さて
ひと息
恨みのエネルギーってすごい。
小さな恨みから大きな恨みまで、恨みにも色々あるだろうけど、下手したら何十年も恨みって持っていられちゃう。
例えば、
小学校のころ、親にされたこととか、言われた嫌なこととか。学校で同級生に言われたこととか。
中学時代、クラスの男子に言われた数々の嫌な言葉とか。
高校時代、親友に言われて嫌な気持ちになった言葉とか。やられて嫌だったこととか。
20代に入ってからも同様のぐちゃぐちゃが。
こういうものたちのことを、今までずっと「心の傷」と認識してきてたけど、
最近、これって一種の「恨み」だよなと思うようになった。
そして、自分はずっと被害者の立場からものを考えていたんだということにも気が付いた。
恨みってどうしたら解消されるのか考えてみたけれど……
…………
自分の中にこんなにも残酷な側面があるのかと、自分で自分に引いてしまった(苦笑
まあ分かっていたことではあるけれど笑、普段はあまり開けない引き出しなもんで、改めてびっくり笑
まあ、現実ってそういうものよね。C'est la vie.
どんなアイデアが出てきたか詳しくは語らないけれど笑、っていうか語るほどたくさんは出てこなかったけど笑、
要するに、
恨んでいる対象が不幸になっていればスッキリ!
みたいなこと
いやはや恐ろしい。
でも、そういう自分を自覚せずにいるよりは、知ることができて良かった。
「自分はいい人間だ」と、わけのわからないナルシシズム(自己愛)をぶくぶく膨らませて生きていくのも、それはそれで本意ではないから。
とにかく、恨みっていうのは、
その対象の不幸を願い、
場合によっては、何らかの復讐的な行動(嫌味を言うなども含む)によって、その対象を自分が望む形の不幸な状態に陥れようと試みたりして、
その不幸によって、自分の怒りや悔しさ、悲しみが消えるんじゃないかという、いびつな希望をモチベーションにした感情、と言えるんじゃないかと思った。
いびつとは言え、そこに希望を見出している以上、不思議とエネルギーが湧いてくる瞬間もあるだろうけど、
きっとドラッグみたいなもので、あとで自分がグロッキーになったり、決して後味のいいものではない。
ごちゃごちゃと理屈をぶっこいたけど、要するに、
恨みのエネルギーを持ち続けて、仮にそのエネルギーが、相手の不幸によって発散されたとしても、自分は幸せにはなれないということ。
仮に幸せみたいなものを感じたとしても、それはきっと一過性のものなのに、それを幸せだと勘違いしてしまったら、
最悪、次なる恨み相手を過去の記憶から引っ張り出してくるなり、新たに生み出してしまうなりして、また恨みに希望を見出そうとする、なんてことにもなりかねない。
そりゃあ人間だもの、恨みたくなる時期だってある。
でも、その刺激物の中毒になってはいけない。