那覇空港に着いたとき、沖縄の会員の皆さんと北陸の直前会長である榎本晋氏の振る舞いにより、聖なる三本旗と共に迎えられ、大変に嬉しく思いました。
EMウエルネスリゾートホテルコスタビスタ沖縄の夜景が大変美しいことに感動しながら迎えた翌朝、ホテルの朝食を食べに向かったときから、私は驚きの連続を味わいました。ホテルコスタビスタ沖縄には何度も訪れていますが、経験したことがないほどエレベーターが満員だったことにまず驚きました。そして、レストランにもたくさんの人が溢れ、賑わっていました。出されている料理、食材も都内のホテルレストランにも劣らないものになっていました。
あまりにも感嘆したため、レストランの責任者を呼んでもらうと、このホテルで働き始めて3年目だという石垣氏が来てくれました。向き合ったときに彼は、瞬時に本音を口にしました。「すごいですね」
それを聞いて、私は、「初めに言葉ありき」という思いが走りました。かつてのEM技術を活用して改修される前のホテルコスタビスタ沖縄は、13年間も放置され、風雨にさらされ、館内の鉄骨もむき出しになっていたため、比嘉照夫教授が語る「EMの癒しを求めて世界中の人々がここに集まる」という言葉を、現実とかけ離れた夢物語のように聞いていました。それが、今では、本当にいろいろな国の人々がEMの素晴らしさを認めてここに集まっているのです。私はこれを比嘉教授の「EMイズム」が為せる業だと思います。
多くの人々が、EMの持っている波動、振動、周波数に引き寄せられ、生命活動を整え「整流」となっていく姿、その「初め」「始まり」を私はこの時、目の当たりにしたのです。この日は、220室のうち、96%が稼働していたということです。私は、ホテルの当事者である従業員にまで、ホテルのこの躍進に対して「すごい」という言葉を発させることができる比嘉照夫教授を、今後、畏敬の念をこめて「偉大な人」と呼ばせていただくことをその場で宣言しました。
比嘉教授の愛弟子であるEM研究機構の安里勝之社長も私の宣言を証人として聞いてくださいましたので、日々、いろいろな方と接する中で、必ず「偉大な人」を語ってください、とお願いしました。小さな「言霊」は、そのエネルギーの積み重ねによって無限の威力を発揮するからです。ホテルコスタビスタ沖縄へは、日本国内はもとより、主に中国、韓国、香港などアジア圏から多くの顧客が訪れています。今後は世界中からこの何倍もの顧客が訪れることでしょう。予約は数か月先まで埋まることが常態となります。そのためにも伝説は、肉声で語らなければなりません。この先頭に立つ人物こそ、安里氏なのです。
EM研究機構の役員室には、大変大きな世界地図があり、そこにはEMの世界普及の様子が示されていました。世界55カ国でEMを生産し、35カ国に流通し、EMと比嘉教授を知る国家は実に130カ国にも及んでいることを知りました。この地図を見たときにも、比嘉教授の「EMイズム」の素晴らしさを感じ、我々組織のSPC讃歌が「シントロピー!シントロピー!シントロピー!」から始まるのを誇りとし、「出過ぎるクギは打たれない」ということを確信しました。
なお、この日、髪書房から刊行される私、横山義幸の自伝の推薦文を、比嘉教授とご子息である比嘉新さんに書いていただくことになりました。ありがとうございます。
沖縄統括会長就職退任式では、沖縄の17年間の歴史に心血を注いだ担当者の皆さんの顔ぶれを拝見しました。藤田正幸氏、玉野良一氏、重谷隆己氏、平野勝洋氏、仲谷信子氏という豪華メンバーです。しかし、沖縄の会員数は2月末現在で、正会員9名、家族会員2名、休会員3名、メディア会員5名です。沖縄は全国の縮図です。多くの人が入会し、多くの人が辞めていくのが現状です。会員活動の継続と会員の資質向上の難しさを改めて感じます。
そのような中で、第五代沖縄統括会長である浦崎尚氏は、会長卒業にあたり、サプライズを表現してくれました。浦崎氏のお子さん、お孫さんのみならず、御母堂様まで、実に四代にもわたる顔ぶれで、就退任式に列席してくださいました。直前会長であった比嘉良子さんと長男の健太氏も、共に本質的な成長が見られ、魅力を増しています。新会長である玉城和子さんも、発言に深い意識からの決意が感じられ、力強く思いました。また、入会8年目、47歳の島袋尚治氏は、インテリジェンスと活力を併せ持った力持ちで、組織の為によく働いています。41歳の新垣英樹氏は、島袋氏と同様によく働き、理髪店のオーナー技術者でありつつ、SPC組織をいつも忘れない人です。31歳の糸数力敏氏は、愛知の雄、加藤武彦氏に師事し、勇んで帰郷してきた若き期待の星です。上原有広氏となるよさんの兄妹コンビは、浦崎氏にしっかり育てていただけば、良い人財となり、多店舗化にも成功するでしょう。
発展の道は平坦なものではありません。そこで、一人一人が持っている力を発揮することで、自己、自社、組織が生成発展していくのです。自らの才能に気づき、成長させていくことも各自の持っている責任によるものです。沖縄にも、全国にも、まだまだ出しきれていない才能の芽が埋もれています。誰もが、力の出し惜しみをせず、決意も新たに突き進んで行きましょう。
EMウエルネスリゾートホテルコスタビスタ沖縄の夜景が大変美しいことに感動しながら迎えた翌朝、ホテルの朝食を食べに向かったときから、私は驚きの連続を味わいました。ホテルコスタビスタ沖縄には何度も訪れていますが、経験したことがないほどエレベーターが満員だったことにまず驚きました。そして、レストランにもたくさんの人が溢れ、賑わっていました。出されている料理、食材も都内のホテルレストランにも劣らないものになっていました。
あまりにも感嘆したため、レストランの責任者を呼んでもらうと、このホテルで働き始めて3年目だという石垣氏が来てくれました。向き合ったときに彼は、瞬時に本音を口にしました。「すごいですね」
それを聞いて、私は、「初めに言葉ありき」という思いが走りました。かつてのEM技術を活用して改修される前のホテルコスタビスタ沖縄は、13年間も放置され、風雨にさらされ、館内の鉄骨もむき出しになっていたため、比嘉照夫教授が語る「EMの癒しを求めて世界中の人々がここに集まる」という言葉を、現実とかけ離れた夢物語のように聞いていました。それが、今では、本当にいろいろな国の人々がEMの素晴らしさを認めてここに集まっているのです。私はこれを比嘉教授の「EMイズム」が為せる業だと思います。
多くの人々が、EMの持っている波動、振動、周波数に引き寄せられ、生命活動を整え「整流」となっていく姿、その「初め」「始まり」を私はこの時、目の当たりにしたのです。この日は、220室のうち、96%が稼働していたということです。私は、ホテルの当事者である従業員にまで、ホテルのこの躍進に対して「すごい」という言葉を発させることができる比嘉照夫教授を、今後、畏敬の念をこめて「偉大な人」と呼ばせていただくことをその場で宣言しました。
比嘉教授の愛弟子であるEM研究機構の安里勝之社長も私の宣言を証人として聞いてくださいましたので、日々、いろいろな方と接する中で、必ず「偉大な人」を語ってください、とお願いしました。小さな「言霊」は、そのエネルギーの積み重ねによって無限の威力を発揮するからです。ホテルコスタビスタ沖縄へは、日本国内はもとより、主に中国、韓国、香港などアジア圏から多くの顧客が訪れています。今後は世界中からこの何倍もの顧客が訪れることでしょう。予約は数か月先まで埋まることが常態となります。そのためにも伝説は、肉声で語らなければなりません。この先頭に立つ人物こそ、安里氏なのです。
EM研究機構の役員室には、大変大きな世界地図があり、そこにはEMの世界普及の様子が示されていました。世界55カ国でEMを生産し、35カ国に流通し、EMと比嘉教授を知る国家は実に130カ国にも及んでいることを知りました。この地図を見たときにも、比嘉教授の「EMイズム」の素晴らしさを感じ、我々組織のSPC讃歌が「シントロピー!シントロピー!シントロピー!」から始まるのを誇りとし、「出過ぎるクギは打たれない」ということを確信しました。
なお、この日、髪書房から刊行される私、横山義幸の自伝の推薦文を、比嘉教授とご子息である比嘉新さんに書いていただくことになりました。ありがとうございます。
沖縄統括会長就職退任式では、沖縄の17年間の歴史に心血を注いだ担当者の皆さんの顔ぶれを拝見しました。藤田正幸氏、玉野良一氏、重谷隆己氏、平野勝洋氏、仲谷信子氏という豪華メンバーです。しかし、沖縄の会員数は2月末現在で、正会員9名、家族会員2名、休会員3名、メディア会員5名です。沖縄は全国の縮図です。多くの人が入会し、多くの人が辞めていくのが現状です。会員活動の継続と会員の資質向上の難しさを改めて感じます。
そのような中で、第五代沖縄統括会長である浦崎尚氏は、会長卒業にあたり、サプライズを表現してくれました。浦崎氏のお子さん、お孫さんのみならず、御母堂様まで、実に四代にもわたる顔ぶれで、就退任式に列席してくださいました。直前会長であった比嘉良子さんと長男の健太氏も、共に本質的な成長が見られ、魅力を増しています。新会長である玉城和子さんも、発言に深い意識からの決意が感じられ、力強く思いました。また、入会8年目、47歳の島袋尚治氏は、インテリジェンスと活力を併せ持った力持ちで、組織の為によく働いています。41歳の新垣英樹氏は、島袋氏と同様によく働き、理髪店のオーナー技術者でありつつ、SPC組織をいつも忘れない人です。31歳の糸数力敏氏は、愛知の雄、加藤武彦氏に師事し、勇んで帰郷してきた若き期待の星です。上原有広氏となるよさんの兄妹コンビは、浦崎氏にしっかり育てていただけば、良い人財となり、多店舗化にも成功するでしょう。
発展の道は平坦なものではありません。そこで、一人一人が持っている力を発揮することで、自己、自社、組織が生成発展していくのです。自らの才能に気づき、成長させていくことも各自の持っている責任によるものです。沖縄にも、全国にも、まだまだ出しきれていない才能の芽が埋もれています。誰もが、力の出し惜しみをせず、決意も新たに突き進んで行きましょう。