怪電波放射時代のフィール教四支柱と正義 ⑤正義 | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

正義とは何でしょう

何が正義かなんて、この世のどこを探しても答えはねえだろう…ワンピースの黒ひげの言葉です。

違いますね。

何が正義かに対しては、明確な答えがあります

人類の長き歴史で、人は常に自分の正義を振りかざし、争いや戦争をしてきた…とそう思うかもしれません。

本当にそうでしょうか。

それは本当の正義だったのでしょうか。

独りよがりの身勝手な正義ではなかったでしょうか。

独りよがりの身勝手な正義は嘘偽りの正義であり、悪です。

それでは大宇宙万物を貫く、大宇宙普遍の正義とは、一体何でしょう

 

過去世私ことラヴァエル・フィールが率いていたフィール教団の根幹教義は以下のようなものです。

正義とは愛と自由と神性が最大に貫かれる世界です

愛~全ての人が幸福に暮らせる世界に向けて、全が真摯に努力する事

自由~全ての不当束縛、理不尽な縛り、不当な固定観念や既成概念から解放され、全が生き生きと活動できる事

神性~脳を最大に駆使した判断を行い、妥協無く全てを愛と自由に導く神性を高め、また神性が高い人を尊敬する事

それに性を合わせて、「愛」「自由」「神性」「性」の4本柱が不可欠と、私は常に説いてきました

性~性別を筆頭にあらゆる性が尊重し合い、性交を崇高なものとして尊重し合いながら楽しめる世界を作る事

 

私は地球で苦しみ抜き、最近の記事に書いた様に、それらの教義を以下の様に定義し直しました。

愛~全ての魂が幸福になる世界を、全が有機的に連動して真摯に努力する事で、実現させる事

自由~全ての不当束縛、理不尽な縛り、不当な固定観念や既成概念から解放され、全が有機的に生き生きと本人らしく幸福に活動できる事

神性~脳を最大限に駆使した判断を行い、それを重視しながらも経験則も巧みに取り入れ、妥協なく全てを愛と自由に導く神性を全員が有機的に連動して高め、特に神性が高い人を尊敬し協力して成功させ、世界を幸福に導く事

性~性別を筆頭にあらゆる性が尊重し合い、互いの交わり全てを壁のない意思疎通の中で尊重し合いながら楽しみ、全性が一緒に幸福になる事

これらを基に、私は正義を以下の様に定義し直します

正義~「愛」「自由」「神性」「性」全てを実現させる中で、それを遂行する魂が最大の力を発揮して活躍し、その障壁になる魂には慈愛と厳しさと共に更生の機会を与え、それが無理なら抹消し、全が幸福な世界を創り出す

 

まず、正義には「愛」「自由」「神性」と同じ位、「性」の要素も必要と判断したので、「性」を付け加えました

その中で、それら4要素を遂行しようとする者が最大の力を発揮できる様に、世界秩序や我々の在り方を変革していかねばなりません

戦争を巻き起こすとか犯罪を犯すとか苛めをするとか、全が幸福な世界を到来させるのに障壁になる魂も確実に出てきます

幸福になる為に障壁になる魂でも、何でもかんでも抹消するのではなく、更生できるのであれば更生させるべきです。

更生させる際には、自分がやった事は悪い事だと自覚して反省してもらわねば話にならないので、厳しい正義も必要ですが、それだけでは駄目で、反省し更生しようとした時に慈愛の力でもってその魂の歪みや荒みを癒し正しい方向に導く事が欠かせません。

苛めをする等邪気を孕んだ魂の内、更生しようとしなかったり更生できない魂は、いると人の幸福を壊すので、抹消しなければ世界は良くなりません

こうして世を真の幸福にする事が、正義だと新しく定義します。

 

「愛」「自由」「神性」「性」4要素を遂行する者が最大の力を発揮できる様にする為に、どの様に世界秩序や我々の在り方を変革していけばいいでしょうか

世界秩序については、以前私がよく出していた以下の地球の歪みを丸ごと更生させる事が欠かせないでしょう。

①「個性と自由の破壊」:人は誰しもが自由に生きる権利があるのに、自由に生きている人に対する僻みや嫉妬と歪んだ支配欲から自由を理不尽に縛り付ける身勝手がけじめとか躾とか教育という名で猛威を振るい、人の個性を減殺して機械化する事で人の目から光を奪い、どうでも良い事まで次々と指摘したり叩いて潰し、出る杭は正当な善悪の判断無く打ち、凸凹の人格を全てフラットに整地して、人の自由を個性と革新性と有機的判断力共々破壊してい

②「排他性崇拝二元論」:万物を流動系として捉える流転一元論ではなく、全ての個性に善悪正誤優劣勝敗をつける安直な二元論で万物を分断し、善が悪を潰し、正しさが過ちを攻撃し、優が劣を屈服させ、勝者が敗者を嘲笑する事を教える排他性崇拝教育が、調和を完全に粉砕し、ありとあらゆる不調和と争いと軋轢と不幸を生んでいる。

③「感受性封殺」:感受性の高い人に対する僻みと嫉妬と依存、そして特に自分の心の闇に対する逃避意識から、作業効率を引き合いに出して貶めたり、罪を擦り付けたり刃向かったり八つ当たりをしたりして、感受性の高い人の足を引っ張り、社会の上に立てなくしたり潰したりする

④「判断順位制の間違い」:自分の心の闇に対する逃避意識から、固定観念に満ち満ちた悪習の前には理論は糞以下、理論の前には感覚や直感は無意味、感覚や直感と理論の連動は有り得ない、宇宙の摂理は屁とも思わないという、圧倒的大多数が全く順位を間違えた判断しかしない

⑤「性欲の汚物視」:学校教育の場から性交を完全排除する歯止め規定の存在や、エロにはモザイクをかけ子供の目から引き離すのに残虐な殺人シーンは平気で見せたり、アンチエロを神格化してエロを貶めたり、女性の異性拒絶症の崇拝普遍正当化に代表される様に、性欲の汚物視を教育する事で性欲を歪め、性犯罪の発生のみならず、「生命力<死導力」の構図を創造強化し、性交により創造される全細胞に対し波動的損傷を与え、性欲から生み出される家庭へ歪みを持ち込む

⑥「矛盾産生教育(洗脳)」:上記の教育を、あなたの為に教えてあげているんだと諭し、理由ははぐらかし、従属しなければ汚物視異物視無視暴力で攻撃し、従属すれば金や食べ物や愛情を与えるという飴と鞭を使い分け、矛盾意識毒を生み出す矛盾産生教育という方法で洗脳する。

⑦「反怪電波排除システム(怪電波宇宙殲滅完遂システム)」:上記①~⑥の歪みを覆そうとする要素全てを、愚者の宇宙指導階級への歪んだ願望を虚構への逃避実現という形で利用し、上記①~⑥全てを総動員する事で悪として潰し、間違いとして否定拒絶し、劣として屈服させ、敗者として嘲笑し、その結果排除か隷従かの闇の二択の中で、怪電波放射大宇宙殲滅システムを完遂する。

怪電波については https://ameblo.jp/lazerc/entry-12689931107.html 終盤に書いてあるので、初めての人は熟読して下さい。

 

とはいっても、これら全てを正すのは、途方もなく長く険しい道の様に思えます。

課題は余りにも山積みだと思ったかもしれません。

しかし実際は、正義が施行されれば、全て解決に向かう事ばかりです。

それでは駄目じゃないかと思うかもしれません。

正義が施行される為には地球の秩序の歪みが改められなくてはいけない、しかし地球の秩序の歪みを正す為には正義が施行されねばならない、堂々巡りだと。

しかし、そうではないんですね。

この世界は邪気に満ち満ちていて、問題だらけですが、この世界の全てが間違っているでしょうか。

全ての人間が歪んでいるでしょうか、この世の中には良い人は誰もいないでしょうか、一部歪んでいる人間には良い所は何もないでしょうか、地球の秩序は絶対悪で正しい所は何もないでしょうか…その通りであれば、地球は救いようがなく、滅ぶしかありませんが、そうではありません。

良い人もいっぱいいれば、歪んでいる所がある人にも良い所もあって、地球の秩序にも正しい所がありますから、正しい所を伸ばし、間違っている所を修正する事で、更生できる可能性は十分にあります

例えば地球人は排他性が強いと私はよく言いますし、それは事実ですが、誰にでも話しかけ一人の人がいない様に努力し、皆の輪を取り持つ様に努力している調和的な人も沢山います。

その様な人の愛に触れる内に、自分の排他性の強さ等の歪みに気付き、反省して改める人も多くはないでしょうが、出てくるでしょう。

多くはないという表現を使ったのは、そんなに簡単に排他性の強さ等の欠点を改められる位なら、もうとっくの昔に改まっている事が多いからです。

歪んでいる人が自分の歪みに気付く事がまずまれで、自分の歪みが正しいものだと信じ込んでいたり自己正当化している事が多く、気付いたとしても改める気が無かったり、改めようとしてもこれまで長い間かけて作られた自分の歪みを改める事は多くの場合容易な事ではありません。

自分で気付く事が少ない為に、周りの人が言ってあげる事が必要なのは無論、根気良く更生の為に尽力する事が欠かせません。

しかし例えば、作業効率が悪い事を指摘するように事務的な注意ならしやすいですが、相手の人格的な歪みを注意する事はやりにくいですね。

「あなたは排他性が強過ぎ攻撃的過ぎる」と言う様な事は、人格を否定されたと逆上されたり相手を深く傷付ける事になるのではないかと思ってしまい、やりにくい筈です。

その程度が大きくなければ注意できるかもしれませんが、大きい人を注意すれば機嫌を損ね、自分が攻撃や苛めの的になってしまうかもしれませんから、恐怖で誰も注意しないという事は容易に想像できますし、実際そういう事は多いです。

苛めをする人を注意するのもそうで、下手に注意して機嫌を損ねると自分が攻撃対象になってしまうかもしれませんし、教師が生徒の苛めを下手に叱ると、「叱られて面白くねえ、よくもチクりやがって」と苛めっ子の怒りを買い苛めが逆に激化する事も考えられます。

そういう事があって、正義は中々この地球で通らないのです。

 

それでは正義はこの世界では決して通らないものなのでしょうか

先の苛めの例では、同級生や同僚の苛めを注意するのが難しければ、教師や上司に相談するべきであり、担任教師が自分が受け持ったクラスで苛めが発生した場合、叱ると激化するから見て見ぬふりをするというのは無責任の極みであり、苛めは厳しく注意しなくてはなりません

叱ると激化するかもしれないと叱る事を恐れるのではなく、自分は悪い事をしたと苛めっ子を深く反省させ二度と苛めをしないように導く様な𠮟り方をするのが正しいのです。

これはもちろん上司が自分の受け持った部署で苛めが発生した場合や、社長が自分の会社でパワハラが発生した場合等も同様です。

「全ての人には幸福になる権利があるのだから、悪意を持って人を不幸にする事は絶対に許されない」「自分が苛められたらどう思う、自分がやられて嫌な事は他人にもするな」としっかり叱らねば無責任です

無責任も勿論正義に反します

私の親等、私が学生の時、無視されたり暴力を振るわれたり工作を壊されたり弁当にチョークの粉を入れられて食えと責められた時にも、「苛めは苛められる方が悪い」「お前が馬鹿だから苛められる」「苛め等気にする方がおかしいんだ、フンと鼻で笑うのが普通の対応だ」「ギャハハハハ、何お前弁当にチョークの粉入れられてんだよ、受ける~」という対応しかしなかったくせに、「お前が苛められた時我々両親はお前の事をずいぶん庇ったんだよ」とどういう神経をしているのか神経を疑う様な事を平然と言っています。

そもそもそういう事を息子に言うなら、自分が苛められたら受け入れなくてはいけないのに、私の両親は自分が苛められると泣いて悔しがり訴えると叫び出して、全力で断罪しようとするので、全く言っている事とやっている事の辻褄が合っていません。

こういう人は自分で苛めをするタイプで、現に両親とも性同一性障害者の事を人間だと思っていませんし、こういうのももろに正義に反しています。

兎に角、苛めは絶対に許されない行為であると全が認識できない限り、苛めが無くなる事もなければ、世が良くなる事もないでしょう

 

犯罪者を更生させる、苛めを止めさせる等に比べ、善行を積む方が比較的やり易いと言えます。

例えば、孤独の人が出ないように誰にでも話しかけるとか、慈愛の心で人に接し人に良くする事は、歪みを注意するよりやりやすいでしょう。

しかし、そういう優しい人を、「いい子ぶりやがって」と歪んだ反応をしたり、「こいつなら優しいから何をやっても許してくれるだろう」という身勝手な思いで、苛めのターゲットにする愚物が多いのも事実です。

また、私はよく言いますが、正義を貫こうとした過去の偉人聖人達、イエス=キリストもガンジーもキング牧師もケネディーも殺されています

現代でも、イスラム国に外国で奉仕活動を全力でやっていた後藤さんが殺されましたし、自分なりに世を良くしようとしていた安倍元首相は殺されトランプ大統領も命を狙われました。

優しい人が攻撃される、正しい事をしている人が殺される等、この世の中には悪が絶えません

 

正義は死なない

私はこう公言しようと思います。

何があっても、正義が負ける世の中、正義のない世の中、正義が死んだ世の中にしてはいけません

その為には、一体どうしたらいいのか

私は過去世から、これまで大宇宙では星を纏めるプロが独裁恐怖政権で、力づくで幸福な安寧秩序を創り出してきたと言ってきました。

それは事実です。

ド素人、即ち圧倒的大多数の俗物凡人に任せた民主主義では、必ず間違った方向に行ってしまうというのが、この大宇宙の歴史だからです。

民主主義は、多数決だ。

しかし実際は、多数決は間違いしか生み出しはしない

私はよく、以下の様に言います。

圧倒的大多数の凡人は、怖い者や面倒臭い者に、被害を受けたくないから仕方がなくついて行ってしまう

そして、そんな自分のふがいなさを認めたくないから、怖い者や面倒臭い者の言う事を全部正しい事にしてしまう

しかし、怖かったり面倒臭い理由は大体その人物が邪気を帯びているからなので、結果世の中に邪気が充満してしまう

邪気が充満してしまう事を、歪んでいくというのです。

ここで注意して欲しいのは、多数決の結果、圧倒的大多数の希望通りの世の中には決してならないという事です。

事実、この世界は圧倒的大多数の狙いとは全く外れた、邪神の狙い通りになっているでしょう。

例えば癌です。

二人に一人が癌になり、四人に一人が癌で死んでいく世界を、我々は望んだでしょうか。

誰も癌で死なない世の中を望んだのではないでしょうか。

老化はどうでしょう。

誰しもが死ぬ直前まで健康そのもので、ぴんぴんころりで眠る様に全く苦しまずに死ぬ死に方を望んだのではないでしょうか。

それでは、現実の圧倒的大多数の老化の様はどうですか。

他、無数の辛苦と苦悩にこの世の中は満ち満ちていますが、この状態を誰が望んだでしょうか

望んだのは人の苦しみが唯一の慰めであり楽しみであり糧である邪神達だけです。

極めつけは、大宇宙怪電波放射事件です。

一体誰が、大宇宙の殲滅を望んだでしょうか

圧倒的大多数の俗物凡人達では断じてありませんね。

邪神達しかいません

この様に、圧倒的大多数の俗物凡人達は、必ず邪神という闇に飲まれます。

必ず圧倒的大多数の俗物凡人達は、邪神達の誘導という悪に飲まれます

操られたとはいえ、大宇宙を悪くしているのですから、これは正義とは真逆の悪そのものに他なりません

これは、誰が何と言っても真実なのだから仕方がありません。

 

それでは、正義の実現にはそうしたらいいのでしょう

人にやった事や宇宙にやった事が確実に自分に還ってくる世の中にしなくてはいけません

人に良くした者が幸福になり、人に悪くした者に罰が当たる世の中にしなくてはなりません。

大宇宙を良くした者に光が差し、大宇宙を悪くした者には神罰が下る世の中にしなくてはなりません。

どうしたら、その様な世の中が到来するのでしょう

私は色々考えました。

結局、先に紹介した正義の定義を世界全体の一人一人が全力で実行する事に尽きるのではないでしょうか。

 

世界全体の一人一人の意味について考えていきましょう。

アメリカでは、再びトランプ氏が大統領になり、人々は色々な反応をしますが、彼の強大な力と強い実行力に期待している人も多いのではないでしょうか。

彼が世界を良くするという事です。

その一つに、彼は「ウクライナ侵攻をすぐに止めさせる」と豪語していました。

それができたとしたら、実に大したものです。

特にウクライナにとって、彼は英雄になるでしょう。

しかし、実際は、ウクライナ抜きでロシアとばかり対談し、ウクライナにはレアアースを要求する等、少なくともアメリカ政権はウクライナの平和の為に行動はしないとしか思えない行動をとっています。

現にその後、ホワイトハウスでトランプ大統領とゼレンスキー大統領の交渉は決裂し、トランプ大統領はゼレンスキー大統領をホワイトハウスから追い出しましたしね。

結局、トランプ大統領はアメリカ合衆国大統領であり、世界政府大統領ではないのです。

現にトランプ大統領は、「アメリカを偉大な国にする」と豪語していても、「世界全体を私の力で幸福にする」とは言っていません。

ですから、トランプ大統領はアメリカを幸福にする為に努力する事はしても、断じてアメリカと同じ位他の国を幸福にするために努力する事はあり得ません

他の人を見ても、大きな力を持っていながら、世界全体の幸福の為に努力する人が、現代地球に存在するでしょうか。

この様に、世界全体を幸福に導く英雄は、残念ながら存在しません。

私は神性の定義の中で、「特に神性が高い人を尊敬し協力して成功させ、世界を幸福に導く」と書きましたが、大きな力をもってこの地球全体を幸福にする人物は、残念ながら地球にはいません。

この境地は、過去の偉人聖人達であるイエス=キリストも仏陀もガンジーもキング牧師もケネディーも到達しえなかった到達領域ですが、特に現代は闇の誘導のせいで、神性の強い人間が社会の上に立てなくなっているのですから、尚更そうです。

だからこそ、誰か一人が大きな力で導くのではなく、全員で良い方向に変えていかなければ、根底は何も変わらないと言っているのです。

 

色々な問題を先述してきましたが、全員で一気に本当の正義を施行する様に努力すれば解決は可能です

簡単な事ではないでしょう。

ですが、可能です。

逆にこれを実行しなければ、地球はもう駄目でしょう。

それ位、地球は危機的な状況に立たされています

例えば、アメリカがロシアとだけ割と親密に対談し、ウクライナとはそこまで深く関わらなかったり交渉決裂が起こったりした事から、強い者の味方で侵略者と協調してやって行く意識しかない様にも受け取られます。

ウクライナの様な小国がロシアばかりか、アメリカまで敵に回したら、おしまいです。

結果ウクライナが無条件降伏し、領土をロシアに受け渡す形で、ウクライナ侵攻が終結したらどうでしょう。

攻めれば領土を取れ、儲かるという事になり、例えば中国が台湾を攻め出す様に、他国を攻める国が出てくるでしょう。

自分の国を守る抑止力として核兵器を持たねばいけないという事にもなるでしょう。

その様にして、全ての国が核兵器を持つようになったらどうでしょう。

全ての国が核兵器を持った状態で、一国が核兵器を使用すれば、第三次世界大戦が勃発し、最悪あちこちの国で核兵器を使い出し、世界は滅ぶという事にもなりかねません。

結局、核兵器も戦争も、絶対に正義にはなりえないのです。

ウクライナ侵攻で言えば本来、ロシアがウクライナを攻める形でウクライナ侵攻が起こったのですから、ロシアが何もせずに手を引き、戦争を終結させるべきです。

しかし、なかなかそうはいかないのが世の中ですね。

結局、強国のロシアに対し、ウクライナは何らかの対価を支払わないと、戦争終結は難しいでしょう。

これは何も地球だけに限った事ではありません。

地球以外の星でも、宇宙戦争では戦争の弱い星が戦争の強い星に資源や領土や奴隷を差し出すという形で、無条件降伏に近い不平等で理不尽な終結の仕方をするのが殆どです。

宇宙政府軍や宇宙警察が介入すれば、その限りではありませんが。

ただし宇宙政府軍や宇宙警察は、宇宙最高の文明と軍事力を誇るネレモフを中心に、宇宙第二位の文明力を誇るアゼクスと宇宙第三位の文明力のルドー等が協力して作り上げた惑星連合の傘下組織であり、結局文明星が武力で制圧し平定している事に変わりません。

力とは正義でしょうか。

ここでは残念ながら、力とは武力だという事になっています。

つまり、武力こそが正義だという事です。

であれば武力を持った者こそが正しい弱肉強食の世の中になり、どこの星も武力を持った軍事国家ならぬ軍事星になり、軍事力を持てばどうしても使う星が出てきますから、いつ宇宙戦争が起こるか分からない宇宙になるという事です。

この大宇宙では、ルドーはそこまでではないとして、宇宙最高の文明力のネレモフと宇宙第二位の文明力のアゼクスは銀河系消滅ミサイルの様な強大な兵器と数多の軍人及び軍備を擁し、強大な軍隊を結成しています。

その為に、この宇宙ではネレモフとアゼクスにうまく取り入り、守ってもらおうとする星が山の様にあります。

ネレモフとアゼクスは和平条約を結んでいるので戦争になる事はまずないでしょうが、もしこの2星が戦争を始めたら、宇宙全体を巻き込む大戦争になり、大宇宙は滅茶苦茶になるでしょう。

ただし、全くあり得ない話ではありません。

地球の巻き起こした大宇宙系電波放射事件は、宇宙中の癌を筆頭とした万病を格段に増やしただけではなく、地球でウクライナ侵攻やガザ地区での戦争が起こっている様に、宇宙にも地球の戦争が拡散して宇宙戦争を起こしている星があります。

その悪影響が強くなれば、ネレモフやアゼクスの様な強星が戦争を始める可能性も決してゼロではありません。

 

真の力とは正義であるべきです。

それは決して武力に依存するようなものであってはいけません。

武力は人を傷付ける力ですから、本質的に不幸しか生み出しはしません。

「愛」「自由」「神性」「性」が最大の活躍を見せ、有機的に力強く機能していく中で、紡ぎ出される皆の幸福でなくてはなりません

これを、皆が共に手を取り合って、今この瞬間からすぐに創り出していかねばなりません

無論、どうしても障壁となるものは出てくるでしょう。

これまでも書いて来た様に、優しい人を苛めたり、正しい事をしている人を妨害したり、世を幸福に導こうとしている人を暗殺するという様な邪気は、地球上に山程あります。

それ以外にも、歪んだもの、邪悪なものに世は満ち満ちています。

それらは、この先世界を愛と正義の世の中に変えていく上で、大きな障壁になるでしょう。

現に、それらの妨害要素の邪魔のせいで、これまでこの世の中は一向に真の幸福に到達できなかったのです。

それらには、更生か排除の二択を迫っていかねばなりません

更生できるのであれば、深く反省して努力を積み重ねしっかり更生させる、それができなければ社会から消えてもらうという事です。

死後、天界では、有害な魂は抹消するという事は可能ですが、現実問題として地球上では凶悪犯罪でも起こさない限り、人に故意に迷惑をかけたり足を引っ張って世を悪くする様な人でも、死刑にして抹消される事はありません。

本来は、苛めや虐待をする様な故意に人を傷付け世を悪くする人で、更生する気が無いのなら、駆除即ち死刑にした方が世の中の為だと思うのですが。

しかし、社会の隅に追いやり、悪さができない様な状態には、していかねばなりません

例えば、部下や後輩に悪質なパワハラをする上司や先輩に対しては、毅然と注意し、それでも一向に改まらない様な時は、「会社の雰囲気を著しく悪くし、業務に支障を来すので、辞めてもらいます」と言って解雇する様な事も必要でしょう。

目下の者がきちんと働いてくれなくて叱っている事をパワハラだと騒ぐ部下や後輩も多いので、そこは上にも下にも指導する事が必要になってくる事も多々ありますが。

いずれにしろ、正当な勧善懲悪や正しい因果応報が、正当に機能する社会にしなくては駄目です。

正しい事をした者が報われ幸福になり、悪い事をした者は懲らしめられるという様な事が、当たり前の世の中にしなくてはいけません

しかし、地球ではいまだに、正直者が馬鹿を見て、正しい人が不幸になり、正義が負けて、卑怯者が得をし、悪が私腹を肥やすという様な事が山程あります。

なぜでしょう。

正義に目覚めていない人が多過ぎるが為に、正義が勝たない世界になってしまっているからです。

正義は勝たねば意味がありません

正義が負ければ、正しい事をすると潰されるという事が社会常識になり、誰も潰されたくはありませんから、正しい事をする者がいなくなってしまいます。

正義が勝つ世界でこそ、正義の下に「愛」「自由」「神性」「性」が実現し、皆が幸福な真のユートピアが建設されるのです。

 

どうしても世を乱す者は出現しますが、皆が共に幸福になる世界を求めて、圧倒的大多数が正義を施行する様に意識改革をしていく事が重要です

これまでの世界は、正しい人や優しい人に八つ当たりをしたり苛めたり妨害をする様な歪んだ魂が多く、イエス=キリストやガンジーやキング牧師やケネディー等本当に世界を良くしようと真摯に努力する優秀な偉人聖人を暗殺する等、ずっと邪気の絶えない世の中でした。

一番の問題は、圧倒的大多数の人々の正義に対する意識の低さにあると言えます。

世界全体を変えるとなると、他を変えていく事も勿論重要ですが、しっかりすべきはまず自分からです。

自分の思いが正しいのか歪んでいるのか常に考え、正しいなら表現したり実行したりチャレンジするべきですし、歪んでいるなら表に出さない事です

私はよく「男性に対し汚物意識を抱く女性は男性を求める性である女性として歪んでいる」と言いますが、その想いを男性の前で露骨に態度で示せば男性との間に軋轢を生み世を悪くしますが、自分の欠点と認識しなるべく外に出さなければ害は殆どありません。

性同一性障害者への差別意識を持っていたとしても、それを露骨に態度で示せば性同一性障害者を深く傷付け時には自殺に追い込む位大ごとになるかもしれませんが、自分の欠点と認識しなるべく外に出さない様に努めれば害は殆どないでしょう。

それでも「何となく避けられているな」と感じさせる事はあるかもしれませんが、全ての人に好かれる事は誰にも不可能な訳ですし、「男性慣れしていないんだな」「性同一性障害者は少し苦手なんだな」程度に思われて、大きな害はありません。

全く歪みを持たない人はいませんし、欠点が全くない人も存在しません。

女性は男性を求める性であり汚物意識を持つ事自体歪んでいますし、性同一性障害者も立派な一人の人間ですから性同一性障害者を気持ち悪いと思う事も歪んでいるのですが、自分に歪みがあるからと言って人を傷付けるのは悪であり、それを自分の欠点と恥じて極力害のない様にふるまうのであれば、それは悪ではありません

苦手な人には必要以上に関わらなければいいのであり、その分抵抗なく接する事の出来る人に尽くしてその人の幸福に役立つ事ができれば、例え歪みを持つ人でも正義を施行できるのです。

 

また、けじめをつける事は重要ですが、重箱の隅をつつくようにどうでもいい事まで指摘したり注意したり叱っていないでしょうか

典型的な問題点指摘型で、目を皿の様にして問題点をあら探しし、難癖をつけて全部攻撃してくる様な人は、本人が如何にけじめの為だとか正義の為だと豪語しても、本質的に世を悪くする悪です

こういうのはエナジーヴァンパイアhttps://odamasayoshi.com/communication/energy-vampire/の中でも、「見下してくるタイプ」「否定してくるタイプ」「こき使うタイプ」「正論で言いくるめるタイプ」等の中でも達が悪い部類で、正義の為ではなく自分の劣等感や支配欲を埋め相手からエネルギーを吸い取る為に、自分勝手な自己都合で他人から生命力と元気を奪い取り、他の幸福を壊して世を悪くしているのです。

けじめや規則というものは必要ですが、あまりにも不自由で息苦しい世界になってしまえば、自由を求めるのは人の性ですから皆不幸になりますが、特に自由を求める自我の強い人やサイコパスであればある程、生きていく事が辛くなります。

 

残念ながら、地球の秩序は長きにわたって大きく歪んでいた為、いまだにこの世の中には理不尽な事が山程あります。

馬鹿はどこまでもめでたいと言いますが、無思考な人間は何も考えないからその理不尽に気付きもしませんし、無感覚な人間もその理不尽さを感じ取る事がないので、両者とも生きていくのが非常に楽です。

理不尽に腹を立てたり悩んだり、理不尽さに苦しめられる事がないので、自殺したり精神病や心身症にかかる事もなければ、苛立っていつも切れている人間になったり歪んで犯罪に走る心配もないし、楽に生きられます。

しかし、無思考な人間や無感覚な人間になってしまっては、何が善で何が悪かを考えもしなければ感じ取る事もありませんから、正義を施行できなくなり、結果この記事の論題とは無関係の人間になってしまいます

かといって、地球の理不尽さや歪みに潰されたり荒んだり歪んでしまっては仕方がありませんから、ある程度前向きに割り切る事が必要となってきます

目の前におかしい事が立ちはだかっても、自分の力で解決が無理な事なら、どうしようもないと割り切って必要以上に悩まない様な事です。

勿論、少しでも努力すれば解決する様な事でも自分は努力家ではないと甘ったれた割り切りをして解決しようとしない様な怠慢は駄目ですし、解決困難な事にもチャンレンジして自己研鑽し自分を高める事が重要な場合もあります。

しかし、自殺したり病気で潰れてしまったり、苛立っていたりいたり歪んで犯罪に走る様な人は、自分の力で解決できない様な理不尽な事にいつも腹を立てたり失望し、結果自分を追い込んでしまっている事が多いものです。

本当は世の中には良い事もあるはずなのに、「さっぱりこの世の中は駄目だ」「あれもこれも理不尽な事ばかりで腹が立って仕方がない」という様な事ばかりに傾倒している内に、世の中に生かされている事への感謝を忘れ、世にすっかり失望して希望を失い潰れてしまったり、世の理不尽さを憎み恨んで荒んだり歪んだりするのです。

イエス=キリスト級や仏陀級になれば、一切の妥協なく、決して割り切る事なく正義に常に邁進するという事もあるでしょうが、何も全員がその様な偉人聖人になる事はありません。

殆どの人にはそんな事は不可能です。

現に、その様な偉人聖人達が活躍しても、圧倒的大多数の凡人達は正義に邁進する事を怠ったが為に、結局この世界は真の幸福に全く到達していません。

しかも、何度か説明してきた様に、この世界が理論や感覚の鋭さを評価しなくなったせいで、現代の世を上から動かすトップリーダー達は、経験則だけに傾倒して緻密な理論や鋭い感覚で劣る、過去の偉人聖人達に比べ見劣りする人達ばかりであり、かつてのトップより頼りになりません。

故に、過去より益々我々一人一人が揺ぎ無き正義を発揮できる事が必要になってきています

 

以前も書きましたが、自分のヌード写真を公開するのは表現の自由ですし、高校美人女教師が自分の受け持ちの生徒と合意のもとセックスしたり女の子がペットの犬と交わるのは愛しているなら誰とやろうと本人の自由ですが、地球の法はそういう捕まえなくてもいいものはしっかり逮捕し厳罰に処すくせに、「苛めは苛められる方が悪い」「どんなに自分の子供に暴力をふるっても虐待ではなく親権であり教育方針だ」という風に苛めや虐待が逮捕される事は殆どなく、故に被害者を死に至らしめるまで苛めや虐待が激化する事が多いです。

しかし、苛めや虐待は悪意を持って故意に人を著しく傷付ける卑劣かつ重大な犯罪であり、他の犯罪同様懲役刑等でしっかり罰されねばなりません

この様に悪い事をした人間に罰が下るのは当然の正義ですが、悪い事をしていない人間や、悪い事をしてもしっかり反省し更生して罪を償った人間ならば、全ての人間が幸福に生きる世界を作る事が正義です

自分に無理のない範囲でも、一人一人がしっかりと自分軸を持ち、「愛」「自由」「神性」「性」がしっかりと施行される世の中を目指す事で、世の中は確実に正しい人や健全な人が皆幸福になる、正義の時代に突入する事でしょう