



朗読の響きが心地よいイタリア古典文学。白崎容子先生の「原文で読む古典の楽しみ」。今日はダンテ『神曲』の4回目(最終回)をディクテーションしました



(スクリプトがなく答え合わせもできないのですが、学習の記録としてディクテーションに挑戦したものをそのまま載せています。途中の猫まーく(


黎明期からルネサンス時代のイタリア文学
Quattro passi nella letteratura classica italiana

10月13日放送分
Lezione4 Dante Alighieri④
La letteratura italiana delle origini e del Rinascimento
黎明期からルネッサンス時代のイタリアの古典文学





«地獄篇»第1歌 67行目から75行目までの9行です。
彼とは一体何者なんでしょう。原文を読んでいきましょう。
まず最初の terzina 67行目は?
Rispuosemi: 《Non omo, omo già fui,
彼は私に答えた、「私は人間ではないが、以前は人間だった。

ここからは人影らしきものの直接話法での語りになります。
最後の fui 、これは essere の遠過去、本来は fui già omo のはずですが、 omo が前に出て語順が変わっているんですね。文語調が簡潔に決まっていますね。
※Non omo, omo già fui. = Non sono uomo, fui già uomo.
次の terzina 、最初は?
Nacqui sub Iulio, ancor che fosse tardi,
私は、遅かったけれどユリウスの統治下に生まれた。
ancor[a] che は benché~「~ではあるけれど(譲歩の接続詞)」。そのあとの fosse は接続法です。
「自分が生まれたのが遅くはあったけれど」
先に種明かしをしてしまうと、この謎の人影は古代ローマの詩人ウェルギリウスです。紀元前70年ごろの生まれなので、カエサルがローマの独裁官になったときにはまだ20代なかばでした。
カエサルはその2年後に暗殺されてしまうので、カエサルの治世のもとで生きたと実感するには生まれるのが遅すぎた。記憶にあるのはその次の皇帝アウグストゥスの治世だ、というわけです。
そして、アウグストゥス帝の時代を次のように言い換えています。
nel tempo de li dèi falsi e bugiardi.
偽りの神々の時代に。
déi は神 dio の複数形。偽りの神々とは、キリスト教以前の異教の神々のことです。
では、最後の terzina です。
Poeta fui,
私は詩人だった
本来なら fui poeta となるべきところを、 poeta を fui の前においてかっこよく決めてますね。
そして、
e cantai di quel giusto figliuol d'Anchise
私はアンキーセスの立派な息子のことを謳った。
Anchise (固名)アンキーセスの立派な息子とは、叙事詩『アエネーイス』の主人公 Enea アエネーアース、そのあとはアンキーセスの息子を先行詞とする関係代名詞節になる。
che venne di Troia,
poi che 'l superbo Ilïon fu combusto.
誇り高いイリオスが焼け落ちたあと
トロイアからきたその息子
Ilïon イリオンとは、トロイアのギリシャ語名イリオス、イーリオン。トロイの木馬のエピソードで知られるトロイア陥落の話ですね。


陥落したトロイアから父親アンキーセスを背負って逃れたアエネーアースが、ローマ建国の基礎を築くまでの遍歴を謳った叙事詩アエネーイスの作者です。
ここは詩人ウェルギリウスの自己紹介ですが、動詞は遠過去で通していますね。遠過去は fui, vissi のように音節が少ないので引き締まった感じが出ますね。




La lingua e lo stile della «Commedia»
『神曲』の言語と文体
まず «Divina Commedia»という『神曲』のタイトルですが、


ちなみに『神曲』という日本語タイトルは森鴎外によるものですが、もしも divina がなかったら、『神曲』とはできなかったですね。
«Divina Commedia»って「神の喜劇」かと思いますけれども、commdeia といっても笑わせる喜劇の意味ではないんです。commedia は広く「困難な状況から最後はハッピーエンドに至る筋立ての作品」を指しますけれども、当時の commedia の特徴として、さまざまな種類の言語と文体が混ざっているということがありました。
今日のウェルギリウス登場の場面には、


一方、この前のライオンや狼の描写は、


ちょっと横道にそれますが、ダンテのリアリズムっておもしろいですよね。例えば、ウェルギリウスについても、現れた時、長いこと黙ったままなので、「声がかすれた人」って言ってますよね。


ウェルギリウスは亡くなって地獄の一番上の辺獄 Limbo にいて、もう1300年もたっているわけです。その間、それほど口をきいていないとすれば、間違いなく声はかすれていたでしょうね。冥界というシュールな世界のこういうリアルな描写って、なんかすごく新鮮な感じがしますよね。


他にも、例えば、船がダンテが乗ったらかしいだのに、ウェルギリウスが乗ってもびくともしないとか、煉獄で昔の知り合いに会って、ハグしようとしても、相手は体がないので腕が自分の胸を抱いてしまうとか。もっともこれはウェルギリウスがすでに言っていたことなんですね。
アエネーアースが冥界にいるお父さんを抱こうとしたらうまく抱けなかったって書いてるので、それにならったということなんですけれど。ともかくこういう細かい描写も楽しいです。


尊敬する Virgilio ウェルギリウスに会えてよかったですね。


では、その喜びのくだりをちょっと聴いてみましょう。
«Or se' tu quel Virgilio e quella fonte
che spandi parlar sì largo fiume?»
rispuos'io lui con vergognosa fronte.
«O de li altri poeti onore e lume、
vagliami 'l lungo studio e 'l grande amore
che m'ha fatto cercar lo tuo volume.
Tu se' lo mio maestro e'l mio autore,
tu se' solo colui da cu' io tolsi
lo bello stilo che m'ha fatto onore. [...]»
「さてはあなたはウェルギリウスさま。言葉の
かくも豊かな大河の源流となられたお方?」
わが身を恥じ、へりくだって私は答えた。
「詩人たちの誉れであり光であるお方、
ご著書の勉学に私が注いだ長い時間とこよなき
愛が報われるよう、お力をお貸しください。
あなたは私の導き手であり、創作の源です。
私が名を得ることになった美しい詩の姿は
ほかならぬあなたから学ばせていただきました[...]」

ダンテは、暗い森は思い出すのもいやだけれど、善いこともあったと言っていましたね。ウェルギリウスとの出会い、これが地獄での善いことでした。
そして、この出会いのおかげで、ダンテは冥界の旅に出かけ、天国の光を見ることができた。それが究極の善いことなんですね。


天国は誰が案内するかっていうと、


この続きは日本語訳でもいいので、みなさんぜひ読んでみてくださいね。
ところでマルコさん、『神曲』の魅力をひと言で言うと?



※ arti figrative 造形芸術


※正しくは、Benigni



さて、ダンテは今日でおしまいです。








原文で読む古典の楽しみ
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Quattro passi nella letteratura classica italiana
Lezione4 Dante Alighieri④

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