大丈夫は自分の中にある*人生を支える意識の法則* -82ページ目
私は20代の頃、野菜が好きでした
食べるのも好きだけど
それぞれの野菜に含まれる
栄養素やその効能を知るのが
すごく楽しく感じられて
大好きだったんです
そして
野菜のことに詳しくなれそうな
野菜ソムリエの養成講座を受講してみる
ことにしたんです
当時の講座で一番初歩的なコースだった
ジュニアベジタブルフルーツマイスター
コースでした
珍しい野菜の食べ比べをしたり
レシピを考えてレポートを書くという
課題に取り組んだり
テスト勉強をしたり
看護師として総合病院で働いていた
当時の私からすると
久しぶりに勉強すること
好きなことを勉強することは
すごく楽しくてルンルン気分
でした
夜勤明けに講義を受けに行ったり
してました
若いって素晴らしい!
めでたく試験にも合格して
ジュニアベジタブルフルーツマイスターの
資格が取れました
でも、それだけだったんですよね
その後も私は看護師をしてきたので
資格が直接仕事に役立つわけでもなく
その資格を使って新しいことを
するわけでもなかったし
更に上の資格を取ろうとすることも
なかった
当時は感じないようにしていたけど
この資格
私にとっては期待していたものとは
違っていたんですよね
この資格にケチをつけているわけでは
ありませんよ。私が思っていたのと
違っていたというだけです。
私はもっと詳しく学べると思っていたし
知識が増えると思っていたけど
それほどでもなかった
なので資格が取れて
友達にすごいね〜!って言われても
そのまま受け取れず
すごいと思ってもらうことに
対して
そんな大したものではないのにな
資格だけで本当は空っぽだよ、と感じたり
私にとっては大金だった受講費を
無駄遣いしてしまったように感じて
それらが罪悪感となって
この養成講座の受講を決めたことを
私自身が責めていました
こんな無駄遣いして!
役立たないことしなくてよかったのに!
やりたいって思うならもっと調べて
からやればよかったのに!
当時はちらっと感じはしたけど
それを聞くのは耐えがたかったんです
なので感じないようにして
気にしないようにして
乗り越えたのだと思います
感情にフタをするという作戦です
そして
これと似た感情を感じることも
怖かったので
そして
その後は、出産、育児、仕事
これらの忙しさを利用して
自分のやりたいことに
気づかないフリをする
やりたいことをやらない理由を
みつけてやることを諦める
ということをごく自然にやって
きたんですよね
やりたいことがあったとしても
役に立たないことにはお金は使わせない!
という意地悪を自分自身にしてきた
私がいるんですよね、怖い
UMIを学んで
自分で自分を満たすこと
自分のやりたいを自分が叶えてあげる
ことの大切さを知りました
その視点で見ると
野菜ソムリエに興味を持って学びたいと
思った私の願いを叶えてくれた私
ありがとう
思っていたのと違っていたのは
残念だったね、私
やってみないと分からなかったよね
もっと先に進んだら期待したものが
受け取れたかもしれないのに、
そこをさせてあげずごめんね
と、自分との対話
今思うと
私は当時から野菜ソムリエというよりは
今学んでる中医学のような
内容に興味があったんだと思うんです
なので今それに出会えて嬉しいし
やりたいを叶えてくれる私がいることを
感慨深く感じます
やってみてどうかは
やってみないと分からないから
やってみるしかないのだと思うんです
やってみて思ってたのと違っても
いいんです
それも私の経験となります
やりたいことを叶えてくれる自分がいれば
それがダメでも
また違うことにもチャレンジさせてくれます
大切なのは
自分のやりたい!という気持ちを
受け入れて、叶えてあげること
そこにジャッジはいらないんです
世の中は
やってみないと分からない
失敗しないと分からない
そんなことで溢れていると思うのです
違う!失敗!残念!悔しい!
そう感じてもいい
それは悪いことではないし
ただそれだけだと思うんです
違うなら違う、ただそれだけ
とてもシンプルなことなんです
なので最近の私は
ちょっと気になる!
やりたいな〜!
という自分の気持ちと
スケジュールが合えば
これはやってみるタイミングなんだな、
とすんなりやってみることを選択
できるようになってきました
人見知りの怖がりなので
申込みや問い合わせは、えい!って
勢いがないとできないのですがね
この積み重ねが
自分への信頼感を取り戻し
感謝の気持ちを育てて
自分ともっと仲良くしてくれると
思っています
昨日も一つ、えい!で申込みしたことが
ありました
今から楽しみです
やらせてくれる私に感謝!
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました
昨夜の出来事です
中1の娘、しつこい息子の言動に
イライラしてたんです
塾のオンライン授業の時間が近づいて
いたので
私が息子を連れ出して階段を降りていると
バンっとドアを蹴る音と同時に
「ギャー、ママ来て!」って
娘の声がしました
察しのついていた私が重い足取りで
寝室に戻ると‥
ドアにまぁまぁ大きさの穴があいてました
泣き顔の娘が
「ママごめんなさい、どうしたらいい?
許してください
」
と、言ってくるのです
娘はすでに反省はしているし
私に許して欲しがっています
でも
「大丈夫、Mは気にしなくていいよ
修理すれば済むことだから」って
言うのは私が娘の責任まで
引き受けることになる
それを言うことに違和感を
感じている私がいました
私は、うわ〜、って面食らって
娘を守ることに意識が向きかけましたが
意識の矢印を自分に向け直しました
ドアに穴があいてしまい悲しい、悔しい
私の大切な家なのに
とは感じましたが
不思議と娘への怒りの気持ちは
出てきません
イライラさせる思春期のホルモンの影響は
過分にあるだろうし
突発的な言動も
娘というよりホルモンが娘を操っている
ホルモンが暴れている状態
娘は娘でびっくりしているし
やってしまったことを
私に許してもらえないのは
すごく怖いこと
私は最近までずっと
大切な娘を守りたくて
娘の感情にまで
責任を持ってきました
でも今はもう
それを辞めたいと思ってる
私がいます
娘は私が守らないといけないほど
弱くはないし
自分で考える力も持っています
イライラしてしまって
ドアを壊してしまった、という
自分の行動を娘がどのように感じて
どう対処するのか
私は見守ろうと思い
最終的にはキレイなドアになる方法を
夫と私が考えるし、お金はかかるけど
何とかなるものでよかった
突き放すようではありましたが
「ドアに穴があいてママは悲しい
許しはしないよ、
どうするかは自分で考えて!」
と言いました
娘が
何事もなかったように知らんぷりするのか
自分で修理するのか
修理してほしいと言ってくるのか
私が思いつかない対処をしてくるのか
どれでもいいんです
娘が自分で選択するのであれば
私が許すとか、許さないとかは
全くもって
どうでもいいことだよなぁ、と
思います
そもそも意識では怒ってもなく、すでに
許してます
娘が反省して泣いてる横で
スマホでドアの値段調べてました
うちのドアはペラペラの板でできてて
中は空洞でした
中学生のキック力には抗えず
壁じゃなくてよかった!という問題でも
ないですが、怪我がなくてよかった
この子が10年後ドアに穴をあけるなんて
当時の私に教えてあげても
信じなかっただろうなぁ
今も泣く時同じ顔してるけど
力も強くなったし
身長も私と変わらなくなってきました
「子供が壁に穴をあけたらお赤飯を
炊こう!」っていうのをみつけました
さすがにそこまでは思えないけど
私もこの事件を
成長の一過程として受け取りました
うちでこんなことが起こるとは
1ミリも予測してなかったですが💦
子育てって本当何が起こるか分からない
10年後には我が家のネタに
なってるでしょうがね
今日も最後まで
お読みくださりありがとうございます
今日はアウトレットに行ってきました
12月にリニューアルオープンしたのですが
人が多いところが嫌いな私は
中々行く気にならず
娘からの猛烈アタックを受けて
ようやく重い腰をあげた感じです
HSCの息子は「行ってもすぐ帰りたくなる
から留守番しておく」と父と留守番
夫は新しいところには
一先ず行ってみたい人なので
乗り気でついてきました
娘は友達と何度も行っていて
クーポンのもらい方とかリード
してくれました
今はほしいものそんなにないな〜と
思っていた私でしたが
服屋さんをのぞいていると
いいな、こんなの着てみたいな〜
かわいい!これは私に似合うかも
お気に入りのニット傷んできたから
これなら代わりになるかも〜
なんだか心がうきうきしてきました
気になる服を何点か試着すると
ちょっとダボっとしすぎだな
こういうの持ってる、いらないな
これはしっくりくるな
我ながらこれは似合ってる!
とか自分の感覚に従って
判断していく感じが楽しくて
るんるん気分になりました
そして
薄手のワンピースと
厚手のニットカーデガンと
暖かそうな普段着用のパンツ
を買いました
ワンピースは薄手なので春にならないと
着れなさそうだけど
試着すると、大人っぽくてステキだったし
(いやいや、もう十分に大人ですが
)
アウトレット価格でもあったし
一番嬉しい買い物になりました
娘もお気に入りをみつけて
2着ほど購入
夫は別行動で一通りのお店を見て
買うか迷っていた通勤カバンがあったけど
結局買わずでした
「まだ安いな、身につけるものは高い方が
いいような気がしてきた」って言ってました
これ、意外だったんですよね
以前の夫はカバンとか財布とか
無頓着で安ければいい!みたいな
選び方をしていたんです
私はいいもの
安いもの買い分ける派なので
プチプラも大好きだけど
通勤カバンとか、時計とか
アクセサリーとかは
定番の長く使うものは
いいもの、しっかりしたものを
買いたいタイプで
そこにはお金を使いたいなと
思うんです
なので、良かれと思って
夫にもその買い方を勧めてきました
今思うと
定番品はいいものを長く使うのがいい
という私の価値観を押し付ける
コントロールではありますね
当然ながら
そこが夫には伝わりにくくて
もっと安いのでいいのに、とか
これはもっといいのがほしいのに、とか
不服そうな時もありました💦
なので最近は
私も夫の好きにしたらいい、と
特に意見することもなかったんです
でも夫も使ってみて
これは高かったけど長く使えるな、とか
安いかったらすぐダメになる、とか
経験してみて感じることがあったようです
そして私の
いいものを長く使うのがいいという
価値観に寄ってきた
夫婦の価値観ってこうやって
似てくるんだなぁって感じました
価値観は人それぞれ違って
当たり前です
以前の
私は近しい人との境界線が薄く
自分がいいと思ったことを
夫や子供にも教えてあげなくちゃとか
絶対にそれがいいに決まってるって
思い込んでいたところがあります
そしてそれが人を大切にすることだと
思っていたし
愛情であり、幸せにすることだと
思っていました
今考えると
とても傲慢な考えですが
その時はそれが私なりの精一杯の愛だった
んですよね
でも、夫にも子供にも
それぞれに考えや価値観があります
お互いの価値観が影響を与え合うことは
ありますが
それが押し付けになると
コントロールとなり不快に感じるし
関係に歪みが生じてきます
現に私も離婚寸前まで経験してます
価値観は個々のものであり
家族であっても他人の力で変えられる
ことではありません
今の私は
お互いの価値観をおもしろがって
尊重する、ということを意識しています
おもしろいというと語弊があるかも
しれませんが
興味を持って理解しようとすること
が大切だと思うのです
その中でいいな、と思ったものを
今度は自分の既存の価値観の中に
取り込んでみる
そうやって自分自身の価値観も
少しずつ変化させ、アップデートする
ということを
みんな意識はしていないけど
自然にやってるんですよね
夫もそうやって
いいものを長く使うのがいいかもしれない
という価値観を取り入れたのだと
思います
人それぞれの価値観があって
色んな価値観に触れることにより
影響をうけて
自分自身の価値観も変わっていく
また
価値観✖️価値観の掛け合わせで
化学反応が起きることもあるでしょう
人と関わることって
その人の価値観に触れることでも
あると思うんですよね
私は看護師をしていて
そう感じることがよくあります
心の勉強をして
自分や人の心の深いところに
触れるのもまた同じで
私はそれが好きで、楽しくて
ワクワクするし
色んな価値観に触れてみたいな、と
思っています
日が落ちた直後の空の色
私の大好きの一つ
お茶したカフェから明石海峡大橋と
一緒にステキに見えました〜
今日も最後までお読みくださり
ありがとうございました

