サディスティック・ミカ・バンド「SUKI SUKI SUKI (塀までひとっとび)」(1974) | マジカル・ミステリー・ミュージック・ツアー

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1960年代から1980年代の洋楽・邦楽の雑記帳です。

先日、地元のTUTAYAでCDを見ていると、999円で販売されている「バリュー・ベスト・シリーズ」の"サディスティック・ミカ・バンド"のベストの新品が80%オフで売られていました。

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01.墨絵の国へ
02.タイムマシンにおねがい
03.塀までひとっとび
04.サイクリング・ブギ
05.マダマダ産婆
06.お花見ブギ
07.空の果てに腰かけて
08.颱風歌
09.四季頌歌
10.黒船(嘉永6年6月2日)
11.黒船(嘉永6年6月3日)
12.黒船(嘉永6年6月4日)

全12曲中、8曲が名盤「黒船」からの選曲という乱暴なベスト(笑)で、収録曲はすべて持っていたのですが、"これは買わなきゃいけないだろう(笑)"という思いで購入してしまいました(^-^;

サディスティック・ミカ・バンドは、「帰ってきたヨッパライ」等のヒットで知られ、リアルタイムで"日本のビートルズ"とも呼ばれていたザ・フォーク・クルセダーズの中心人物であった加藤和彦が、デヴィッド・ボウイやマーク・ボラン率いるT.レックス等に代表させるグラム・ロックに影響され1971年に結成され、「世界に通用するロックを」をテーマに、当時、加藤和彦夫人であったミカ、ドラマーのつのだひろというメンバーで、1972年6月「サイクリング・ブギ」でデビュー。

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メンバークレジットはないものの、ギターは高中正義が弾いています。

このデビュー・シングルは加藤和彦のユニット的な色合いが強く、リリース後には、つのだひろの脱退を経て、高中正義(G)、小原礼(B)、高橋幸宏(Ds)が加入。

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翌1973年5月5日に待望の1stアルバム「サディスティック・ミカ・バンド」をリリース。(初期プレスのLPはボーナスEP「レコーディング・データc/wサイクリング・ブギ」がついていました。)

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カラフルなジャケットに彩られたアルバムは、内容も実にカラフルでグラム・ロックに影響されながらも、シンプルでわかりやすい日本のオリジナル・ロックとして、セールスは今一つだったものの評論家の間では、高い評価を得ることとなりました。

そしてこのファースト・アルバムが、ミカ・バンドを世界に旅立たせるきっかけとなりました。

1973年、音楽評論家の今野雄二は、加藤藤和彦、ミカとともにロンドンでロキシー・ミュージックのコンサートを観た際に、ビートルズやピンク・フロイド、ロキシー・ミュージックなどを手掛けた音楽プロデューサー、クリス・トーマスをふたりに紹介。
その後、今野雄二はクリス・トーマスと会った際に、ミカバンドのファースト・アルバムをクリス・トーマスにプレゼントします。

これを聞いたクリス・トーマスは、アルバムを気に入るとともに、バンドの将来性を期待し、バンド・プロデュースの意向を伝えるとともに、ミカバンド側もクリスのスケジュールが空くまで待つということで、半年後の1974年2月からレコーディングを開始。

当初、4月にはマスター完成の予定でレコーディングが進められていたものの5月までレコーディングは続き、450時間を費やしセカンド・アルバム「黒船」が完成しています。(リリースは1974年11月5日)

1974年12月号のニュー・ミュージック・マガジンに掲載されたリリース前の広告。

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【アルバム「黒船」のジャケット】
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「黒船/サディスティック・ミカ・バンド」
A面
1.墨絵の国へ
2.何かが海をやってくる
3.タイムマシンにおねがい
4.黒船(嘉永六年六月二日)
5.黒船(嘉永六年六月三日)
6.黒船(嘉永六年六月四日)
B面

7.よろしく どうぞ
8.どんたく
9.四季頌歌
10.塀までひとっとび
11.颱風歌
12.さようなら

黒船来航前後をテーマに作られたコンセプト・アルバムであり、ファーストと異なり、加藤和彦の書く曲もグラムに拘らず、洗練されたサウンドとなっています。
このアルバムからキーボードに今井裕が参加。

クリス・トーマスもべた褒めの小原礼&高橋幸宏による鉄壁のリズム・セクションも大活躍のアルバムで、ミカの唯一無二のボーカルも圧倒的な存在感を示しています。

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このレコーディングの様子は、1974年6月号のニュー・ミュージック・マガジンに特集されています。

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このレポートには実に興味深い事が書いており、評論家の間やロック・マニアの間では、クリス・トーマスがミカ・バンドのプロデュースをすることが大きな話題となっていたものの、一般的には日本でクリス・トーマスはメジャーでなく、ミカ・バンドですら、まだまだ一部の人気だったということで、「一般の反応が低かった」と記されています。

まだまだ日本のロックが発展期であり、今のようにプロデューサーの仕事に注目される時代ではなかったようです。

この「黒船」からは、近年もCMやTVで使用されている「タイムマシンにお願い」と「塀までひとっとび」が「SUKI SUKI SUKI (塀までひとっとび)」と言うタイトルでシングル・カットされています。

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【サディスティック・ミカ・バンド / 塀までひとっとび 1974】
スタジオ・ヴァージョン

この翌年、1975年6月頃、小原礼が脱退し、加藤和彦・ミカ・高橋幸宏・今井裕・高中正義・ジャック松村(B)という布陣でTV出演した際の貴重な「SUKI SUKI SUKI (塀までひとっとび)」もご紹介します。

「SUKI SUKI SUKI (塀までひとっとび)」
作詞:林立夫 作曲:小原礼

この曲の作曲者でありボーカルも務めていた小原礼が脱退したこともあり、加藤和彦、ミカ、高中正義がフロントという珍しい構成で高中もボーカルを一緒にとっているという貴重な映像です。

実にファンキーなロックで、グルーヴ感も素晴らしく、とても40年前のグループとは思えない演奏です。

この後、ベースに後藤次利を迎えたバンドは、ロキシー・ミュージックの全英ツアーのオープニング・アクトとしてイギリスで1975年10月2日~24日までの全英16公演を実施。
大きな反響を得ることとなります。

この公演の17、18日のロンドン公演をピックアップしたライヴ・アルバム「Live In London」は1976年11月にリリースされていますが、白熱するバンドの演奏と観客の熱狂がよくわかるライブ盤となっています。

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クリス・トーマスを再度プロデューサーとして迎え、1975年11月にはサード・アルバム「HOT! MENU」をリリースしましたが、ミカとクリス・トーマスの関係が深まり、加藤和彦とミカが離婚。
世界が視野にありながら、加藤和彦はあっさりと1975年11月にバンドを解散。
幻のバンドとなってしまいました。。。

その後、1989年には桐嶋かれんをボーカルに迎え"Sadistic Mica Band"(70年代の表記はMika Band)としてアルバム・リリースとライヴを実施。ライヴ・アルバムとビデオもリリースされています。

また、2006年~2007年にかけては、木村カエラをボーカルに迎え再々結成され(この時の英語表記もSadistic Mica Band)、CM、アルバム・リリース、ライヴ、映画と多くのマテリアルを残し、活動を終了しています。。。

この時のライヴもライヴ・アルバム「Live In Tokyo」としてリリースされましたが、初回盤にはひっそりとボーナス・ディスクとして1975年9月21日の渡英直前のライヴが Live In Japan at Kyoritsu Kodo Official Historical Bootleg」として付けられていました。

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いまのようにネットもない70年代前半の日本ロック初期において、海外ツアーまで行っていたサディスティック・ミカ・バンド。

更なる再評価により発掘音源等をリリースしてもらいたいものです。