SPECでスポーツ能力開花!
山梨県昭和町のスポーツ花咲かセラピスト平澤です。
【他人は自分を映す鏡】
これを読んだのは何年前なんでしょうか?
思い返してみると、初めて読んだのはもう7年以上前になるんですね。
(『バガボンド4』 井上雄彦 講談社)
「わし始め他人はそれを映す鏡にすぎぬ」
当時、この胤栄和尚がいった言葉の意味が武蔵と同じようにさっぱり分かりませんでした。
もちろん、マンガの中での「武蔵自身の殺気が周りを敵にする」ということが言いたいんだなぁということは分かりましたが、あくまでマンガの中のストーリーとして理解したという感じでしょうか。
ちょうどその時期は、この理論もまだまだ作り始めで、いろんな手技に触れ、多くの文献を読みあさっていました。
当然ですが、その都度様々な思いを持つわけです。
「へぇ~おもしろいなぁ」
「これはためになる」
というものもあれば、
「ふ~ん、こんなもんか。なんか薄い」
「つまんないな、これは」
というものもありました。
ところが、それから更に身体の探究や勉強を続けていき「なるほど、こういうことか」とたどりついたことと、以前「つまんない」と感じた本に書いてあることと同じ所にたどりついたことがありました。
それも一回ではなく、何回も。
そんな時、このバガボンドのシーンが頭をよぎりました。
そして、ストーリーとしてではなく、自分の体験としてズドーンと身体に入ってきました。
「つまんない」「こんなもん」「薄い」のは自分自身だったのだと。
なんか、とても恥ずかしくなりました。
無意識のうちに、「自分はできる」「知っている」「結果を出している」そんな高慢な気持ちでいたんだなぁと思い知らされました。
そう思いたかったんでしょうね、自信がないから。
SPECの発案者として、代表者として、今学んでくれているみなさんや卒業生にはこのことだけは忘れてほしくないんです。
コースでも何回もお伝えしていますが、どんなに変化が出ようとも、すごいのはセラピストでもなく、手技でも理論でもないですからね。
本当にすごいのは「身体」という自然の産物です。
それ自体にきちっと敬意をはらうということです。
身体はいろんな要素からできています。
きっと我々が目にする様々なアプローチも身体にとっては、限られた側面なのかもしれません。
そのくらい身体は分からないことだらけなんです。
SPECはじめ、すべての手技はその内のどれかを切り取って手掛かりにしていっているのだと思います。
そしてどの側面にフォーカスしているのかによって、考え方も違えばやり方も違ってくるし、どの世界にも素晴らしいセラピストはたくさんいらっしゃいます。
どこに行っても良くならなかった方が自分のところで良くなったとしても、その方の身体の状態も違えば、回数も頻度も違うし、もしかしたら他の方がアプローチをして他の側面を埋めておいてくれたから、たまたま自分のところで良くできたのかもしれないのです。
そのくらい人間の身体は分からないことだらけで、フォーカスが違えばやり方も違って、自分が見てるものなんて身体にとってはほんの一部分なんです、きっと。
だから、他の手技をあーだこーだ言ったり、周りを気にしたり比べたり、前の私みたいに「出来る」なんて思っている暇はないんですね、身体は深すぎて。
でも逆を言えば、そんな深い身体にも、何かしらのフォーカスを持って関われば変化を起こせるチャンスがあるということです。
なのですべきことは、「人を幸せにする」という思いを持って、自分の信じるフォーカスで真摯に身体と向き合い、勉強していくことです。
そういう方たちが周りに増えていったら、それもまた「自分を映す鏡」なのかもしれませんね!
SPECでスポーツ能力開花!
山梨県昭和町のスポーツ花咲かセラピスト平澤でした。
◆あわせて読みたい◆
・なんで一つの動きで別のところの動きも変わるんですか?
・「合う」ってどういうこと?
・動作特性ってなんですか?
・身体の使い方の違いはなぜ生まれるのですか?
・パフォーマンスアップにどうしてSPECが必要なの?
・なぜ今まで「動作特性」という考え方が見つからなかったの?
・身体に合う使い方と痛みとの関係は?
・なんで一つの動きで別のところの動きも変わるんですか?
・「合う」ってどういうこと?
・動作特性ってなんですか?
・身体の使い方の違いはなぜ生まれるのですか?
・パフォーマンスアップにどうしてSPECが必要なの?
・なぜ今まで「動作特性」という考え方が見つからなかったの?
・身体に合う使い方と痛みとの関係は?