因果律について | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

「棚から牡丹餅」の様に思いもよらず良い出来事が起こる事もあれば、「なぜ私だけがこんな目に遭わなければならないんだ」と運命を呪う様な不幸な出来事が襲う事もあります。

幸福な星であれば予想外に良い出来事が起こる事の方が多いのですが、地球の場合は秩序が歪んでいる為に不幸な出来事が襲う方が多いと言えます。

これらの出来事は全て偶然に起こっているのではありません。

宇宙での出来事は全て、絶対的必然性の下に生じています

これが因果律です。

「全ては神様のおぼしめしであり、それを避ける事は不可能だ」と考える人がいます。

ここで言う神様とはアラーやゼウスや他の指導役の魂の事ではなく、因果律とイコールです。

この宇宙での全ての出来事は因果律が生む現象であり、因果律を神と定めるならば「全ては神のおぼしめしである」という定義は正しい事になります。

自分の身に降りかかる全ての運命は、これまで自分が歩んできた人生の総合集積です。

つまり、良い運命も悪い運命も含め、自分に降りかかる運命は万に一つの例外も無く自分の生き方が招きよせたものでしかないのです。

この意味において、自分が今不幸であるからといって、自分の運命を呪うのは根本的におかしいのです。

全ての不幸は、本人の魂の在り方が引き寄せたものにすぎないのですから。

これは全ての幸福においても同様です。

また、不幸を避ける事ができないという事は絶対にありえません。

生き方も魂の状態も、本人の意識次第でいくらでも変えられる以上、すでに確定しているかに見える運命も自分の努力次第でいくらでも変えられます

予知夢や占いで自分の不幸が見えてしまった人でも、自分の辿る運命をそこに限定せず、より高い段階を目指し努力し続けるべきです。

勿論幸福な運命が見えたとしても、より高い段階を目指し努力し続けるべきです。

常に確定した未来よりより高い段階を目指す覇気、それが向上心の本質です

確定した未来を打ち破る力を奇跡といいます。

奇跡は願うものではなく、常に自力で起こすものです。

これからは、奇跡が当たり前の時代、奇跡が奇跡でなくなる時代を目指さなくてはなりません。

地球を構成する魂の力はかなり向上してきましたが、それでも地球の秩序が余りに歪んでいるこの現状では、全ての人が分かり合い認め合う事は奇跡です。

しかし、地球の幸福と全ての人が自他受容できるという事は本質的にイコールです

全ての人が奇跡を起こす事、それが今地球人に求められている事です。

幸福でない魂が、存在して良い筈がないのですから


因果律の正体は前波動、即ち潜在意識です

因果律は潜在意識そのものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

因果律は前波動であるが故に、全ての魂の中を自在に通過しその性質を変える性質を持ちます。

潜在意識即ち因果律は魂の性質自体を瞬時に変化させてしまうのですから、運命を自在に変容させてしまう事等造作もないのです。

造作もないというより、宇宙万物の運命管理こそが潜在意識即ち因果律の使命だと言った方が良いでしょう。

因果律についてはこれまでも説明してきましたが、ここではそれのみにフォーカスし、より深く掘り下げていきたいと思います。

因果律の代表例として、以下の3種類を挙げ、具体的に説明していきます。

A)悪性因果律~自分の行っている事が自他を不幸にしているが為の矛盾により最終的に病苦を招く。

B)喜性因果律~宇宙秩序性因果律に則っているか否かで幸不幸が明確に分かれるもので、因果律の代表。

C)模倣性因果律~自我が低く他を模倣して生きる魂に関連する因果律で、魂的性格により運命が分かれる。

詳しく言えばこの他の因果律も存在するのですが、この3つだけで宇宙の出来事の99.6%は説明できてしまうので、それ以外の因果律は省略します。


A)悪性因果律自分の行っている事が自他を不幸にしているが為の矛盾により最終的に病苦を招く

親が我が子に対し、或いは教師が自分の担当の生徒に対し、本当に本人の事を思って何かを教えたとします。

例えば男の子は常に精神的に逞しく力強くあらねばならないとか、女の子は常に貞操でなければならない等です。

しかし、これらの事を順守するのは極めて困難です。

以前「男女の秩序」で述べましたが、男性は女性より肉体的な性であり、それ故に精神的にはよりデリケートで立ち直りが遅いです。

それにも拘らず、女性より精神的に逞しく力強い事を常に要求されるのは、余りに酷というものです。

全ての魂は自分の能力の限界を超える事を常に要求され続け、その要求を満たせない時に常に軽蔑され続けるのでは必ず壊れてしまいます。

本来、精神的には男性より女性の方が強いものであるのに、全ての男性に例外なく女性より精神的に優れている事を要求するのは、どう考えても不可能の押し付けであり理不尽過ぎます。

それは魂を虐待している以外の何物でもないのですが、これを地球の秩序は平然と全ての男性に対し行ってきました。

女性も当然軽蔑されれば傷付きますが、男性は女性より自分が他に評価されているか、受け入れられているかを重視する性であるが故に、女性の倍軽蔑には弱いです。

特に小学校までにそのジレンマで傷付き続けた結果、重症の「禍」に移行してしまう事は珍しくありません。

女性にも当然重症の「禍」はいますが、女性は元々精神的に強い性である上に泣く事や甘える事を許されている等男性より比較的感情を表に出して発散できる為、重症の「禍」まで移行する女性は男性の11分の1以下と大変少ないです。

極度の精神的痛みから逃れる為に「精神的痛覚」の中枢である自我を完全崩壊させてしまった性が重症の「禍」である為、重症の「禍」は自他の痛みを感じる事は不可能であるか、殆ど感じないものです。

その為、他を傷付けても平気であり、その事によって自分が罰されても平気な上に自我が低く抑制心が無いので、他を傷付けようが自分が傷付こうが関係なく突発的衝動的な行動に出てしまう事が極めて多いです。

ちなみに女性より精神的に強い男性はその様な要求を突き付けられても幸福になれますが、それは元々女性的な男性であるか、家庭又はこれまでの人生で様々な人に受け入れられ認められてきたので、魂の中に誇りが確立し自信に満ちている男性です。

女性でもそうですが、特に男性の場合他に認められ受け入れられる事で誇りを持つ事ができ、精神的に強くなれます

この点を考慮すれば男性が女性より精神的に弱いとは言えないのですが、人格を認めないルールが強くはびこっているこの地球ではその様な男性は珍しいです。

以前述べた様に、女性は愛し愛される事を生き甲斐とする性である為、性欲を抑える事は自虐性を増す結果となり、「苦」に移行して不幸をばら撒く危険が多いです。

ただし、女性は快が得られればそれなりに生き甲斐を見い出す事ができるので、女性の場合性欲を抑えても、おいしいものを食べたり楽しい事をして快が得られればそれなりには代用が効いて、自分を受容できるものです。

それに対し男性は自分を受け入れられないと自分がこの世の中に存在する価値が無いとまで思う事が多いですから、この秩序の歪んだ地球では平均すると男性の方が不幸です。

男性の方が犯罪も自殺も多く、平均寿命も短い理由がこれです。

以下の喜性因果律で詳しく述べますが、不幸な人間は生存意欲が弱く、早死にし易いです。

幸福でない地球の男性の中には、その事を感覚的に感じ取り、嫉妬している人もいます。

それに加え、宇宙的には女性は男性を受け入れますが、地球人は受け入れない事が多く、その事に対し感覚的に怒りを覚える男性もいます。

不幸な男性が時として女性に対し破壊的になるのはこの為で、その様な男性は100%「禍」です。

「苦」は不幸な目にあった魂しか陥らない状態ですが、重症タイプの「禍」はそれ以上の不幸が襲わない限りなり得ません。

この他にも例を挙げればきりがありませんが、地球の秩序の矛盾は凄まじいので、ルールを他に教示する事で他を不幸に追いやってしまう事が極めて多いです。

しかし、異質なものを排斥する傾向の極めて強いこの地球では、地球の秩序をしっかり教え込まないと、その人が生涯非常識だとか異質で気持ち悪い等と差別され、やはり不幸に陥ってしまう危険性が大きいです。

結局、ルールを押し付けても押し付けなくても他を不幸にしてしまうのがこの地球の現状であり、この地球の秩序が改善されない限り誰しもがこの悪性因果律の被害から逃れる事はできません

つまり、現状では地球人はどう頑張ろうと確実にこの悪性因果律の餌食になってしまいます。

元々、ルールを押し付けるのは自分が幸福になりたい為であり、生存意欲はそれなりに高い事が多いですから、「苦」の様に早死にはしにくいです。

生存意欲が早死にという運命を遠ざける因果律が働く為です。

しかし、他を不幸にしたという前波動、即ち潜在意識が自分の魂を通過する際に、元々の自他を幸福にしたいという魂の本質との間に矛盾を生じ、魂を傷付けます

自他を幸福にしたいという想いは母性的特性が強く破壊創造秩序の司る所ですから、一番破壊創造秩序が打撃を受けます

破壊創造秩序は物質の分解と合成を司るので、それらの作用が時間経過とともに弱まる事で悪い形での老化を引き起こします

老化と悪性因果律はほぼイコールです

地球人は遅かれ早かれ確実に老化に屈しますが、それは地球人だけです。

宇宙人は余程間違った生き方をしない限り、年を取ると共に体力知力が低下するとか、ましてや病気や寝たきりになるという事はありません。

宇宙人は死ぬ間際まで元気に動き回り、苦しむ事も無く眠るように死ぬのが普通です。

地球の秩序の歪みが完全に回復されれば地球人も宇宙人と同じになれるのですが、それにはまだ時間がかかります。

この状況下の中で悪性因果律の被害を最小限に食い止める為には、これまで述べた様に統制秩序を鍛える事や地球の秩序の歪みを理解し完璧主義に走らずに自他受容するように努める事が大切です

特に統制秩序を鍛錬し判断力を上げる事で、完璧ではなくとも上手く悪性秩序の害を回避しつつ、世の中に順応して生きる方法が導き出せるようになり、幸福になる上で確実に役に立ちます。

ここでもう一つ重要な条件を上げておきます。

悪性因果律とは破壊創造秩序の低下ですから、破壊創造秩序を常に高いレベルで持ち続ける意識の持続が被害軽減につながります。

意識は魂の構造を変化させるほどの力を秘めています。

破壊創造秩序の本質は自他を幸福にしたいという想いですから、例えどんなに辛い事があっても、自分が幸福になりたい、他を幸福にしたいという想いだけは最期の瞬間まで持ち続けて下さい

これができれば、肉体的に悪い形で老化する事は無いし、体が衰えても精神と魂は若々しい状態のまま幸福な最期を迎える事ができるのです。

地球で老化に屈しないような強い魂は、きっと来世ではもっと幸福になれる筈です。


B)喜性因果律宇宙秩序性因果律に則っているか否かで幸不幸が明確に分かれるもので、因果律の代表

この因果律は、地球だけではなく宇宙のどの星でも、全因果律中で最も大きなウェイトを占めるものであり、因果律の代表です。

「喜」という個性は、他の魂の精神に共感し、それを自分のものと一体化して感じる事で、他を精神的に癒し力付けようという性質です。

この内、矛盾を感じる可能性のある段階は3つあります。

一つ目は、他の魂の精神に全く共感できず相手を理解できなかった場合です。

この場合、相手を理解する事が全くできないので、好意も嫌悪感も生まれず、関心すら持ちません

この状態は無関心の状態である為愛憎は生まれず、結果として喧嘩も起きません。

意思疎通は普通にできるので仕事は表面上は上手く行っているように見え、何も問題が無い様に思われます。

しかし実は大いに問題があります。

相手に無関心な状態というのは、相手の感情に興味を持たないので、相手をロボット扱いするかの如く機械的な対応になります。

加えて相手の事が理解できないので、パーソナルスペースというものを作って相手と距離を置く事になります。

無関心という事は殆ど無いと思う方もいるかも知れませんが、それでは本当に親身になって相手の本質を見極めた上で、相手の事を考えてあげられる魂が地球上にどれだけいるでしょうか。

地球人は宇宙人に比べ、相手の表面上の特性だけを見て、相手の本質を理解しようとする意識が乏しいです。

例えば表面上に出た行動が社会的一般的な秩序通りであるか否かでその本人の価値を決め、秩序通りでない時は叱ったり、排斥したりします。

これは愛情が有る無しに関わらず、相手の精神、増してや魂については無視して、表面上の特性しか見ていません。

行動とは気持ちから出るものであり、気持ちは個性と現実の出来事が織りなすものであり、個性は魂の構造から生まれ、出来事は因果律が引き寄せるものです。

従って、同じ行動をとったとしてもその原因は個人個人で全く違ったものになり、当然対処方法もその個性若しくはそれを取り巻く因果律に適したものにしなければ、正しい対応ができる訳がありません。

特に男性の場合、兎に角ルールに縛られた社会で働く事を強要されてきたので、その傾向は強いと言えます。

相手を機械としてしか見ないという潜在意識は、確実に周囲の魂に浸透します。

その結果、共感を重要視する魂は自分の価値を見い出せず離れて行き、「類は友を呼ぶ」の法則で自分の事も機械としてしか見てくれない様な魂達が集まってくる訳です。

この状態では情緒的学習行動はできません。

その結果、吸収秩序が弱まったり、感情を吸収できない事で情緒の衰退を来たす事になります。

人は栄養よりも他の感情を多く吸収して生きています

従って、魂力が弱まり「禍」に移行する事になります

「禍」は他力本願な性なので更に周囲のルールに従順に生きる様になり、「悪」や「苦」に侵され易くなり、他の不幸を抱え込みやすくなります。

また、自分の人生を歩んでいる気がしなくて空しさを感じます。

ルールや他人の人生等、他の人生を歩む者に幸福は有り得ません

結局、これらのデメリットがあるばかりか、以下に述べる禍性従属秩序主導型の模倣性因果律の持つ不幸を抱え込む事になります。

特に地球のルールは矛盾が大きいのですから、ルール通りの自他を評価するのではなく、自分や他の本質を見極めるという意識を持つ事が不可欠になります。

ここでもやはり統制秩序の鍛錬が重要になり、その上で吸収秩序と破壊創造秩序を鍛える事も絶対不可欠になります。


2つ目は相手側に共感した結果得た感情に自分のものとして受け入れられなかった共感できなかったケースで、自分の能力では受け入れる事ができないほど難解であった場合と、自分の感性がそれを拒絶した場合とに分けられます

自分の能力では受け入れる事ができないほど難解であった場合は、基本的には上同様の結果を生みますが、上より行動的で自分の無力さを痛感し易いので、「禍」より「苦」が比率として多く増大する傾向があります。

難解で理解できないというのは全て統制秩序の不足から来ており、理論と直感のどちらか又は両方が不足しているので、それを鍛える事でかなり良くなります

自分の感性がそれを拒絶した場合というのは、地球では自分が旧秩序に侵された魂で相手が新秩序に則った魂である場合とその逆の場合と、相手の中に表面上であれ内奥部分であれ強い負の意識体が潜んでいるが為に自分の力ではどうしようもないと感じ恐れた場合に分けられます。

旧秩序と新秩序の衝突については、過去は表面上は旧秩序が勝っている様に見えましたが、これからは秩序の歪みが正されていき表面上も新秩序が勝つ時代がやって来るでしょう

ただし過去未来問わず、本当に勝っているのは常に新秩序です

物理的権力的ルールで個々の人格を縛り付け同一人格を量産する人格否定こそが旧秩序の最大の特性ですが、これは宇宙の秩序に著しく反している為、それに毒された魂は輪廻転生の際に改める事ができないのであれば必ず魂の中枢部分は完全消滅し、浸透転生しかできない事になります。

それに対し、個々の人格を重要視する新秩序に則った魂は、例え自虐性が高くなって自殺や犯罪等の過ちを犯したとしても、その間違いを犯した原因になっている心の傷を癒す様に指導役の魂に丁寧に指導されます。

中には心の傷が癒えず、自ら生まれ変わりを拒むか、生まれ変わる基準に達する事ができず浸透転生をしてしまう魂もあります。

しかし、人格を重要視するという想いがある事自体が向上心と愛のある魂である証拠なので、ほぼ全ての魂は、魂の一部あるいは全部が生まれ変わる基準に達し輪廻転生できるものです。

この差は心の傷即ち自虐性が癒えるか癒えないかの差なのですが、これは最終的には破壊創造秩序、即ち如何に自他の本質である魂を愛せたかという差になります

例え統制秩序が低く正しい判断が下せなくて不幸に陥って自他を傷付けてしまったとしても、自分を幸福にしたい、他人を幸福にしたいという想いを強く持っていれば、必ず更正し活動理念が転生できるものです。

先の「自他が本質的に一体であるという事と真の悟り」で述べた様に、自分の幸福と他人の幸福とは本質的にイコールなのですから、その想いさえあれば正しい指導を受けて統制秩序を高める事ができ、活動理念が転生する事ができます。

突き詰めて言えば、輪廻転生の際だけでなく人生全ての段階における幸福になる為に全ての魂にとって必要な条件は、男性性と女性性を高いレベルで持ち合わせる事、つまり統制秩序と破壊創造秩序の双方を鍛錬し高いレベルで持ち合わせる事にあります

その方法は私のこれまでの記事、特に「自分を幸福にするプロセス」と「他を幸福にするプロセス」に示してあります。

また負の意識体に恐怖を感じた場合ですが、基本的に魂の男性性と女性性、つまり統制秩序と破壊創造秩序の双方を高いレベルで持ち合わせているのなら全く問題はありません。

負の意識体の本質を理解せずとも、高く揺るぎ無い判断力と全抱擁の愛を持ち続けているのであれば、例え人生に紆余曲折があったとしても自分が最終的に不幸に陥る事は無いし、その魂の強い力で自他の魂の傷や歪みも溶かしていけるものです。

ただし、「悪魔と呪いについて」で述べた様に、負の意識体を正しく理解し操る者もこの宇宙には絶対に必要です

これは統制秩序と破壊創造秩序の鍛錬とは違い、全ての魂が背負う役割ではありませんが、誰かが担う必要性があります。

負の意識体即ち闇を受け入れ操るにはそれなりの魂の構造が必要であり、魂の適性に大きな影響を受けるので、魂の個性を重要視する必要性があります。

この事については、後程「闇を統制下に置く方法と、闇の役割」で説明します。


3つ目は相手の全てを受け入れ、癒し力付けようと本気で努力したのに、自分がその結果に納得できなかったか周囲が評価しなくて自虐性が高くなってしまった場合です

最も因果律的特性が強いのはこのパターンだと言って良いでしょう。

この状態に陥るのは、受容性が高く、破壊創造秩序に対する向上心の高い魂ですが、その誠実さ故にそれが上手く行かなかった場合自虐性が高くなってしまいがちです

自虐性が高くなってしまった場合生きていて不幸ですし、魂中の自分は駄目な存在だという強い意識が自分を傷付ける上、生存意欲も自虐性により低下させられているので早死にするような病気に罹り易いです。

更に自虐性が高まり自己処罰感情が高くなると、その暴走した自己処罰感情が事故や犯罪の犠牲になる等の様々な不幸を招く事になる訳です。

従って、もし自殺等の実際に直接的に自分を裁く方法を取らなかったとしても、必ず自己処罰感情は自分を事故や犯罪や天災や戦争の犠牲者という形で間接的に裁きます

ちなみに、自分が誠実に精一杯努力したのに周囲が受け入れなかったという怒りが強い場合、「苦」性の犯罪や戦争を犯して周囲を傷付ける事になります。

これらの回避方法としては、基本的にはこれまで述べた様に「自分を幸福にするプロセス」と「他を幸福にするプロセス」で述べた統制秩序と破壊創造秩序を鍛錬し、例え他が自分の努力を認めてくれなかったとしても自分を自分で受け入れ愛する事ができる様になれば十分です。

ただし、それが難しいという魂の為に、これだけは言わせて下さい。

あなたがそこまで悩んでいる事自体が、あなたが愛に満ちた魂である何よりの証拠です。

あなたが苦しんでいれば、その苦しみが必ず周囲を蝕みます。

「自他が本質的に一体である事と真の悟り」で述べた様に、全ては一つなのですから。

絶対に社会の秩序の歪みには屈しないでください。

自己処罰感情は優しさでも正義でもなく、自他を不幸にするだけの罪に過ぎません。

自己愛が全ての基本です

これを忘れなければ、例え今は報われずとも、あなたはいつか必ず報われます


C)模倣性因果律自我が低く他を模倣して生きる魂に関連する因果律で、魂的性格により運命が分かれる

他を模倣して生きる魂というのは禍性従属秩序主導型か福性従属秩序主導型で、模倣した魂の運命と同じ因果律を辿るものです。

しかし、模倣学習型の魂は自我が低いので、それ以外に別種の因果律を引き寄せる事が少なくありません

例えば向上心が低く間違ったルールや魂を模倣する禍性従属秩序主導型の魂の場合、自我の低さ故に運勢の低下による抵抗力が無いので、因果律の悪影響を受けやすいです。

その為、ついて行く魂が「悪」の場合はより良くない形での老化を引き起こしたり、「苦」の場合はより悲惨な災難に遭ったり残酷な犯罪を犯す等、より不幸に陥る危険性が大きいと言えます。

禍性従属秩序主導型の場合は、兎に角この世の中の秩序が歪んでいる事を理解し、正しい生き方をしている魂を模索する様に生き方の方向転換をする必要性があります

福性従属秩序主導型は一見従順に見えるので周囲からの攻撃は受けにくいですが、模倣している魂が向上心も高いがそれ故に苦しみ自虐性も高くなっている場合、学習時の不安定な魂である為にその自虐性を処理できず苦しみ、時には潰されてしまう事もあります

その解決方法は上記に示した通りですが、それに加えて一つ意識してもらいたい事があります。

人の良い所だけ模倣すれば良いのであって、自虐的な所等欠点まで真似する必要はありません。

福性従属秩序主導型でなくとも、憧れの人を模倣し良い所を取り入れる模倣学習は常に魂の成長の為に必要ですが、憧れが強い場合悪い所まで全て取り入れてしまいがちです。

1人の人の全てを模倣するのではなく、複数の人の良い面だけを模倣し自分のものとして取り入れるという自己判断能力、つまり統制秩序の鍛錬を怠らないでください

どんなに優れた魂でも必ず欠点はありますし、どの魂にも必ず長所はあります。

この本質を理解しないで只真似をするというのでは、例え高い向上心を持っていたとしても思わぬ不幸に陥る可能性があります。


ここまでの説明を読んで、悪い因果律とその対処法ばかり示して、良い因果律には触れていないと思うかも知れませんが、悪い因果律を避ける事ができれば本人の想い次第で、希望通りの因果律を次々と引き寄せる事ができるものです。

因果律は、人は生きたい所に行くという法則です。

何もかも希望通りに叶ってしまっては返って本人の魂の成長にマイナスになる場合もありますので、時には希望が叶わない場合や一見不幸に思える因果律を引き寄せる事もあります。

しかし、これまで述べた様な悪い因果律に屈していないのであれば、それは全て自分の魂を鍛える試練であり、今は例え報われていない様に思えても向上心を失っていない限り、最終的には幸福になる事ができます

「喜」という性質は革新的変化を司る為、「喜」性の高い魂は肉体的にも精神的にも変化が多く、その周囲の魂達もその運命に巻き込む事も多いので、時には安定しない人生だと嘆く方もあるかもしれません。

しかし、浮き沈みの多い変化が多い人生というのはそれだけ学習の場が多いという事であり、自他の魂を鍛え世の中を成長させる上では返ってプラスになる事が多いのです。

詳しくは次回の「時空について」で説明しますが、変化こそが時間と空間を紡ぎ成長させる原動力です。

ここでは、変化が多い人生は決して悪い人生ではなく、良い面も沢山あるという事を覚えておいてください。


因果律の説明は上記の通りです。

ここまで読んでも、なぜ自分やその大切な人がこのような運命の中にいるのか、どうやったらその運命を良い方向に導く事ができるのか分からない方も多いと思います。

その様な方の為に、今回もコメント欄やメールでの無料相談を実施しますので、分からない事がありましたら遠慮なく相談、質問して下さい。