夜が来る。
その事実だけで計り知れない恐怖に襲われるのは、奇妙なことなのだろうか。
最近の夜は決まって、ラベンダーのアロマキャンドルをランタンに灯す事が習慣になった。
ラベンダーは睡眠促進の他にも、心を落ち着かせる作用があるらしい。
以前は草花系の香を炊いて眠りに就いていたけれど、ちいさな蝋燭の灯りは、少しだけ私の心を安らげてくれる。
本日付で、mixiを退会してきた。
自分が長年やってきたものを切り捨てるという事は、本当に勇気と決断力を伴う。
去年の今頃は、携帯電話を切り捨てた生活が出来ていたのだから、きっと大丈夫だと信じたい。
mixiが嫌になったきっかけは、コミュニティの媒体、マイミクシィの存在意義だった。
5年前mixiを始めた時には穏やかだったあの場所も、今では見る影も無い。
コミュニティというコミュニティは荒らされ、たまたま覗いたトピックスは、VIPPER被れの人たちの罵詈雑言で溢れかえっている。
ほとほと嫌気が差した。
正しいことを正しいと言えなくなっている人間という俗物が、信じられなくなった。
だが其れは単なるきっかけに過ぎない。
一番苦しかったのは、“mixiニュース”というものが普及するようになってからだった。
様々なマスコミの情報を、根も葉もなくニュースとして扱い、“mixiニュース関連日記”という機能が動き出すようになった。
全体公開にしている他人の日記など、見なければいい話なのだけれど、
自分に少しでも関係しているニュースの日記は、性格上無視出来なくなってしまっていた。
あらゆる形で取り沙汰される、様々な話題。
ニュースと呼べないようなものですら、容赦なく載せてしまうmixiを見ていて、何が正しい事なのか解らなくなった。
そして、其れを根拠も無く荒らしの対象にしてしまう人達が多すぎることが、本当に哀しかった。
自分がどうしても必要としているものが、合法として処方されているものが、“ドラッグ”と呼ばれ、善良な人々が虐げられていく姿を見るのは、辛くて仕方が無かった。
薬剤自体は何も悪いことをしていないし、それを処方通り使用している人達にも、何の罪も無い。
なのにどうして、弱者は虐げられてしまうのだろうか。
例えばこれが、風邪薬や内臓に纏わる薬だったとしたら、彼らは同じ言葉を吐けるのだろうか。
「心が弱い」、「単なる甘えだ」、「自分だけが辛いとか思うのは辞めろ」、「眠れないなら、眠気が来るまで起きていればいいじゃないw」と、幾度もそんな言葉を、文章を、日記を見た。
精神という括りにしてしまえば、そう思われるのは致し方ないのかも知れない。
だけど、それだけで括れないことを、偏見と差別が蔓延る今の現代では、解ってもらえないのだろう。
ただ、普通の生活が送りたいだけだというのに。
どれだけテレビで騒がれても、インターネットで得る知識は計り知れない程に大きい事を知った。
働き続け、三日三晩一睡もせずに、フラフラになりながら生きる人の気持ちが解る人たちは、極少数なのだと知った。
食べ物も喉を通らなくなる。
カーテンすら開ける気力も無くなる。
日差しを浴びる元気すら無くなる。
眠れないまま布団に包まって、底知れぬ恐怖に怯えながら生きることは、本当に辛い。
大好きだった人やものが、何も信じられなくなって、挙句、自分自身が空っぽになる。
初めてちゃんと処方された薬を飲んだ次の朝、私は泣いた。
心の底から、涙を流した。
朝日がこんなに気持ちのいいものなんだと、食事を美味しく食べられることがこんなに幸せなことなんだと、
眠れることがこんなに健やかなことなんだと、心から思った。
この世には、強者も弱者も存在しない。
自分よりも何かが劣っている人間を見つけ、決め付けて侮蔑し、安心する事は、人として最低なことなのではないだろうか。