FUxK IN LIFE

FUxK IN LIFE

やわらかく、美しく。



生きているということ、酸素を取り込むという行為は、



なんて難しいことなのだろうか。

ふわりふわりと 
蝶のように宛ても無く飛び回れたら、
どんなにも楽だろうか。
生きていく為の色々、
一体誰が決めたんだろう。

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家のために働いて

見返りを求めてはいけない


遊ぶ時間
寝る時間


全て削って無理して笑っていなくちゃいけない





家でも会社でも

平気なふり
元気に振る舞わなくちゃいけない





それがいいことだと思えるほど




私は大人になれていない





けれどここで

私が倒れたり弱音を吐いてしまったら



本当にみんな生活出来なくなるから






保険証がなくて薬を貰いにも行けないから


今日もバファリンや胃薬を頬張って



満員電車も平気な振りして



無理矢理笑顔を造りに行ってくるよ。
たくさんのことを

考えなければならなくなって



たくさんのものを

背負わなければいけなくなって





けれどどれも、決して投げ出すことの出来ないもので





言えなくて




言ってしまったら

更に伸し掛かる。









薬がなくても


保険証さえない











ひたすらにがむしゃらに







私が働きつづけるしかない










職場でも家でも







どこにいても笑っていなければ









そうしなければ










私だけじゃない

家族さえも















セイカツできなくなる

いろんなことを、思い出した。


写真っていうものは凄くて、見ると当時のことを細かく思い出す。

自分が壊れて、壊れたことを認めたくなくて、気づかないふりをして考えないように動き回っていたとき。

認めざるを得なくなって、虚無に打ちひしがれていたとき。

何もかもどうでもよくなって、最低なことを繰り返したとき。



今だって、認められたわけじゃないのだろう。

頭をぐるぐる渦巻く声は、やっぱり続いていて、それを蹴散らしてしまえるような強さは無いままで。

ほんの少しずつ、元気になってはきていると

思い込んでみても、ものさしが無いから、きっとわからない。


最低限、自分がしたいと思うことは、ほんの小さなことでしかなくて

親を泣かせないこと

責任を貫くこと


あたりまえのことをする意思を、しっかり持つことは、いつからこんなに難しくなってしまったのか。

さいごまで心配してくれるのは、家族で。

正直、「なにを甘えたこと言ってるんだ」って、周りはイライラしていると思う。

悲観ではなくて、きっとそう見えてしまうんだと思う。


つらい、悲しい

なんて嘆いても、それは誰かに言うべき言葉ではない。


ひとりで付き合っていかなければならないこと。


だけど、笑うことが、元気でいることが、一人になると違う感情に変わってしまうのは、仕方ないことだと割り切らなければいけないんだろう。

楽しかったと、その気持ちだけで嬉しくなれたらいいのに。

人を、だいすきなだけではいられないんだろうか。

以前の自分が、人を疑うことがうまく出来なかったんだとしたら、

今の自分は、傷つくことに怯えて、人間の黒い部分ばかり見てしまっている気がする。


そんな自分は、今までで一番大嫌い。


それでも傷つきたくないから、そんな理由で疑ってかかってしまう。





人を信じたい。

自分のことを、嫌いじゃなくなりたい。

親を泣かせたくない。

責任を貫きたい。



とても簡単なようで

とても、難しい。

結局、場所を変えたところで、私の書く日記は自問自答の繰り返しになってしまう。


希望なんて、どこか遠くに置き忘れてきた。絶望とか、失望っていうものを背負ってしまえば、自然と灯りなんて見失ってしまう。

蛍光灯、電球、太陽

そういうものが、嫌い。

息を吐けば消えてしまうような、ランプの光が好きだ。


笑えばいいのだろうか。

いつも笑っていたら、楽しいのだろうか。

忘れたくても忘れられない記憶って、あると思う。

人から見れば些細なことでも、大した事じゃないと、何度自分に言い聞かせていても、
たかが数年経ったくらいじゃ忘れられない事は、たくさんある。

いいことは忘れるのに、辛い記憶ばかり。

恨んでいるうちはきっと、記憶から消えてくれないんだろう。
だけどそんな器用に消してしまえるほど簡単な気持ちではない。
そんな忌まわしい気持ちなんて、持っていても自分が不快なだけなのに。

失ったものが多すぎて、欠けてしまったものが未だに取り戻せずにいる。
欠けたものが何だったか、よく思い出せない。

それが誰かのせいだとは思わない。
思った時期もあったし、今でも全て自分で抱えなければいけないとは思わない。
確かに、原因は私の性格だけじゃなく、周囲にも多々あった。

結局解決しない戯言を、たくさん吐いてきた。きっとこれからも吐いていくんだろう。
どうしたら楽になるのかなんて、誰でも思うことなんだろう。

ただ、私は変わった。私の大嫌いな自分へ。
芝居をやっていた頃、まだ変わってしまう前に、少しずつ、自分を好きになってきていたのに。
胸を張って、自分の話が出来るようになってきていたのに。


自分のことが、昔よりもっと大嫌いになった。
何をどうすれば修復可能なのか、どんなに考えてもわからない。
いつになっても、記憶に怯えてしまう。
言われたこと、感じたことが、定期的に頭を過ぎって締め付けてくる。
苦しいなんて、もう言っちゃいけないのかな?
今何かがあったわけでもない、過去に締め付けられて、怖いとき、私は苦しいって言ってもいいの?
誰かに聞いて欲しいけど、それを聞かされる友人の気持ちを先に考えてしまって、いつも言っていいのかどうかすごく不安になる。


頭がこんがらがってきた。