みなさま、こんにちは。
ふじこです。
 
 
私にとって、ここ数年、3月といえば、忙しい月です。
 
3年前の3月に乳がん摘出の手術を受けて、以降半年ごとに定期検診を受けてきました。
悪性度も増殖能もハンパなく高かった私の乳がんを先生方が綺麗に切り取ってくださり、看護師さんや薬剤師さんも一緒になって闘ってくださり、リハビリの先生方が根気よく励ましてくださり、そして家族が友人が知り合いが周囲の方々が支え続けてくださり、この3年の節目を迎えることができました。
 
前述のように私のようながんタイプの場合は、もし再発するとしたら3年以内に起こる場合が多いそうで、だからこそこの3年間は慎重に経過を見守る必要がありました。
3年経って何もなければ一安心、5年経てばほぼ安心、10年経てば太鼓判、と言われますが、先日ようやく、その3年を無事にクリアすることができました。
 
どこかで書いたかもしれませんが、私は人一倍好奇心が強い性格ゆえ、もしかしたら、「がん」「闘病」というものを、一度経験してみたかったのかもしれません。いや、たぶんそうだったのだと思います。
今現在闘われている最中の方々には非常に失礼で実に不謹慎に聞こえるかもしれません。経験者の方やその周囲の方々からも信じられないというお声をいただくかもしれません。
ただ、この経験によって、私の人生が良い方向へ大きく舵を切ったことは事実です。
かけがえのない大切な宝物も、たくさんもたらしてくれました。
だから、なかったことにはできません。隠すこともしません。
でも、命がけの経験だったので、人には決してオススメいたしませんけどね。笑
 
辛いこともたくさんありました。特に、人間関係。
親友だと思っていた人に裏切られました。同じく親友だと思っていた人に、心無いことを言われました。ただの遊び相手に過ぎないと判明した友人がいました。医療者である同級生に、信じられない言葉を矢継ぎ早に投げかけられました。それに同調して笑う人がいました。その人たちに私の居場所を奪われました。はじめは優しかった人が、どんどん面倒くさそうな態度や表情に変わっていきました。陰口を陰で言えない、わざと聞こえるように悪口をいう人がいました。汚いものを見るような目で睨んでくる人がいました。自分の考えを押し付け、恩に着せて自己満足に浸る人は何人もいました。
街中では、痛いところにぶつかってくる人がいました。歩きスマホは病人のことなんてお構いなしでした。バスの優先席に座ると白い目で見られました。増え続ける観光客の存在が、苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。それらを放置する行政にも、怒りは膨らみました。
この3年で、私はすっかり根に持つ人間になってしまいました。なぜなら上記の人たちは皆、今の今まできちんと謝ってくれていないから。傷ついたことを伝えても、「ごめん」より先に言い訳が先行する人はたくさんいました。
 
一方で、たくさんのよろこびや幸せもまた、人々からもらいました。
一緒に泣いてくれる人がいました。そんなに仲良くないと思っていた人が(←失礼)、ものすごく親身になってくれました。遠くからエールを送り続けてくれる人がいました。金沢に行きたいと言って、本当に飛んできてくれた人がいました。家族ぐるみで応援してくれる人がいました。この人、なんでこんなに良くしてくれるんだろう?と不思議に思うくらい親切で情に篤い人がいました。見つけるとどんなに遠くからでも声をかけてくれる人がいました。何気ない日常をメールや写真で伝えてくれる人がいました。動じずに(←少なくとも表面上は)私の話に静かに耳を傾けてくれる人がいました。「強いね」「カッコイイ」と言ってくれる人がいました。「キレイ」「かわいい」「美しい」と褒めてくれる人がいました。「絶対大丈夫!」と励まし続けてくれる人がいました。
それらには新しい出会いもあり、既知の人々の新たな面を知る”出会い”もありました。
そして、知らなかった自分の一面との”出会い”でもありました。
現に、前者の辛かったことよりも、後者の嬉しかったことで涙している自分が今、ここにいます。
 
入院中の平成27年3月14日は、折しも北陸新幹線の開業日でした。
なんだか悔しくって、母が持ってきてくれた新聞の特別紙面も遂に退院まで(退院してからも)読む気にならなくて、そのまま捨ててしまいました。
開業祝い御膳と称して出された病院食の赤飯と鯛の焼き物は、完食してやりました(笑)

 
開業以来、まだ新幹線には乗っていません。
今年の目標は、その北陸新幹線に乗って東京へ行くことです。行きはグリーン、帰りはグランクラスで。
待ってろTOKYO!!
 
また、センシティブなことではありますが、世の中の誤解を少しでも解くために、そして、同じことで悩んでいる方々に前を向いていただくためにも、あえて書きます。(少し赤裸々ですのでR18指定です笑)
抗がん剤の使用は、男女ともに、生殖器に少なからず影響を与えると言われています。
女性の場合、抗がん剤を打つと生理が止まります。年齢やその他の要因もありますが、抗がん剤の使用が終わった後、そのまま閉経してしまう場合もあります。
かつ、私は闘病中に橋本病の診断も受けました。甲状腺機能低下症のことで、バセドウ病の反対、と思っていただくとよいかと思います。
疲れやすかったり、朝起きられなかったり、やる気が出なかったりといった症状が出ます。そのため、単にやる気のない人、だらしのない人と誤解を受けることもあります。そして、妊娠中にこの病気が進むと、胎児に奇形が生じるおそれもあるため、専門家の経過観察は必須です。
ですから、35歳(当時)・シングルの私にとって、それらが非常に悩ましかった。
卵子の凍結保存も勧められました。でも、神の領域に反するような生殖行為は、私はしたくなかった。(個人の見解です)
もしも、もしもの場合は、身寄りのない子を引き取って育てたほうが世のため人のためになる、そうも考えました。っていうか、弱ってる時の卵子より、治療全部終わって元気を取り戻した後の卵子のほうが元気なんじゃないの?とも考えました。そして、神様と仏様とご先祖様を信じることにしました。なぜならその時、「信じろ!」という声が聞こえたから。
なので、卵巣を保護する注射を、抗がん剤治療と同時に受けて、乗り切ることにしました。
 
抗がん剤治療終了後半年ぐらい経って再び生理が来たときは、本当に嬉しかった。
あんなに面倒で苦痛だったものが、こんなに嬉しいなんて(笑)
そして先日ついに内科の先生からも「今なら妊娠しても全く問題ないですよ」と太鼓判をいただきました。
ですから、現在38歳の私にとって、結婚も妊娠も出産も、これからの大きな、楽しみなイベントです。
幸い見た目も若くて美しいので(笑)、ひとつも諦めてはいません。(顔出しのハードル爆上げ)
 
乳がんサバイバーだと打ち明けると、あっ今この人、さりげなく私を恋愛対象外にしたな、と感じることもあります。
悲しいし悔しいですけど、一方でこちらからしても、そんな男なんて願い下げです。
たしかにおっぱいは片方ないですし(再建手術を受けるつもりもありません)、病歴や年齢、もろもろのリスクやハンデがあることは自覚しています。
ですが、他の皆さんにもそうであるように、もろもろ含めた私を丸ごと受け入れてくださる方を、私ももろもろ含めて丸ごと受け入れたい。
あと必要なのは相手だけです。笑
公開婚活みたいになってしまいましたが…変な虫さんは寄ってこないでくださいね。こちらにも当然選ぶ権利はありますので。笑
 
乳がんに関するブログかサイトも、新しく作るつもりでいます。これに関してはすっかり「するする詐欺」になってしまっていますが…
構想は膨らんでおります。(爆上げその2)
 
一方で、すでに運営しているサイトもあります。
闘病中の方や、それにまつわる経験、またそれだけに留まらず、すべての苦しんでいる人に、一すじの光、一ときの癒し、のようなものになれたら、と。
よろしければ、のぞいてみてください。
 
 
新しい季節を前に。
 
 
ではまた次回、ごきげんよう。
 
 
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