悪魔と呪いについて | 天国への鍵 全真理に浸透する法

天国への鍵 全真理に浸透する法

旧「ラヴァエルのブログ」です。
地球人は個の本質である魂を否定し、個を縛り付ける規則を神と崇めてきました。
これが地球上の全ての不幸の元凶です。
地球の秩序の歪みを克服し我々が真に幸福になる方法を、ここで述べていきます。

この宇宙には悪魔や悪霊、呪いというものが存在しています

これらに対し邪悪なイメージを持ったり、これらを恐れる人々が多いですが、なぜそれらが存在しているか考えた事はあるでしょうか。

これらの存在は幻想でも迷信でもありません。

確実に実在し、この宇宙に大きな影響を及ぼしている存在です。

魂には大きく分けて2種類の選ぶ道があります。

肉体を持ち生命体として生きるか、それを持たず魂だけで生命体に干渉して生きるかです。

肉体を持ち生命体として生きる利点は、相手の肌の温かさや精神的温かさを実感できる点であり、それにより魂だけの存在より効率的に成長する事ができます

その反面、魂だけの存在にはない肉体的精神的病気や不調等の悩みもあります。

ストレスは魂だけの存在にもあります

魂だけの存在の利点は、肉体に縛られる事無くより自在に他の魂達に干渉できるので、現世で、霊界で、或いは輪廻転生時に肉体を持つ魂を指導したり教育したりし易い点です。

突き詰めて言えば、魂だけの存在は肉体を持つ存在を指導教育する為にいるのです。

ここで言う魂だけの存在というのは、神や天使や精霊、悪魔や悪霊です。

従って神は当然の事、悪魔ですら指導魂でなければなれません

一般的に浮遊霊や地縛霊と呼ばれる様に、他の魂を指導する力は無いのに魂だけの存在として宙空に実在している魂は沢山あります。

そもそも、生物は確実に死後一度は浮遊霊の状態として霊界に行き、そこでこれまでの人生を見返して反省し、新たな目的を以ってこれまでとは別の肉体に入り、生まれ変わる訳です。

生まれ変わる際に国や性別が変わる事は勿論、他の星に生まれ変わったり、人が犬やタンポポに生まれ変わる等別種の生物に生まれ変わる事も珍しくなく、極端な場合人形等非生物に生まれ変わる事すらあります。

詳しくは後に掲載予定の「輪廻転生について」で説明します。

ここで述べておきたいのは、生物を教育する指導役の魂であればいつまでも魂の状態で存在できるのに対し、そうでない魂は魂だけの状態でいつまでも存在する事はできないという事です。

浮遊霊や地縛霊がいつまでもそのままの状態でいるのは、大体心に深い傷を負っていたり現世で他を信じられなくなり生まれ変わりを拒否している場合ですが、指導役の魂達がいくら指導しても何の改善もみられない場合、最終的には消滅するしかありません。

その期間は大体150年で、その間は存分に悩んだり指導役の魂達の教育を受けたり、色々な魂と接触して自分を鍛えたり心を癒したりできる訳です。

そして約150年以上経過して生まれ変わる気が本人に起こらなければ、魂は消滅します。

指導魂であれば、高い理念さえ持っていれば指導役の魂だけの存在として際限なく存在し続ける事も可能ですが、それには根本創造主の許可が必要です。

つまり、神や天使や精霊同様、悪魔や悪霊でさえ根本創造主にこの宇宙にとって必要不可欠だと認められた存在なのです


ここで、指導役の魂達の分類を明らかにしておきたいと思います。

前回述べた様に、人間が神や悪魔だと判断するのはそこに絶対的な分類基準がある訳では無く、その人の好みや、受け取った感情の性質をその人独自で判断する事により決まります。

しかし、私はここで敢えて、神や悪魔をしっかり定義付けたいと思います。

神は生物の負の意識体より多くの正の意識体を吸収して成長する存在、悪魔は生物の正の意識体より多くの負の意識体を吸収して成長する存在です

指導役の魂は吸収したものを改良し放出する役目も果たす為、神は負の意識体より多くの正の意識体を放出して生物に与える存在、悪魔は正の意識体より多くの負の意識体を放出し生物に与える存在です。

ここでいう正の意識体とは愛や慈悲や喜び等の一般的に美しい部分、負の意識体とは憎悪や狂気や怒気等の一般的に醜い部分を示します。

愛や慈悲や喜びをばら撒く事は当然苦しさに打ちのめされている人々にとって救いになりますから絶対に欠かせないものですが、なぜ憎悪や狂気や怒気をばら撒く事が必要なのでしょう。

地球の人間たちは冷徹な物理的権力の保持の為、「愛排斥システム」を創り出し、全抱擁の愛を基本とする神を徹底して否定してきました。

「困った時の神頼み」の様に、その本質を理解せずに只信仰しルールに従う事を全てとするのでは、他力本願の塊であると同時に神を自分と共に歩いて行く存在と位置づけているのではなく、本質的には自分の良い様に操っている存在に過ぎません。

それは神への畏敬の念ではなく、困難にぶつかった時だけ良い様に利用しようとする人間のエゴ以外の何物でもありません。

太古の昔から人間を支配し続けてきたゼウス等の神々は上から目線的な態度を取ってきましたが、それも人間の他力本願的身勝手な態度が生み出したもので仕方がない面もありました。

しかし、チャネリングネットワークの発達とともに、地球人の魂力は向上し、人間と神々が手を取り合って協力しながら共に歩む時代に移り変わってきています。

この時代の変化に伴い、ゼウスやアラー等の神々も人の心に寄り添い、共に歩むように体制を変えつつあります。

その様な状況の中、正の意識体だけで全てを良い方向に導く事ができると思われますが、残念ながらそれは不可能です。

正の意識体と負の意識体は表裏一体であり、負の意識体を理解せずして正の意識体を正確に理解する事等不可能ですし、負の意識体への理解が無ければ戦争や犯罪等の全ての不幸の根本原因を理解できないので防ぎようが無い上、理解できない者を更正させる事は不可能なのでその魂を救う事さえできません

地球の犯罪者への応対は遺族の処罰感情等を最重要して相手を処罰する事が主体となり、犯罪者を更正させようという意識が乏しいです。

それらより遥かに重要な、全てに優先されるべき犯罪者を生むような社会構造の歪みの更正については、完全に忘れ去られています。

犯罪は被害者を出してからでは遅いのです。

犯罪者をいくら厳しく処罰しようが、犯罪者がいくら心を入れ替えようが、被害者やその近しい人たちの苦しみが無くなる事はありません。

犯罪者を生む前に、犯罪者を死刑にするよりも、犯罪者を生むような地球の秩序を死刑にしなくてはなりません

全ての魂の本質が善である以上、全ての魂が本質に自他共に幸福になりたいと願っている訳であり、それらを歪めるものがあるとしたら社会構造の歪みしか有り得ません。

従って、地球以外の星では犯罪者が出たらその原因を徹底分析し、秩序の歪みを改める事に全力を注ぎます

地球は魂的本質的人格を縛り付けるルールこそが神だと崇めているので、犯罪者が増えたとしても禁止事項を増やし、縛りや処罰を強化するだけですが、そんな事で犯罪を根絶できる訳がありません。

根本的に魂は自由を求め、縛られれば縛られるほど矛盾を感じ自虐性が増す性質を持っています

自虐性が高まった「苦」は自己処罰感情を持っているので、自らの死を恐れはしませんし、それを望んでいる事さえ少なくありません。

死を恐れないか死を望んでいる上に、ノイローゼから異常心理状態になっている人間の犯罪を、死刑等の処罰で抑える事ができる訳がありません。

これは当然「禍」でも同様です。

自らの個性を理不尽なルールで徹底して否定され続け、その苦しみから逃れる為に、痛みや恐怖を司る自我を崩壊させてしまった「禍」は、自分が痛みを感じないので他の痛みも分からず平気で他を傷付けますし、死刑や処罰等の脅しをかけても恐怖という感覚が麻痺しているのですから「のれんに腕押し」で何の意味もありません。

犯罪を犯すのは99%「苦」「禍」のどちらかであり、どちらにも死刑等の処罰が殆ど無効なのですから、処罰という名の恐怖で以って犯罪を無くそうという発想自体が根本的に間違っているのです。
地球は不幸を生み出す元凶となる負の感情を非難し目を背けるけれど、負の感情を直視し受け入れなければ不幸の原因は見極められないのですから、不幸を無くす策が導き出せる筈もありません

幸福な人間は犯罪を犯しません。

犯罪だけではありません。

幸福な人間は自殺もしなければ、戦争もしません。

幸福な人間は絶対に周囲を不幸にしません。

幸福な人間は周囲に幸福をばら撒きます。

周囲に幸福をばら撒く人間ばかりの社会に、不幸は存在しません。

従って、全ての人を幸福にする事が最重要視されるべきであり、処罰が最重要視される今の地球の現状は狂っているとしか言いようがありません。

宇宙には犯罪や自殺や戦争の無い本当に幸福な星が過半数ですが、それらの星と地球との決定的な違いは、全ての魂が幸福だという事にあるのです。

その為に必要なのは全抱擁の愛であり全てに注ぐ慈悲であり自他の人生に対する喜びです。

つまり他に与える正の感情であり、私の定義で言う神です。

神というのはその配下の天使や精霊、守護霊等の概念も含まれます。

その性質を有する全ての生物は、肉体を持っていたとしても紛れもなく神や天使や精霊や守護霊です。

それらの正の意識体だけで全てを解決に導く事ができるでしょうか。

答えはノーです。

まず、苦しみ等の負の意識体を強く持っていなければ、慈悲等の正の意識体は洗練されずその真価を発揮できませんし、そもそも両者は相対応する概念であるが故に、片方が存在しなければもう片方も存在しないのです

「光が存在すれば闇も存在する」…これは真理です。

だから争いが絶えないものだという考えを持っている魂がいるとしたら、光と闇の本質を全く理解していません。

光と闇は強調し合い、互いに高め合う存在です。

正の感情と負の感情は強調し合い、互いに高め合う存在です。

神と悪魔は強調し合い、互いに高め合う存在です

もし互いに争う神や悪魔がいたとしたら、それは指導役の魂としては魂的次元の低い存在です。

残念ながら、これまでの地球上にはその様な神や悪魔が多かったのです。

だから神と悪魔は争い合う絶対に相容れない存在であるという誤解を持っている人が極めて多いのです。

その原因は、人間が異質なものを排斥してきたというこれまでの地球の歴史の影響です。

神も悪魔もいくら力のある魂といえど人々の想いを吸収して成長する存在なのですから、その影響を確実に受けます。

その上、全ての地球の指導役の魂は少なくとも一度は地球で生物として生きた体験を持つ魂です。

生物として生きた体験が無ければ生物の想いに共感する事ができず、指導役の魂として優れた活動をする事は不可能だからです。

これは宇宙のルールです。

ゼウスもアラーもサタンもルシファーも、少なくとも一度は人間としてこの地球で生きています。

神や悪魔、人間が相互影響し成長し合う存在である以上、それらを縛る秩序の影響を受けずにいられる筈はありません。

全ては繋がっており、その全てを歪めてしまう元凶は地球の秩序の歪みでしか有り得ません。

秩序を正すには、正の感情で以って秩序の歪みに傷つけられた魂達を癒す事も必要ですが、負の感情を吸収して理解し秩序の歪みという不幸の本質を見極める力と、怒りや憎悪を秩序の歪みに叩きつけ破壊する力も不可欠になります

新しい建物を建てる時は以前からあった建物を壊さなければならない様に、皆が幸福になる新しい秩序を打ち立てる時は不幸をばら撒く元凶になる古い秩序の歪んだ部分を的確に見極める力とそれを粉砕する力が不可欠です。

それが苦しみや怒りや憎悪という負の感情であり、悪魔という概念な訳です。

正の意識体同様、負の意識体もこの世界を幸福にする為には絶対に必要不可欠です

それが宇宙創造主が神の存在だけでなく、悪魔の存在も公認している理由です。

そしてその両者が分かり合い強調し合わなければならないのは、これまで述べた通りです。

分かり合い強調し合わなければならないのは、神や悪魔だけではありません。

この世界の全てが分かり合い強調し合わなければ、真の幸福はやって来ません


悪魔というとデーモン等いろいろいますが、ここでは地球で悪魔の王と名高いサタンとルシファーについて説明したいと思います。

サタンとルシファーは同一の存在と勘違いされていますが、別の魂です。

2者共、神に反逆し天から地獄へ落されたと言われています。

ここで言われている神とは地球の秩序の事で、天とは権力、地獄とは冥界です。

これまでの地球は個性を理不尽に縛り付ける物理的ルールを正義即ち神と崇めており、王族や貴族等のそれらを施行する権力者を自分達より高い存在にいる見上げる存在つまり天とみなし、それらの正義即ち神に刃向う悪党は死ねば地獄に落とされると信じ切っていました。

サタンは元々王族の女性ですが、高い愛と革新性を持っていた為、人を不幸にするようなルールで人を縛り付ける権力に刃向い、様々な人格否定を受けてきました。

正義感の強いサタンは圧政を強いて人々を平気で苦しめる王族への怒りと憎悪を堪える事ができず、闇夜に紛れて何回も王族を襲撃し、百人程の王族貴族を虐殺し、最期には死刑になりました。

サタンは幼い頃は小鳥が奏でる様な声と長い髪を持ったきれいな少女だったのですが、20後半頃には目つきは鋭く吊り上り、髪の毛は一本もなく、地獄の底から響くような声に変わり果てていました。

これは一重に、サタンが持ち続けていた憎悪と狂気の凄まじさを物語っています。

そしてここで重要なのは、その憎悪と狂気は高い愛と強い向上心と、正義感の高さから来ていたという事です。

私が心に留めておいて欲しいと思うのはここです。
戦争や凶悪犯罪等を起こす人々を見ていると、一体どうしてここまで他を憎む事ができたのか、狂う事ができたのかと疑問に思う事があると思います。

誰も、そのような事をして社会から排除され、不幸のどん底に沈みたい魂が存在する筈がありません。

私は、これまでのチャネリング経験から、異常なまでの憎悪や狂気は、万に一つの例外も無く愛と向上心と正義感から来ていると断言します。

心根が優しく真剣で誠実で正義感の確立した魂程、理不尽な事を許せないが故に、この理不尽な事だらけの地球では負の感情を増幅させ過ぎてしまい、抑えが利かなくなるのです。

常に自我が低くボサッとしている魂や、地球の歪んだルールや権力を盾に相手を攻撃して自分の安全を確保する狡猾な魂がこの様な状態にある事は有り得ません。

憎悪と狂気の根源は愛、苦しみの根源は向上心、怒気と殺意の根源は正義感…それがサタンであり、同時にこの宇宙の根本原理の一つである訳です。

秩序の歪みが正の感情を負の感情に歪める…愛を憎悪と狂気に、向上心を苦しみに、正義感を怒気と殺意に歪め、この地球に不幸をばら撒いてきた…その罪深さを教示する為に、宇宙創造主はこれだけの人を虐殺したサタンを指導役の魂に任命したのです。

サタンは創造主の命を受け、地球上のありとあらゆる生命体の負の感情を吸収し続けて成長していきました。

イエス・キリストに対し、自分の教えを教示しようとして拒絶された事もありました。

イエス・キリストはチャネリングによって大神ゼウスの声を聞き、数多くの人を救い、地球を幸福に導く教えを生涯かけて広めようとしました。

しかし、彼の人気を妬む愚かな者達によって十字架にかけられ殺されてしまいました。

イエス・キリストの死後、生まれたのがルシファーです。

ルシファーも王族の出身ですが、誠実で優しい性格であるが故に、身分差別や奴隷制度、生贄等の権力者の残虐な行為が許せずに王に反逆し、やはり殺されてしまいました。

ルシファーは正義感は強いが大人しい性格の男性なので、他を傷付けたりはしませんでしたが、彼の兄弟達は王族が王に反逆した事が不名誉になると考え、彼を自分たちの身内ではなく悪魔の化身であると公表しました。

ルシファーはその後サタンと出会い、彼女の吸収してきた負の感情を感じる事で自分の感じてきた人々の苦しみが氷山の一角である事を痛感し、負の感情から逃げる事無く吸収し、それを自分なりに改良して人々に訴え教示する道を選びました。

他にもデーモンやベリアルやリッチやハーデスの様な闇の存在がいますが、全てがサタンやルシファー同様それなりの信念を持ち、創造主に地球上の生物を指導する資格があると認められた魂です。

負の感情を嫌悪するのは愚かです。

悪魔を、邪神を、闇の存在を嫌悪するのは愚かです。

それらは全て宇宙創造主が絶対不可欠なものと定めた存在である以上、真摯に受け入れて、それらとこの地球を向上する為に共に努力しなければなりません

全ての不幸の根本原因である地球の秩序の歪みを正すヒントは、光の中よりも闇の中に多く含まれています

そしてその両者よりも歪みを正す力の強い場所が存在するとしたら、それは光と闇が調和した新しい世界の中でしか有り得ません


最後に呪いについて簡単に説明しておきたいと思います。

呪いとは自分が吸収した負の意識体を、対象の相手を攻撃する為に自力で改良して相手に叩きつける行為です

全ての魂が根本的に善に生まれついており、もしそれを歪めるものがあるとしたらそれは地球の秩序の歪みでしか有り得ません。

罪を憎んで人を憎まず…言い換えれば、地球の秩序の歪みを憎んで特定の個人を憎んではなりません

従って、基本的には呪いは特定の個人ではなく相手の欠点を攻撃するべきです

対象の相手をイメージし、悪い所を徹底して叱責する念を送るイメージを持ちます。
特定の個人を呪うのは苛めや残虐行為ですが、相手の欠点を呪うのは愛情を持って叱るという事で寧ろ良い行為です。

このタイプの呪力はチャネリング能力に比例します。

長所は自分の上司や目上の者が間違った事をした時にも遠慮する事無く攻撃できる事であり、万一相手がそれに押し潰されてしまったとしても、それは相手の業であり因果応報なのだから呪いをかけた本人が絶対に罰されることは無いです。

しかし、時には相手を叩き潰す目的で呪いをかけなければならない場合があります

世の中には、法律では裁けない許せない行為が沢山あります。

地球の秩序の間をかいくぐり、時にはその歪みを悪利用して他を攻撃する者も少なくありません。

この様な卑劣な行為を放っておいては、これまでの地球同様素直な魂達が犠牲になるばかりです。

相手のその行為が改善の余地の無いものや、余りに許しがたいものである場合、誰かがそれを裁かねばなりません。

相手が権力を持っていればそれができない場合も多いのですが、それに妥協していては「苦」や「禍」の創出やそこから生み出される様々な不幸の連鎖から、次々と純真な魂が犠牲になるばかりです。

これを裁く者は一般的に指導魂、その中でも一般的に呪力の高い正義感に裏打ちされた攻撃性が高いタイプの破壊創造秩序主導型です。

その相手を叩き潰す目的でかける呪いが世間一般で言う呪いで、その呪いをかける理由が地球の為を考えた時に間違っている場合、神々より呪い返しという名の反撃を食らう事になります。

従って呪いをかける為には判断力、つまり統制秩序が高い事が必須であり、その条件を満たす指導魂でなければ呪いを使わない方が無難だという事になります。

このタイプの呪いには自分の欠点を改めない限り不幸から逃れられないという特徴があり、自分の欠点を改めるか、あるいは社会から排除されるかという二者択一を迫る事ができます。

従って、このタイプの呪いによって相手が欠点を改めれば叱責が成功し相手を更正できたという事になり、そうでなければ周囲に迷惑をかける魂を排斥したという裁きの意味が出る訳です。

呪いによる裁きにはもう一つ重要な別の意味があります。

特に「悪」に多いのですが、地球の秩序の歪みを隠れ蓑に、或いはそれを武器にして、頑張っている相手を自分以下に貶めて自分の居場所を確保する様な卑劣な魂が未だに残念ながら存在します。

地球のルールが絶対で、それに引っかからなければその様な方法で他を傷付けても構わないと考える統制秩序の極めて低い愚かな魂は残念ながらまだ確実に存在します。

それらの卑劣な行為は、例え法律が裁かずとも別の形で裁かれるのだという事を誰かが潜在意識の中に強烈に植え付けなければ、愚かな魂がそれらの行為を止める事はありません。

勿論根本的にはこれまで述べてきた様に、恐怖ではなく愛で以って止めなくてはなりません。

しかし、それらの法律に引っかからない方法を用いる狡猾な魂は、自分の保身をまず第一に考える「悪」である事が多く、自分が幸福になる為なら安全な方法を用いて他を蹴落としても構わないと考えているのですから、自分の保身を考えない「苦」や「禍」とは異なり裁かれるとなればそれらの行為を止める事が大多数です。

従って、愛で地球全てを更正するにはまだ時間がかかるので、呪いでその様な法律で裁けないものを裁く事で、全ての魂に「例えルールにのっとっていようとも、他を傷付けるのは絶対に許されない事だから裁かれるのだ」という事を教示する必要性もある訳です。

呪いはかけた相手もかけられた相手も、かけられた事さえ殆どの者には分からないので教示する事にはならないと考えるかも知れませんが、チャネリングネットワークの発達した現在の状況では、チャネリングを通じて全ての者の潜在意識に自動的にその事実を植え付ける事になります

このタイプの呪力は、破壊創造秩序の力即ち魔力と、排他秩序の力即ち正義感に裏打ちされた攻撃性の高さの積で決まります。

またこのタイプの呪いは平均的に男性より女性の方が遥かに得意であり、それが男性の過半数が女性に対し潜在意識的に恐怖心を抱いている最大の理由です。

以上が呪いの存在意義です。

次回は「自他が本質的に一体である事と真の悟り」について解説し、そこでここで述べた呪いの更に具体的なメカニズムも含め、チャネリングや宇宙の構造についての核心に迫って行きたいと思います。