藍染の雲 | FUxK IN LIFE

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やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

藍染の雲

作・葉月ラン

普段の僕なら、夕日で赤く染まった空なんか、気にも止めなかった。

普段の僕なら、真っ白な雲が藍染のように深く優しく染まっていく様子なんか、気にも止めなかった。

普段の僕なら。こんな河原に大の字で、空を見上げたりなんかしなかった。

普段の僕なら。

しかし、ここは気持ちがいい。

吹き抜ける風、ゆっくりと流れ染まっていく雲、控えめに鳴る川のせせらぎ。

全てが、何者にも囚われない自由なものだと知る。彼らは1人ではない。吹き抜ける風に揺られて、藍染の雲はゆったりとながれる。小川の静かなせせらぎは、藍染の雲を反射して、多様な水の動きでキラキラと輝く。この光景が好きだ。

「颯」

思わず名前を呼ばれて飛び上がりそうになる。“飛び上がりそうになる”とはよく言った表現だな、と瞬時に思った。疾風のごとく風を切って走る。ハヤテ。親父が死んで、つけられた名前の由来など、最早どうでもいいことだった。

「なんか用か」

声の主が彰人だとすぐにわかった。だてに年月を共にしているわけじゃない。別段大切な用事でもないだろう。その予感はすぐに的中した。

「おふくろさんが呼んでたぞ、お前のこと探してるみたいだった」

おふくろ。ほら、やっぱりたいしたことない用事だ。まるで親父の身代わりのように俺を見つめるおふくろの目は、見つめられているだけで胸が詰まりそうになるくらい切なかった。いつからか避け始めるようになって、いつからか会話すらしなくなった。何の用があるというのだろう。俺じゃなくて、仏壇にいる親父に用があるんじゃないのか。

「なぁ颯、おまえもっとおふくろさんのこと大事にしてやれよ」

幼馴染に説教を食らうなんて、真っ平御免だった。そんな言葉、親戚中でずっと言われてきた。まるで俺を責めてるみたいに。親父が死んだのも、おふくろが1人になったのも、全部俺のせいみたいに責めて、全てに失望したというより、もう懲り懲りだった。

生まれてきたことでおふくろや親戚中が俺のことを責める。幼馴染のお前も、とうとうそんな色に染まってしまったのか。

藍染のように染まっていく雲を見ながら、ため息とも言えぬ二酸化炭素を吐き出した。

行けばいいんだろ?なぁ、お前もそう思うか?

返事などあるはずもない、流れる雲に問いかける。誰でもいい。お前じゃなきゃだめだって、言って欲しかった。お前はお前だって、親父の代わりなんかじゃないって、言って欲しかった。急かす彰人の声なんて、耳には入ってこなかった。ただ、藍染のように流され風に吹かれて揺られていく雲を、一秒でもいいから、一瞬でも多く、目に焼き付けておきたかった。

「人間はさ、一人だ一人だって言ってる人のほうが、意外と一人じゃなかったりするもんなんだよ。」

ふと、耳元で婆ちゃんの声が聞こえた気がした。厳格な親父と、いまどきそれに三つ指をついて大人しくしてる母親。俺はそんな構図がダイッキライだった。

どこへ行くんでも、何をするんでも、いちいち難癖をつけられて、だったら俺なんか生まなきゃよかっただろ、そんな風に思うこともたびたびあった。

死んだ婆ちゃんがよく言ってた言葉を思い出す。なぁ、婆ちゃん。俺は本当に一人じゃないのか?

いつのまにか、夕日は沈み、あたりは闇に包まれ、見上げた空には星がたくさん輝いていた。夕日に染まる雲が俺だとしたら、婆ちゃんは、夜空の星のどれかだな。

ひとつひとつ数えていっても、きりがないことはわかっていたけれど、それでも探さずにはいられなかった。この大きな空のどこかに、婆ちゃんの面影を。

絶対的に自分の味方でいてくれる人間なんて、この世の中にいるのだろうか。婆ちゃんは笑いながらああ言ってたけど、俺も誰かの支えになっているんだろうか。

ちっぽけな溜め息に全てを込めて、夜空にいる婆ちゃんに向かって吐き出した。

「ちっぽけな命なんてね、ないんだから。あんたはでっかく生きなさい」

婆ちゃんが残した言葉を、繰り返し繰り返し呟いた。流れてくる涙は、拭わずにずっと夜空を見上げていた。家に帰れば、骨だけになっちまった婆ちゃんが、当たり前のようにいるんだろう。こんな日に家にいなかった一人息子を、おふくろはひたすら責めるだろうな。

それでもいいかもしれない。婆ちゃんの言った通り、俺がいることで誰かが一人じゃなくなるんなら。

俺馬鹿だけどさ、もうちょっとでっかく生きてみるよ。せめて死んだ時に、婆ちゃんに胸張って会えるくらいにはさ。

夜露に濡れた喪服を両手で払い、立ち上がってもう一度空を見た。よし、もう涙はない。

かっこ悪い話だけど、自分の中でそう言い聞かせて、もうおふくろしかいないであろう家へと足を進めた。

おふくろは泣きながら怒るだろうな。光景が目に浮かぶにも関わらず、足取りは何故だかいつもより軽かった。

「ただいま」

玄関には電気がついていた。俺のではない革靴が一足、きちんと揃えて置かれていた。

彰人だ。

畳をこっちに歩いてくる音が聞こえる。深く深呼吸をする。

「おかえりなさい、颯。」

涙を溜めた目で、おふくろは精一杯の笑顔で言った。

「ただいま」

なぁ、婆ちゃん。

少なくとも俺は、誰かを一人にしないために、必要とされてるんだよな。

ちっぽけな命なんかじゃない、でっかく生きて、静かに死んでやる。

その瞬間、ずれていた軸が、しっかりと自分にはまっていくのを感じたような気がした。