親切な失礼 | ホッとひといきタイム

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さて

 

ひと息セキセイインコ黄

 

 

 

頼まれたわけでもないのに、なんかアドバイスみたいなことを言って、相手の反応がイマイチだった。

 

そんな瞬間を経験したことがあるかもしれない。

 

逆に、自分が頼んだわけじゃないのにアドバイスをされたこともあったり。

 

 

まあ、そんなの日常にありふれてることなんだけども、どちらも経験してきて今思うことがある。

 

 

他人にアドバイスや施しをするなら、まず相手の話をよく聴き、なるべく相手を尊重した上で何か言葉をかけたり、行ないが届けられるといいなと思う。

 

これ、当たり前のことかもしれないけど、出来てる気になってるだけで、実は全然出来てないってことに気がついてないこともあるなぁと最近思っている。

 

 

そして、相手からアドバイスを求められたとか、助けを求められたわけではなく、

 

自発的に気を利かして(or気を利かしたつもりで)何かをした時、それが相手に受け取ってもらえないこともある。

 

そういう場面では、「あちゃ〜ツボが違ったかぁ〜ニヤニヤやっちまったなぁ〜」(……ねー?)と思えるくらいの器を持っていたい。

 

そこでもし自分が拗ねたり、怒ってしまうようなら、

 

実は今の自分自身に向き合わなければいけないこと(心の奥底にある無価値観など)があって、

 

そこに向き合うことから逃げるために、一見かわいそうな人、困ってそうな人を見つけては何かしてあげなくちゃ、みたいな気持ちになっている可能性もある。

 

その場合、その目の前の一見かわいそうな人を、知らず知らずのうちに自分の承認欲求のサンドバッグにしてしまうかもしれない。

 

自分のアドバイスや施しが、その人にとって必要なものだったならいいけれど、的外れなことばかり言ったり、やったりしていたら、

 

その的外れを受けた側の方では、やらかした側が思いもよらないようなレベルで苦痛を感じてることもあるから、

 

嫌になってすーっと離れていったり、もう二度と胸の内を明かさなくなったりするかもしれない。

 

そんな的外れパンチを繰り出されるくらいなら、何も言わずにチョコレートを一粒くれるとかの方が、よっぽど心に沁みたりする。

 

 

相手の生きてきた人生が20年であれ、30年であれetc.、その人はその人なりに「生きてきた」んだ。

 

仮に、今目の前にいるその人が、いわゆる「かわいそう」とか、「気の毒」な状態に見えたとしても、

 

その人は生きる力をちゃんと培ってきてるはずで、現に今まで生きてきたんだ。それは頭に留めておきたい。

 

これが頭から抜けていると、

 

目の前のその人にとって全く的外れな、相手の今までの人生を無視したアドバイスや施しをしてしまって、

 

逆に相手を苦しませたり、余計なストレスを与えたり、最悪相手を追い込んでしまうかもしれない。

 

 

そして、その的外れなことをしてしまった当の本人は自覚が無かったりする。

 

誰からも責められない、むしろたくさんの人が褒めてくれて、味方になってくれそうなことをしている場合は特にそう。

 

要は、自分はただ万人受けするようなことをしたのであって、実は、目の前のその人のことをまるで理解できていなかった、というところに非を認めることもできるのだけど、

 

「悪気は無かったんだ」という言葉で守られ、自分の落ち度を受け止めることなく終わってしまったり、逃げることができてしまう。

 

 

むしろ、下手したら、「心配してあげてるのに、なんなんだよ?え??お???むかっ」、

 

「感謝の気持ちが足りないんじゃないのか?ん??むかっ

 

……って感じでねー笑、圧をかけちゃったりとかしてね。

 

まあ、日本人の場合、それを表立って口にしないことが多いんだけど、口にしない代わりに、それを何かしらの態度で示して分からせようとする時もあるからタチが悪い。

 

いずれにしても、ここまでくると、見方によったらこれはまるでヤ○ザのシ○ギみたいなものだ。

 

アドバイスとか、思いやりという包装紙でラッピングされた時限爆弾でもいいハートプレゼントキラキラ・・・爆弾・・・ポーン・・・笑い泣き・・・真顔

 

 

 

「悪気は無かった」

 

 

 

んー……うーん

 

 

そうなんだけどもさ。

 

 

悪気も無ければ、きっと真心も無かったんじゃないのか。

 

 

仮に真心が無かったんだとして、それならそれでいいんだ。四六時中、真心を込めろなんてことを言いたいわけじゃない。

 

その相手に対する自分の姿勢が、それほどでもなかったということ。

それならそれで構わないんだ。仕方ない。

 

 

大事なのは、そういう自分に気づいて、納得すること。

 

自分が何も分かってなかった、分かろうともしていなかった、ということを自覚して、腹に落とすことができるかどうか。

 

 

「あぁ、自分はただ良い子であろうとしていただけだったんだな」

 

「偉そうなことしちゃったな」

 

「目の前のその人じゃなくて、その他大勢の評価を得ようとしてたのかもしれないな」

 

「相手のためと思って色々言っちゃったけど、余計だったな。むしろあの人は強い人だった」

 

「自分の薄っぺらい所を相手は見抜いてたから、親切にしたつもりだったけど微妙な反応だったんだな。だから、離れていったのか」

 

 

って感じで。

 

 

こうした気づきを得たとて、それでもまたやらかしてしまうこともあるかもしれないけど、

 

少なくとも、きっと以前の自分には見えていなかった目の前のその人の姿を、少しずつ見られるようになるはず。

 

そして今度は、ちょっとはマシなアドバイスとか施しをすることができるかもしれないし、

 

あるいは、目の前のその人の気持ちが、どうしてもよく分からないのなら、

 

その「分からない」という気持ちを自分の中で認めて、

 

余計なことを言わないよう配慮するなり、相手が話しをしたそうだったら聴くに徹するなり、

 

正直に、「分かってあげられなくてごめんね」と言いつつ、上手に質問してみたりして、どんな気持ちなのか知ろうとしてみるなり、

 

とにかく、きっと何かしら行動が変わってくるはず。

 

そして、いずれ良い人のフリをすることから卒業し、本当のあたたかい人になっていけるのかもしれない。





おしまいダイヤモンド乙女のトキメキ