでもいいような事で泣いて、笑うという行為を身体が忘れてしまったかのような不安と対峙する。

特に夜は一番の天敵だ。

思い出したくない出来事が頭をこれでもかという位に支配して、心が潰れそうになるのだから。

これは忘れてはいけない、ということなのだろう。

いつか乗り越える為の試練なのかも知れないが、そんな事を考えられるようになるのは、いつもこの恐怖が過ぎ去ってからだ。

不安と自己嫌悪、そして拒絶したい過去が、フラッシュバックのように延々と巻き戻される。

過ぎ去っていくまでじっと耐え忍ぶしかないのか、何時になっても解らない。


一つ残らず、君を哀しませないものを君の世界の全てにすればいい。


解っているのに、どうすればいいのか皆目見等がつかない。

わかるのは、過去の記憶に打ち勝てない今の自分が情け無いという事だけだ。



そして僕は、途方に暮れる。

「慶応三年、神無月、十四日―――江戸幕府、第十五代将軍、徳川慶喜。大政を朝廷に奉還する旨を、ここに上奏す」



「篤姫」は、近年稀に見る程面白い大河ドラマだと思う。視聴率だけでなく、配役だけでなく、話の筋や観点においても非常に面白い。

数年前にやっていた「利家とまつ」以来面白い大河ドラマだと思う。

冒頭の一文は、私が以前演じた芝居、「贋作・罪と罰」のクライマックスシーンの台詞の一部だ。

野田秀樹氏は、賛否両論あるが、私個人としては素晴らしい演者であり、天才的と言えるべき劇作家であると思う。彼の言葉遊びや着眼点は、もっと世間に知られ評価されるべきだと常々思う。


「贋作・罪と罰」は、彼の有名なドストエフスキーの「罪と罰」を、江戸末期へと書き換えた作品である。

初演・再演と、今まで野田氏演出の舞台で二度演じられ、私は再演を観に行った。

初演は主人公・三条英(さんじょうはなぶさ)――原作ではラスコーリニコフ役――を大竹しのぶさんが演じ、再演では同役を松たか子さんが演じた。

江戸末期が舞台というだけあって、主人公は江戸開成塾の優秀な塾生でありながらも金に困窮し、高利貸しの老婆を殺してしまうというところから話は始まる。

英が主人公でありながら、物語を進めていくのは、事実もう一人の主人公である才谷梅太郎こと坂本龍馬だ。

“才谷梅太郎”という名は、実際に塾生時代に、坂本龍馬の名を隠す為に本人が使っていた偽名であるらしい。

私にとって、今までの中で一番印象深く、もう一度この作品で舞台に立ちたいと心から願う唯一の作品だ。


今日の篤姫では、遂に徳川家茂が死去し、慶喜が将軍となった。


私が演じたのは、キャスト変更があるまでは三条英、結果的に演じたのは母・清であり将軍慶喜だった。

それ故に本当に彼には思い出が深い。

ワンマン政治でありながらも、周囲にどれだけ非難されようとも、江戸幕府を閉じると決断する彼の志は、坂本とはベクトルが逆方向であれど、至極固いものだったのだろうと思う。

そしてもう一度、老婆殺しの罪を背負い、自分の固く強い志と理想の為に自身と向き合った三条英を演じたいと、強く思った。

英は強くなくてはいけない、何事にも動じてはいけない、そう自分の中で決め付けてしまっていたけれど、「理想の為に人を殺した」罪と葛藤していく彼女の脆さが、今なら前よりも強く解る気がするのだ。


これからの篤姫は終盤に近づいていくけれど、慶喜の動向と天樟院に期待したい。



「才谷、元気ですか。今日は嬉しい知らせです。もうじき、江戸が明治に変わるそうですね。才谷、きっと、あなたがその新しい時の扉を開いたのでしょう。そして、あたしのこの牢の扉も、来年には開かれるのだそうです。恩赦とか、大赦とかいうのだそうです。新しい時が、私の罪を赦してくれるのだそうです。

私は赦されたとは思いません。けれども、例え殺人犯でも、なんと言えばいいかしら、終生、私は誠実な人間になるようにつとめます。もうじきです。もうじき。私のこの扉が、新しい顔が、私を出迎えるでしょう。

その中に、才谷、あなたの顔を見つけることが、私の喜びです。

こういうコトバ、人殺しには似合わないかもしれないけれど、


愛しています。


師走八日、あたしのはるか彼方へ、英」



歴史は詳しくも何とも無いけれど、私の知りうる限りの歴史上の人物で、坂本龍馬という存在は本当に大きい。

何を志し、何を変えようとしたのか、彼は形で後世に名を残しているとつくづく思うのだ。

上記の英のクライマックスの長台詞は、いつになっても、私の中に残っている。人殺しの気持ちを理解する事は不可能かもしれないけれど、自分の罪を罰として受け止められる事は、とても尊いことだと、彼女に教わったのだ。それがたとえ、どんなに小さなことだとしても。


もう一度この芝居を演りたい。台詞も場転も多い上に、衣装も本当に大変なのは解っているけれど、この芝居を上演したい。きっと何度演じても、どの役を演じても、伝えたい事や表現したい事は、その度に生まれてくるのだろうから。

野田秀樹氏の作品は、毎度の事ながら、私の五感どころか六感までも刺激してくれる。「贋作・罪と罰」の三条英、「ゼンダ城の虜」の赤ずきん少年、そして「THE BEE」は、いつまでも私の夢であり続けてくれるのだろう。そしてそれを夢で終わらせるつもりはない。どんなに小さな劇場でも、絶対に叶えてみせる。

切なる私の志だ。




全く関係がないけれど、「新・堂本兄弟」の関ジャニ∞は彼ららしくて凄く良かったw

新曲CDを、3パターン全て予約した上に、ウェブ限定発売のソロコンサートグッズを通販で6000円も買ってしまっている自分は、つくづくジャニーズに踊らされています。

渋谷すばるはいつ見ても大好きだ・・・。w

以前、とても有り難い話があると書いたことがあったが、今日その方とお話させて頂いた。


ブログにも載せた、「優しさをありがとう」という題材の、弟をテーマにした論文を書いた時から御付き合いさせて頂いている方で、私にとっては勿体無い程の素敵な話だった。


色々な考えが渦巻いていたが、彼女と逢った瞬間に、一切の不安要素が消えうせていった気がした。

社会の歯車として動かしたいという気持ちは微塵も感じられなく、代表取締役という立場でありながら、私自身の事をただ一人の人間として、一緒に働いて欲しいと言って頂いた。



水曜日から、私は介護福祉施設の事務として働く事になった。


高齢者や障害を持った方々と接する機会は、これまでも幾度となくあったが、其れを職業として活かせるという事は、私にとってなんと嬉しい事だろう。

幾度もこのブログで書いているとは思うが、心から、世間に蔓延る“偏見”“差別”というものを撤廃したい。

私などという小さな人間一人が成し得る事など出来ないのは解っているけれど、少しでもその望みに近づけるのなら、自分の力が無力ではないということを確認したい。


彼女はずっと、私の目を見て話を続けてくれた。

その目には何の穢れも感じなかった。其れは、出逢った数年前と変わらないものだったように思う。

ただ真っ直ぐに、個人として私を見てくれている。其の事が素直に嬉しかった。


昨今、精神科に通う人間を雇いたいなどと言う人は少ない。本当に、無に等しい。

偏見と差別はどこにだってゴロゴロと落ちているのだ。自分がなった事の無い病を理解しろと言っても、無理な事だと私も十分に解っている。

だけど誰かに、知った上で受け止めて欲しい。ただそう思うのだ。

精神疾患が一体なんだと言うのだろう。



理解出来ないことをコンクリートに例えるなら、私達は、現代で言う砂利道の如く、肩身の狭い思いをしているのではないだろうか。





眠ろう。私達に必要なのは、眠る事だ。―――W・シェイクスピア「マクベス」

藍染の雲

作・葉月ラン

普段の僕なら、夕日で赤く染まった空なんか、気にも止めなかった。

普段の僕なら、真っ白な雲が藍染のように深く優しく染まっていく様子なんか、気にも止めなかった。

普段の僕なら。こんな河原に大の字で、空を見上げたりなんかしなかった。

普段の僕なら。

しかし、ここは気持ちがいい。

吹き抜ける風、ゆっくりと流れ染まっていく雲、控えめに鳴る川のせせらぎ。

全てが、何者にも囚われない自由なものだと知る。彼らは1人ではない。吹き抜ける風に揺られて、藍染の雲はゆったりとながれる。小川の静かなせせらぎは、藍染の雲を反射して、多様な水の動きでキラキラと輝く。この光景が好きだ。

「颯」

思わず名前を呼ばれて飛び上がりそうになる。“飛び上がりそうになる”とはよく言った表現だな、と瞬時に思った。疾風のごとく風を切って走る。ハヤテ。親父が死んで、つけられた名前の由来など、最早どうでもいいことだった。

「なんか用か」

声の主が彰人だとすぐにわかった。だてに年月を共にしているわけじゃない。別段大切な用事でもないだろう。その予感はすぐに的中した。

「おふくろさんが呼んでたぞ、お前のこと探してるみたいだった」

おふくろ。ほら、やっぱりたいしたことない用事だ。まるで親父の身代わりのように俺を見つめるおふくろの目は、見つめられているだけで胸が詰まりそうになるくらい切なかった。いつからか避け始めるようになって、いつからか会話すらしなくなった。何の用があるというのだろう。俺じゃなくて、仏壇にいる親父に用があるんじゃないのか。

「なぁ颯、おまえもっとおふくろさんのこと大事にしてやれよ」

幼馴染に説教を食らうなんて、真っ平御免だった。そんな言葉、親戚中でずっと言われてきた。まるで俺を責めてるみたいに。親父が死んだのも、おふくろが1人になったのも、全部俺のせいみたいに責めて、全てに失望したというより、もう懲り懲りだった。

生まれてきたことでおふくろや親戚中が俺のことを責める。幼馴染のお前も、とうとうそんな色に染まってしまったのか。

藍染のように染まっていく雲を見ながら、ため息とも言えぬ二酸化炭素を吐き出した。

行けばいいんだろ?なぁ、お前もそう思うか?

返事などあるはずもない、流れる雲に問いかける。誰でもいい。お前じゃなきゃだめだって、言って欲しかった。お前はお前だって、親父の代わりなんかじゃないって、言って欲しかった。急かす彰人の声なんて、耳には入ってこなかった。ただ、藍染のように流され風に吹かれて揺られていく雲を、一秒でもいいから、一瞬でも多く、目に焼き付けておきたかった。

「人間はさ、一人だ一人だって言ってる人のほうが、意外と一人じゃなかったりするもんなんだよ。」

ふと、耳元で婆ちゃんの声が聞こえた気がした。厳格な親父と、いまどきそれに三つ指をついて大人しくしてる母親。俺はそんな構図がダイッキライだった。

どこへ行くんでも、何をするんでも、いちいち難癖をつけられて、だったら俺なんか生まなきゃよかっただろ、そんな風に思うこともたびたびあった。

死んだ婆ちゃんがよく言ってた言葉を思い出す。なぁ、婆ちゃん。俺は本当に一人じゃないのか?

いつのまにか、夕日は沈み、あたりは闇に包まれ、見上げた空には星がたくさん輝いていた。夕日に染まる雲が俺だとしたら、婆ちゃんは、夜空の星のどれかだな。

ひとつひとつ数えていっても、きりがないことはわかっていたけれど、それでも探さずにはいられなかった。この大きな空のどこかに、婆ちゃんの面影を。

絶対的に自分の味方でいてくれる人間なんて、この世の中にいるのだろうか。婆ちゃんは笑いながらああ言ってたけど、俺も誰かの支えになっているんだろうか。

ちっぽけな溜め息に全てを込めて、夜空にいる婆ちゃんに向かって吐き出した。

「ちっぽけな命なんてね、ないんだから。あんたはでっかく生きなさい」

婆ちゃんが残した言葉を、繰り返し繰り返し呟いた。流れてくる涙は、拭わずにずっと夜空を見上げていた。家に帰れば、骨だけになっちまった婆ちゃんが、当たり前のようにいるんだろう。こんな日に家にいなかった一人息子を、おふくろはひたすら責めるだろうな。

それでもいいかもしれない。婆ちゃんの言った通り、俺がいることで誰かが一人じゃなくなるんなら。

俺馬鹿だけどさ、もうちょっとでっかく生きてみるよ。せめて死んだ時に、婆ちゃんに胸張って会えるくらいにはさ。

夜露に濡れた喪服を両手で払い、立ち上がってもう一度空を見た。よし、もう涙はない。

かっこ悪い話だけど、自分の中でそう言い聞かせて、もうおふくろしかいないであろう家へと足を進めた。

おふくろは泣きながら怒るだろうな。光景が目に浮かぶにも関わらず、足取りは何故だかいつもより軽かった。

「ただいま」

玄関には電気がついていた。俺のではない革靴が一足、きちんと揃えて置かれていた。

彰人だ。

畳をこっちに歩いてくる音が聞こえる。深く深呼吸をする。

「おかえりなさい、颯。」

涙を溜めた目で、おふくろは精一杯の笑顔で言った。

「ただいま」

なぁ、婆ちゃん。

少なくとも俺は、誰かを一人にしないために、必要とされてるんだよな。

ちっぽけな命なんかじゃない、でっかく生きて、静かに死んでやる。

その瞬間、ずれていた軸が、しっかりと自分にはまっていくのを感じたような気がした。

夜が来る。


その事実だけで計り知れない恐怖に襲われるのは、奇妙なことなのだろうか。

最近の夜は決まって、ラベンダーのアロマキャンドルをランタンに灯す事が習慣になった。

ラベンダーは睡眠促進の他にも、心を落ち着かせる作用があるらしい。

以前は草花系の香を炊いて眠りに就いていたけれど、ちいさな蝋燭の灯りは、少しだけ私の心を安らげてくれる。


本日付で、mixiを退会してきた。

自分が長年やってきたものを切り捨てるという事は、本当に勇気と決断力を伴う。

去年の今頃は、携帯電話を切り捨てた生活が出来ていたのだから、きっと大丈夫だと信じたい。


mixiが嫌になったきっかけは、コミュニティの媒体、マイミクシィの存在意義だった。

5年前mixiを始めた時には穏やかだったあの場所も、今では見る影も無い。

コミュニティというコミュニティは荒らされ、たまたま覗いたトピックスは、VIPPER被れの人たちの罵詈雑言で溢れかえっている。

ほとほと嫌気が差した。

正しいことを正しいと言えなくなっている人間という俗物が、信じられなくなった。


だが其れは単なるきっかけに過ぎない。

一番苦しかったのは、“mixiニュース”というものが普及するようになってからだった。

様々なマスコミの情報を、根も葉もなくニュースとして扱い、“mixiニュース関連日記”という機能が動き出すようになった。

全体公開にしている他人の日記など、見なければいい話なのだけれど、

自分に少しでも関係しているニュースの日記は、性格上無視出来なくなってしまっていた。


あらゆる形で取り沙汰される、様々な話題。

ニュースと呼べないようなものですら、容赦なく載せてしまうmixiを見ていて、何が正しい事なのか解らなくなった。

そして、其れを根拠も無く荒らしの対象にしてしまう人達が多すぎることが、本当に哀しかった。


自分がどうしても必要としているものが、合法として処方されているものが、“ドラッグ”と呼ばれ、善良な人々が虐げられていく姿を見るのは、辛くて仕方が無かった。

薬剤自体は何も悪いことをしていないし、それを処方通り使用している人達にも、何の罪も無い。

なのにどうして、弱者は虐げられてしまうのだろうか。


例えばこれが、風邪薬や内臓に纏わる薬だったとしたら、彼らは同じ言葉を吐けるのだろうか。

「心が弱い」、「単なる甘えだ」、「自分だけが辛いとか思うのは辞めろ」、「眠れないなら、眠気が来るまで起きていればいいじゃないw」と、幾度もそんな言葉を、文章を、日記を見た。


精神という括りにしてしまえば、そう思われるのは致し方ないのかも知れない。

だけど、それだけで括れないことを、偏見と差別が蔓延る今の現代では、解ってもらえないのだろう。


ただ、普通の生活が送りたいだけだというのに。


どれだけテレビで騒がれても、インターネットで得る知識は計り知れない程に大きい事を知った。

働き続け、三日三晩一睡もせずに、フラフラになりながら生きる人の気持ちが解る人たちは、極少数なのだと知った。

食べ物も喉を通らなくなる。

カーテンすら開ける気力も無くなる。

日差しを浴びる元気すら無くなる。

眠れないまま布団に包まって、底知れぬ恐怖に怯えながら生きることは、本当に辛い。

大好きだった人やものが、何も信じられなくなって、挙句、自分自身が空っぽになる。


初めてちゃんと処方された薬を飲んだ次の朝、私は泣いた。

心の底から、涙を流した。


朝日がこんなに気持ちのいいものなんだと、食事を美味しく食べられることがこんなに幸せなことなんだと、

眠れることがこんなに健やかなことなんだと、心から思った。




この世には、強者も弱者も存在しない。

自分よりも何かが劣っている人間を見つけ、決め付けて侮蔑し、安心する事は、人として最低なことなのではないだろうか。