幼い頃にお母さんに対して感じていたこと

って覚えていますか?

 

 

安心、信頼、暖かさ、のような

自分を守ってくれる優しいものだったり

 

 

ちゃんと見て欲しい

気にかけて欲しい

認めてほしい

ありのままの自分を愛して欲しい

 


などといったお母さんに求めていた

気持ちだったり

 

 

色々なものが出てくるのでは

ないでしょうか

 

 

この幼少期にお母さんに対して感じていた

ことは大人になってからも

身近な人に対して感じやすい感情と

なるのです

 

 

 言わないでも気づいてくれるのが愛

 

少し前のブログで

「言わないでも気づいてくれるのが愛」という

私の思い込みについて書きました

 

↓こちらがその記事です

 『【言わなくても気づいて欲しい】置いてきぼりだった幼い私の気持ち』「言わなくても気づいてくれるのが愛」 意識はしていなかったけど、私がずっと握りしめていた思いです  私のことを気にかけてくれるのが愛 気にかけていたら言わなく…リンクameblo.jp


これは

幼い頃の私が母からもらいたかったけど

もらえなかった愛なんです



欲しくて欲しくてたまらなかったけど

母は気づいてくれず

 

私がその愛を受け取ることはほとんどが

叶いませんでした

 


言わないのだから、気づいてもらえない

というのはごく自然なことで


母に悪意があったわけでも

愛してもらえていなかったわけでも

ないのだと今ならわかります

 

 


だけど

気づいてもらえない私の気持ちは

ずっと満たされませんでした

 

 

そしてその満たされなかった気持ちは

私の中で生き続けていたんです

 

 

手に入らないけど、諦められない

 


そうなると狂おしいほどに欲しくなり

それ以外のものが見えなくなってしまい

「それしか欲しくない」という強い拘り

となるのです



それが執着です

 

 

 

そして私は

母に満たしてほしかったこの思いを

夫に対して求めるようになったのです



多くの男性は女性が求める程の共感力を

持ち合わせていないので

(これは男性の特徴としてです)

私の夫も私の気づいてほしい

ところには気づいてくれませんでした



家事や子供のことで助けて欲しい時

私から言えばやってくれるけど

言わなければ気づかない夫に対して


 

言わなくても分かるでしょ

気づかないのは愛されていないから

大切に思われていないからだ


と不満を感じていました 



そして

私がお願いをしても

夫は聞き入れてはくれるものの

嫌々、渋々という様子で快くは

応じてもらえないことが多かったのです



私はそれを夫に愛されていない証拠 

と感じて孤独感や悲しさ、虚しさを

強めていきました



「言わないでも気づいてほしい」という 

母が叶えてくれなかった私の思いは


夫にも叶えてもらうことができなかった

んですよね



最終的に私は、こんな思いをするくらいなら

1人でやった方がマシだと、夫を頼ること

を諦めてイライラしながら

自分1人でやってしまうようになり

夫への不信感を強めていきました  



当然ながら

夫婦の溝は更に深まっていったのです




今なら分かるんです



私が夫に伝える時は

どうして分かってくれないんだ!という

不満が隠しきれないほど膨らんでしまって

おり、だからこそ夫も嫌々応じていたし



そんな夫を見て私もまたイライラする



私が発したものが負のループになって

自分に返ってきていたのですよね



夫のことを信頼して素直に伝えれば

こんなことにはならなかったんです



そして

イライラしながらであったとしても

応じてくれたという結果に、夫の愛

や優先してもらえた、という事実が

あるのですよね




ここまでやり切って私は


「言わないでも気づいてくれるのが愛」

という強固な思い込みを



親子であっても、夫婦であっても

 言わないと気づいてもらえない

 言えばちゃんと分かってもらえる」


と書き換えれたのです



文字にすると当たり前のことですが

この当たり前を見えなくさせるのが

幼少期のお母さんとの関係から作られた


メンタルブロックなのです



子供だった私がお母さんの愛を

求めて必死に掴もうとしていたものは

本当は必要ないものだったんです



本当はもっと簡単に手に入るものだったし

実は求めなくてもはじめからちゃんと

はあったんですよ


お母さんも夫もちゃんと愛してくれていた

んです


私が執着していた形の愛でなかった

ただそれだけだったんです



こうやって私たちが無意識のうちに

身近な人に対して母を投影している

ことって意外と多いものです



もし、夫婦関係、親子関係がうまく

いっていないと感じるのであれば

幼少期に

お母さんに対して感じていたことや

お母さんとの関係を見てみるといいですよ



難しいな、と感じる方は



まずは

小さなことでいいので

素直にお願いしてみることから

はじめてみましょう


素直な気持ちは相手のことも素直に

してくれますからね


積み重ねで関係性はきっと

変わってくるはずです



明日はどんな日になるでしょう?

1ヶ月後、半年後、1年後はどうでしょう?

 

 


そう問われるとどう感じますか?

 

 

 

少し前までの私は

明日も、1ヶ月後も、1年後も、ずっと

今日と同じような明日が来る

疑いもなくそう感じていました

 

 


楽しみにしている予定すら、いつも

それが終わったらまた何も楽しみが

なくなってしまうという淋しさが付き纏う

期間限定の楽しみにしかなりませんでした

 

 

朝起きた瞬間から

早く夜になって寝たいな、と夜を目指し

 


1日1日をこなしながら

休みの日を目指して仕事をする

 


1週間を4回こなしているうちに

1ヶ月が経ち

 


1ヶ月を何度かこなすと季節が変わり

  


季節が4回変わったら1年経っていた

 

 

 

大人になってからの私の生活って

こんなふうにずっとこなしている

という感覚だったんですよね

 

 

楽しいこともあるけど

ずっと楽しいことが続く毎日なんて

想像もできなかったし、私には関係のない

世界だと思っていました

 

 

だからこそ

子供が生まれてからは子供の成長が生き甲斐

になったのだと思います

 

 

日々成長する小さくてかわいい存在は

私の生活に彩りを与えてくれたのです

 


娘が生まれた瞬間から宝物を手に入れたような

安心感がありました

 


この子がいれば私は幸せになれる

という安心感です

 

 


子供がいる生活は 

私の知らなかった世界ををたくさん

見せてくれたし、与えてくれました

  


心からの愛おしさという気持ち

 

成長を見る幸せ

 

求められる幸せ

 

疑うことなく注がれる

まっすぐな信頼


 

どれも、これまで感じていた感覚は

偽物だったのかもしれないと疑い

たくなるほどに私にとっては強烈な

ものでした

 


もちろんそれは素晴らしいものだった

でも、引き込まれるあまり

子供と自分との間の境界線を見失い


子供の成長や体験を通じて

自分を満たそうとするようになったの

です



そな時は全く気づいていなかったけど

それは紛れもなく

子供への依存でした


 


「自分より大切な存在」である子供を

私の人生の主軸にしてしまったんです



よくも悪くも、子供のために生きるように

なり、「お母さん」という役割を生きる

ことで自分の人生を生きることから

目を逸らしてしまったのです



それは自分の幸せを

子供に委ねることでもありました



心のことを学ぶようになりこの怖さに

気づきました



そして

子供たちのことはもちろん大切だけど

娘も息子も自分の人生を自分のために

生きているんだ


という当たり前のことを当たり前に

感じる感覚を取り戻せたように

感じています



私の人生の最優先事項は

私の願いを叶えてあげること



子供のせいで時間がない

子供のせいで自由がない


と思い込んでたけど、そんなことは

ないんです



子供たちを信じて、任せて、やらなきゃ

いけないと思っていたことを手放せば

時間も自由も思っていたより

ずっとたくさんあります



1人で難しければ人に頼ってもいい

ですしね



子供たちの夏休み中ではありますが

今年の私は結構自由にさせてもらって

います



会いたい人に会って

行きたいところに行って

やりたいことにチャレンジする



こういう自分の願いを叶えてあげること

を大切にしています



子供とすごす時間が減ったとしても


子供は子供で自分の時間を過ごして

いるし


私がいなくても実はそんなに困らない

のだということも体感的に

分かってきました




「あー、楽しかった」という私の充実感

は子供にも届くんですよね



お母さんがお母さんの人生を

楽しく生きている様子って子供にしたら

希望でしかないのです



以前の自分を振り返り感じるのは


自分の幸せを子供に委ねて

自分の人生を生きていないお母さんが

子供に


「人生は楽しいよ、人生は自由だよ」


と、言ったとしても嘘だらけだし

説得感のかけらも感じられなかったと

思うのです



究極として感じることは

私は子供のためにも

私の人生を生きることをあきらめない


そんな気持ちです



昨日はあるきっかけをいただいて

少し先のなりたい自分をイメージする

機会がありました



そのイメージには今と同じ私はいません

でした



願望も含めて

今より成長した私 

こうありたいなという私を描くことが

できました

 


私の人生はもうこなしていくものでは

ありません

自分で作っていくものなったんです



自分の人生を生きるってこういうこと

だったんです



そして、私にとっても子供にとっても

「こなす」時間も必要だったんだな

とも感じています



やはり人生に無駄な時間なんて

何もないのです


今後もその時々で自分と相談しながら

バランスをとっていけばいい


今はそうも感じています



あなたは1ヶ月後、1年後、どんな自分

でいたいですか?





今日も最後までお読みくださり

ありがとうございますにっこり

やなせたかしさんが生んだ

アンパンマン

誰もが知る国民的ヒーローです



象徴的なシーンが

おなかを空かせて困っている人々の

ためにアンパンマンが自分の

顔をちぎって



「ぼくの顔をどうぞ」と

惜しげもなく差し出すシーン



あなたはこれを見てどう感じますか?




アンパンマンの顔をもらった人は

おなかが満たされて心も潤い

笑顔になります



アンパンマンは正義の味方なので

空腹の人や困っている人を助けるという

使命の元に生きています



顔をあげてしまうとアンパンマンの

力は減ってしまい

ヘロヘロになってしまいます



見方によると

自己犠牲ともとれるアンパンマンの

正義感



でもね、アンパンマンががんばれるのは

ジャムおじさんをはじめとする

パン工場のみんなが支えてくれるから

なんじゃないかな、って思うんです



どんなに残りの顔が少なくなっても

与える、助ける精神を貫けるのは


どんなピンチも乗りこえて

新しい顔を作って届けてくれる仲間の

ことを信じているからなんじゃないかな

って



顔を分けてもらう人(動物)たちも

見ている子供たちも

アンパンマンの顔は欠けたままでは

なくって


必ず「元気100倍!アンパンマン!」に

復活するって分かっている

からみんな安心して受け取れるし、

見ていられるんじゃないかな、って

思うんです



そう考えると

アンパンマンの仲間への信頼の気持ち


与えられる人々の

アンパンマンへの信頼の気持ち


見ている子供たちの

愛と正義が守る世界への信頼の気持ち




これらの信頼こそが

アンパンマンの優しい世界観の土台

私にはそう感じられるのです



そして

これって私たちの世界でも言えること

だと思うんですよね



自分が困った時に助けてくれる人がいる

どんな時も自分の味方してくれる人がいる

という他者への信頼感



何より自分のことを1番の味方、と思える

自分への信頼感



この信頼感を感じられる人の世界は

安心できる優しい世界です



この世界にいると失敗することや

挑戦することも怖くない



だって、どんな自分でも大丈夫なん

ですからね




逆に

自分が困った時に助けてくれる人はいない

誰も自分の味方してくれない

という他者への不信感



何より

自分で自分のことを責めてしまったり

信じられなかったり、自分が自分の

敵になってしまう



こんな他者や自分への不信感に

満ちた世界は安心感の薄い怖い世界



この世界にいるといつも何かに

怯えていなくてはならず

失敗が怖くて挑戦できない



自分でない何者かになろうとして

叶うはずのない理想を追いかけ続ける

辛い世界です



並べてみると極端に感じますが

実際はこの2つの世界の間くらいに 

いる人が大半なのではないでしょうか



でもね、自分さえ決めれば優しい世界

にお引越しできるんですよね



まずは

自分のことを認めて信じてあげること

です


自分のことが信じられれば自然と

他者のことも信じる力が育ちますからね



私も今、練習中なので

ピンときた方、一緒にやってみませんか?


​とはいえ、                              まんまるピカピカのアンパンマンを見ると安心するのは私だけでしょうか(笑)

家族のためにがんばるお母さんが

優しい世界を見せてあげることって

何よりも子供の心の栄養となりますからね



今日も最後までお読みくださり

ありがとうございますにっこり