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マジカル・ミステリー・ミュージック・ツアー

1960年代から1980年代の洋楽・邦楽の雑記帳です。

70年代よりキング・クリムゾン、U.K.、エイジアと、UKプログレッシヴ・ロックを代表するスーパー・グループで活躍してきたジョン・ウェットン

 
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そんなジョン・ウェットンが、1989年、カール・パーマーから「もう一度エイジアをやらないか」と誘われ、ジョン・ウェットン、カール・パーマーを中心としたエイジアとしてツアー活動を開始、その後、1990年には、ジェフ・ダウンズが合流、パット・スロールをギタリストとして、本格的に再活動を開始、9月には、このメンバーで来日し7公演を実施。
ジョン・ウェットンをメンバーした初の日本公演となりました。
 
当時、未発表曲を含むベスト盤「Then & Now」をリリースし、日本では、チャート24位を記録するヒットとなったためか、この来日時には、当時ブームであった「イカ天」等のTV出演やタワーレコード池袋店でサイン会を開催するなど、精力的に日本のファン向けに活動を行い、スティーヴ・ハウはいないものの、本格的活動開始を予感させる来日となりました。
 
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1991年4月には、再来日が内定していたエイジアでしたが、来日延期となり、またしてもファンの期待は裏切られ、1991年5月には、カール・パーマーがEL&P再結成のため脱退を表明。
カール・パーマーに誘われる形でエイジア再開をスタートしたジョンも続いてエイジア脱退を表明、ソロ活動を再開しています。
 
そして1994年6月には、実に14年ぶりとなるソロ・アルバム「Voice Mail」をリリース。
1994年9月にソロとして初の来日公演を開催しています。
セットリストも、それまでのキャリアを総括する内容となっており、熱狂的に日本に迎えられたジョンは、この時の東京と大阪のライヴを編集し、1995年2月に初のライヴ・アルバムチェイシング・ザ・ドラゴン / Chasing The Dragonをリリースしました。
 
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このツアーは、ジョン・ウェットン・バンドとして、元イット・バイツのジョン・ベック(k)とボブ・ダルトン(dr) にアンディ・スケルトン(g) にジョン・ウェットンという編成で行われており、アレンジも大きく変えることなく、キング・クリムゾン、U.K.、エイジア、ソロの楽曲をバランスよく演奏しており、まさに当時のグレイテスト・ヒッツ・ライヴといった形になっています。
 
ディスクには日本語で"龍を追う"と書かれています。
 
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【John Wetton – Chasing The Dragon】
01.Heat Of The Moment
02.Don't Cry
03.Rendez-Vous 6:02
04.Crime Of Passion
05.Caught In The Crossfire
06.Easy Money
07.In The Dead Of Night
08.Thirty Years
09.Only Time Will Tell
10.Hold Me Now
11.Starless
12.Book Of Saturday
13.Battle Lines
14.Open Your Eyes
15.The Smile Has Left Your Eyes
 
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曲目を見ただけで、思わず”オーッ”となってしまうほどの曲が並んでいます♪
 
1曲目から「Heat Of The Moment」!となると、凄い盛り上がりを予想してしまいますが、これがなんとアコースティック・ヴァージョンという予想を裏切るスタートとなっており、観客も最初は何の曲かわからないようです(^-^;
 
この時のライヴではありませんが、アコースティック・ヴァージョンの「Heat of The Moment」をご紹介します。
 
Heat Of The Moment (Acoustic version)
*動画にはAsiaとなっていますが、ジョンのソロライヴのようです
このライヴ盤では、この1曲目の間奏で早くも「キミタチサイコダヨ!」を披露するなど、ジョンものっている姿が伺えます。
 
バンド・メンバーも実力者なことから、U.K.の「ランデヴー6:02」
などもオリジナルに負けない仕上がりとなっています。
 
Rendez-vous 6:02 / Chasing The Dragon
このセットリストからか、日本でも高い人気を誇るアルバムとなっており、再発が繰り返されています。
 
中古でも安く手に入りやすいアルバムとなっていますので、興味のある方はぜひ探してみてください♪
 
ポール・マッカートニーのアーカイヴ・コレクション最新作として10月2日にリリースされる「Tug of War」「Pipes of Peace」
 
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【Tug Of War】
Pipes of Peace
この2枚のアーカイヴ・コレクション・リリース前にポールのオフィシャル・サイト(http://www.paulmccartney.com/)では、1982年6月に「Tug Of War」からシングル・カットされ全米10位、全英15位を記録したテイク・イット・アウェイ / Take It Away(2015年リマスター・シングル・エディション)フリー・ダウンロードを開始しました!
 
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ダウンロードはこちらです。
 
Take It Away [Single Edit] (2015 Remaster)
1曲まるごとフリー・ダウンロードさせるあたり、さすがポールです♪
 
終了も噂された"Out There Tour"も再開がリリースされるなど、相変わらず精力的な活動を見せてくれているポール。
今年、後半の活動も楽しみです!
 
日本でピンク・レディー旋風が沸き起こっていた1977年、洋楽チャートにおいて、"西ドイツのピンク・レディー"と呼ばれたセクシー・デュオ"バカラ(Baccara)"というグループが日本でも大きく注目を集めていました。
 
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スペイン出身のマイテ・マテオス(左)とマリア・メンディオロ(右)の2人によるデュオで、見た目の通り、セクシー路線が売り物でした。
 
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カナリア諸島のフェルテベントゥーラ島の「トレス・イスラス」というホテルで踊っていたところスカウトされ、1977年に西ドイツでデビュー。
バカラという名前もデビューの際につけられたようです。
 
そしてそのデビュー曲「誘惑のブギー/Baccara Yes Sir I Can Boogie」がディスコ・ブームに乗り、西ドイツでの8週連続チャート1位をはじめ、世界中で大ヒット。
そのセクシーさと、何とも言えない気だるい妖艶さが、独特の雰囲気を醸し出し、日本でもチャートを上昇、大ヒットとなっています。
 
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【Baccara - Yes Sir, I Can Boogie (1977) 】
この「誘惑のブギー」、イントロのコーラスがセクシー過ぎるということで、放送を自粛したラジオ局もあったそうです(^-^;
 
1978年2月号の「ザ・ミュージック」に掲載されたバカラの記事。
「セクシー・シンガー冬の陣」という特集コーナーに登場したバカラ。「スゴ腕なんばから。。」という見出しが凄いです(^-^;
 
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バカラは1977年11月に第8回東京音楽祭に西ドイツ代表として出場、「誘惑のブギー」ではなく、日本でセカンド・シングルとなった「誘惑のマドリード」を歌っています。
 
日本では残念ながら「誘惑のブギー」以外はヒットせず、一発屋とみられていますが、西ドイツやヨーロッパでは、連続してヒットを飛ばしていたようで、1981年まで活動。
 
その後はコンビを解消し、ソロで活躍したのち、それぞれがニュー・バカラ、バカラ2000、バカラなどという名前で活動。
 
YouTubeには、2011年のバカラの動画がアップされていました。
 
【Baccara Yes Sir I Can Boogie 2011】
これはマイテ・マテオスさんのバカラのようです。。
 
未だに根強い人気があるようで、ベスト盤のリリースや2007年には3枚組のほぼコンプリート盤もリリースされています。
 
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今聞いても、とくに歌が上手いわけでもなく、ダンスが上手いわけでもないようですが、不思議な魅力がある楽曲です。。
 
それにしてもバカラ。。覚えているブロ友さん、いらっしゃいますか??
 
クィーン、ジャパン、ランナウェイズ等、日本で人気が先行し、母国で後から人気が出た海外のアーティスト達のことを"ビッグ・イン・ジャパン (Big in Japan) "と呼ぶそうですが、1977年にデビューした"チープ・トリック"もそんなグループのひとつでした。
 
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ベイ・シティ・ローラーズを頂点に、フリント・ロック、バスター等、洋楽アイドル全盛時代に登場したチープ・トリック。
 
ロビン・ザンダー(写真右からふたりめ)、トム・ピーターソン(写真左からふたりめ)のイケメンふたりに、リック・ニールセン(写真左)、バン・E・カルロス(写真右)のコミカルなふたりという絶妙なバランスのもと売り出されたチープ・トリック。
 
【ミュージック・ライフ1978年5月号】
中高生に親しみやすいキャラクターでした
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1977年2月にリリースされたファースト・アルバムCheap Trickは、エアロスミスのプロデューサーとして売れっ子だったジャック・ダグラスをプロデューサーとして迎え制作されましたが、本国アメリカでも全く話題になりませんでした。
しかし日本では、様々な洋楽雑誌で取り上げられ認知度が上昇してゆきます。
 
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同年9月にリリースされたセカンド・アルバム蒼ざめたハイウェイ / In Colorも全米73位、シングル・カットされた甘い罠/I Want You to Want Meもチャートインしませんでした。
 
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徐々に人気が広がっていた日本では、甘い罠/I Want You to Want Me」がベイ・シティ・ローラーズなどにも通じるパワー・ポップ・ロックであったことや、ロビン&トムのルックスが中高生を中心に徐々に人気が爆発。
アルバム蒼ざめたハイウェイ / In Color」はオリコン30位を記録するヒットとなり、シングル甘い罠/I Want You to Want Me」も洋楽チャートで1位を記録するなど人気が急上昇。
 
クィーン、ジャパンなどと同様、アイドル的人気が先行する形となりました。
 
「蒼ざめたハイウェイ / In Color」のジャケットを見ると日本市場を意識した表と裏のように感じます。
 
そして、「甘い罠」人気に続き、日本でのみシングル・カットされたのが、ハードでシンプルなロック「今夜は帰さない/Clock Strikes Ten」でした。
 
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シングルのキャッチ・コピーに「次代の担うニュー・タイプのロックン・ロール・バンド」と書かれていますが、まさに日本ではアイドル的要素を持った本格的ロック・バンド、またビートルズ・テイストを感じさせるバンドとして、80年代に向けた新たな時代のバンドとして注目を集めました。
 
当時の音楽雑誌「ザ・ミュージック1977年12月号」にも、新たなスターとして取り上げられています。
 
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【Clock Strikes Ten - Cheap Trick】
 
リック・ニールセン作の「Clock Strikes Ten」。
タイトル通り、リックの弾くギターのハーモニクスによる時を告げるチャイムのあと、急降下するギターリフから始まるこの曲は、一聴すると派手なロックですが、よく聞くと実にシンプルな50年代~60年代のロックに通じるフォーマットの曲で、バンドの奥深さを感じさせる曲になっています。
 
日本では、翌年ヒットした「サレンダー」との豪華カップリング・シングルもリリースされています。
 
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この後、日本のみの企画であったライヴ盤「チープ・トリックat武道館/Cheap Trick at Budokan」がアメリカでの人気に火が付き本国でも正式リリースされ、ワールドワイドなバンドへと成長。
 
「今夜は帰さない/Clock Strikes Ten」は、武道館のライヴでもアンコールの最後の曲として演奏され、ライヴ・アルバムにも最終曲として収録されるなど、バンドの代表曲となりました。
日本の洋楽チャートでは「甘い罠」に続き1位を獲得しています。
 
ライヴでは、スタジオ・ヴァージョンをより激しくし、ハードエッジな演奏を聞かせてくれています。
 
【Clock Strikes Ten(Live) - Cheap Trick】

 

一時期トムの脱退等あったものの、現在もライヴ・バンドとしてコンスタントな活動を見せてくれているチープ・トリック。
 
日本でも「サマーソニック2013」に出演するなど、まだまだ人気は衰えていないようです。
 
 
 
1967年6月1日、ロックの歴史を変え、未だにロックの頂点にあるといわれるビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」がイギリスでリリースされました。(アメリカリリース:1967年6月2日、日本リリース:1967年7月5日)。
 
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ポール・マッカートニーは「このアルバムはビーチ・ボーイズのペット・サウンズに影響された。」と語っていましたが、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンはビートルズの「ラバー・ソウル」に影響を受け「ペット・サウンズ」を作ったと言われています。
 
ビーチ・ボーイズは、1966年5月16日にアルバム「ペット・サウンズ」をリリース。
しかしブライアン・ウィルソンの実験作となったこのアルバムは、今でこそ、高い評価を得ているアルバムとなっていますが、当時、サーフィン・ミュージックとしての地位を確立していた従来のビーチ・ボーイズ・サウンドとは大きくかけ離れ、セールス的には失敗。
2か月後にリリースされたベスト・アルバム「Best of The Beach Boys」はすぐに100万枚を突破するなど、ブライアンは大きな衝撃を受けてしまいます。
 
その後、「ペット・サウンズ」を超えるアルバムを。。と精神的に追い詰められたブライアンは、ノイローゼとなり、アルバム「スマイル」はお蔵入り。
残りのメンバーが中心となり制作され、1967年9月11日にリリースされた「スマイリー・スマイル」も酷評される結果となりましたが、ビーチ・ボーイズは活動を活発化、なんと「スマイリー・スマイル」リリースから3か月後の1967年12月11日にはカール・ウィルソンが主導したニュー・アルバム「ワイルド・ハニー」をリリースしています。
 
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アルバムからシングルカットされた「ダーリン」はブライアン・ウィルソンの作曲(過去に書いていた曲)、カール・ウィルソンのソウルフルなボーカルが目立つ、ビーチ・ボーイズらしいサウンドで、ビルボード・チャートでも19位を記録しています。
 
【Beach Boys - Darlin'】
 
このアルバム、全体的にはR&B色の濃い新たなビーチ・ボーイズを感じさせるアルバムになっています。
レコーディングは1967年9月26日~11月15日とされていますが、ビートルズの"Sgt.Pepper~"がリリースされた直後のレコーディングとなり、ブライアン・ウィルソンが主導権をとっていないにせよ、何らかの影響があったのでは。。と推測してしまいますが、このアルバム制作時にレコーディングされたものの未発表となっていた1曲に、"Sgt.Pepper~"の収録曲With A little help From My Friendsがありました。
 
今ではリンゴ・スターを代表する曲であり、1968年にリリースされたジョー・コッカーのソウルフルなカヴァーが有名ですが、ジョー・コッカーより一足先にビーチ・ボーイズがレコーディングしていたのは驚きでした。
 
【Beach Boys - With a Little Help from My Friends】
ブルース・ジョンストンがボーカルをとり、バック・コーラスもビートルズに忠実なアレンジになっていますが、あまりにもリアルタイムだったためなのか、原曲に忠実なアレンジだったためかわかりませんが、当時は発表されず、1983年になって未発表曲やシングルのB面曲、未発表ライヴ音源などを集めたコンピレーション・アルバム「ザ・ビーチ・ボーイズ・レアリティーズ」の1曲目に収録され陽の目を見ています。
 
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安易なジャケットが何とも言えません。。(^-^;
 
"With A Little~"も決して悪い出来ではなく、もしリアルタイムでリリースしていたら、大きな話題になっていたかも知れません。。
 
8月1日からは、日本でもブライアン・ウィルソンの半生を描いた映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」が公開されています。
 
【「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」本予告】
今年の夏はビーチ・ボーイズとともに過ごす夏となりそうです♪