カルメン・マキ&OZ「私は風」(1975)。。未だ誰も越えられない日本最強の女性ロック・ボーカリ | マジカル・ミステリー・ミュージック・ツアー

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1960年代から1980年代の洋楽・邦楽の雑記帳です。

カルメン・マキ&OZ。。

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寺山修司が主宰していた劇団「天井桟敷」でデビューしたカルメン・マキ。
17歳で1969年には「時には母のない子のように」(作詞:寺山修司、作曲:田中未知)でレコードデビュー。
これが大ヒットとなり、カルメン・マキの名前は一躍有名になりました。。

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「主流は天井桟敷の芝居だと思っていた。」、と後に語っていたカルメン・マキですが、このヒットをきっかけに、当時、CBSソニーの社長に「こんなに売れたし、歌手なのにステレオもレコードも持ってないのはおかしい。」と冗談半分に言ったところ、18歳の誕生日にCBSソニーからステレオ4点セットと洋楽のアルバムを数枚プレゼントされ、そのアルバムの中に入っていたジミ・ヘンドリックスとジャニス・ジョプリンが、この後のカルメン・マキの人生を大きく変えることとなりました。

「歌手になって、売れてから初めてステレオでレコード聞いて。最初に聞いたのがジミ・ヘンとジャニス。それでガーンと人生観変わっちゃって、これだ、これがロックなんじゃないかなという感じ。」「(ジャニスが)出てきたときだからね。今でも凄いでしょ。ジャニスって。その衝撃たるや、並大抵のものじゃなかった。で、私のやっていることって、いったいなんだろうみたいになっちゃって、機械じゃないんだ。私は歌わされている電気人形じゃないか、同じ歌を何千回と歌って、そういう自分が凄くむなしくなっちゃって。目覚めちゃたよね。結局その時初めて音楽に目覚めた。」と後年、語っています。

この後、近田春夫や竹田和夫率いるブルース・クリエーションと活動を共にしたのち、1972年に当時18歳であったギタリストの春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成。
そして、数々のステージをこなした後、1974年にポリドールからシングル「午前一時のスケッチ」でデビューしました。

【ニューミュージック・マガジン 1975年1月号広告より】
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しかしながら当時メンバーは、カルメン・マキとギターの春日博文以外はなかなか固定出来なかったことから、デビューシングルのジャケットについて、カルメン・マキは、「あれメンバーがはっきりしないから、写っているのは私と春日だけで、後ろの方はシルエットで。あれはわざとそうせざるをえなかったの。レコーディングでプレイしているメンバーと写真に写っているメンバーが違うんだもん。」と語っています。

そして満を持して翌1975年1月にファーストアルバム「カルメン・マキ&OZ」がリリースされています。

【ニューミュージック・マガジン 1975年2月号広告より】
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【カルメン・マキ&OZ / カルメン・マキ&OZ (1975)】
1. 六月の詩 8:20
2. 朝の風景 4:55
3. イメージ・ソング 11:01
4. 午前1時のスケッチ 4:46
5. きのう酒場で見た女 2:35
6. 私は風 11:39


全5曲のオリジナル曲からなるアルバムは、ハードロックとプログレッシヴ・ロックが入り混じり、静と動の楽曲によるダイナミックな構成が素晴らしく、1974年6月にリリースされた四人囃子の「一触即発」、同じく1974年11月にリリースされたサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」と並び、当時の日本のロックの水準の高さを物語るアルバムの中の1枚だと思います。。。

今回は、このアルバムに収録され、OZの代表曲となった「私は風」をご紹介します。

【カルメン・マキ&OZ / 私は風】
シングル・ヴァージョン

そして、オリジナルLPバージョンの「私は風」です。

【カルメン・マキ&OZ / 私は風】
オリジナル・アルバム・ヴァージョン

ファースト・アルバムは当時として異例の10万枚以上売り上げ、コンサートも東京以外でも会場は埋まっているという人気の高さでした。

しかし、カルメン・マキ&OZは、1977年の10月18日新宿厚生年金会館でのステージを最後に解散しました。

しかし1978年には、「私は風」がショートバージョンでシングル・カットされ、翌1979年に公開された沢田研二主演の映画「太陽を盗んだ男」でも劇中歌として採用されています。

【私は風(シングルレコード) / カルメン・マキ&OZ】
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2013年10月14日には、SHOW-YAのボーカリスト寺田恵子が、「"一声入魂" 「カルメン・マキ&OZ」~私は風 2013~」というライヴを川崎のクラブチッタで開催。

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寺田恵子は「私にとってのカルメン・マキは、ロックの師であり、私をロックの世界に産み落としてくれた母であり、そしてあこがれの女性であるわけです。」とライヴに向けコメントを発表しています。

日本のロックが最も充実し意欲的だった1970年代中頃。。
洋楽のようにこの時期の日本のロックも、再評価されていいのでは。。とつくづく思います。