恐いならば預けなさい
疑うならば預けなさい
呑まれぬように預けなさい
そして明け渡したならば、隣の誰かを傷つけてはいけないよ。
目の前の誰かを泣かせてはならないよ。
災難の全てを、災厄の全てを、私たちが引き受ける。
だから、その心はいつも青天でいて欲しい。
信じるべき愛する人の手だけは取り続けて。
禍は我らが、この名にかけて留めてみせる。
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黄泉の国と高天原と地の国を繋ぐ、一本の川がある。
この川は、天之常立神ーアメノトコタチノカミと、国之常立神ークニノトコタチノカミの両柱が共に力を合わせて創り出した大河だ。
天の恩寵が絶え間なく流れ、くまなくその力が行き渡り、どこまでも繁栄していくことが出来るように、光の粒子が注がれている。
そんな川の守り手として任されたのが、私……八十禍津日神ーヤソマガツヒノカミと、弟である大禍津日神ーオオマガツヒノカミだった。
高天原と黄泉の国までを弟が、そして地の国への分岐点から下を私が担っている。
地の国に住うイザナギノミコトが、死した妻であるイザナミノミコトを迎えにやって来たのを知り、弟は、イザナミからの懇願を託された。何としてでも追い返すから、地の国に帰して欲しい、と。
生者である神が黄泉の国に長時間居続けることで、取り返しのつかない事態になりかねない。私たちの川には強力な祓いの力が宿り、黄泉がえりを起こすことも不可能では無いが、イザナギが無事に元に戻れるかどうかは、一か八かの賭けだ。
だが、イザナミの……いや、その御子であるヒノカグツチの、父を守ろうとする懸命な想いに私たちは胸打たれ、イザナギの再生をする覚悟をした。
親子の別れを横目に、私と弟もまた、己の限界まで生命力を強め、イザナギを復活させたのだった。
「また黄泉からお戻りに……何度このような目に遭ったら終わるのでしょう」
オオナムチ……後に、大国主命と呼ばれることになる神が、兄たちである八十神に、騙されて命を奪われること二回。
この川に身を沈めながら息を吹き返したオオナムチに、思わず声をかけてしまった。
「ああ、いつも申し訳ない。この川に入ることが出来るおかげで私は蘇るが、あなた方にはたまったものじゃありませんね」
「いいえ、それは……それよりも、見ていられなくて」
八十神は、ヤガミヒメという姫君の心が自分たちに向かず、弟のオオナムチと結ばれた悔しさから、彼を葬ろうとしているのだという話が耳に入った。その時に、どうにかならないだろうかと胸が痛んで仕方がなかったのだ。
「お分かりなのでしょう? 兄たちが私に対して行う仕打ちは、嫉妬などではないと」
オオナムチは、小さく水音を立てて髪をすすぎ、柔らかく問いかけた。
ああ、この方は何もかもご存知でいたのか、と一瞬面くらったが、すぐに思い直す。
そういう方だったではないかと。
「はい。兄神さま方は混沌を…引き受けられていらっしゃるのですね」
「その通りです。あなたもまた同じだ」
劣等感や、切なさや、不安……説明の出来ない現象に反応して心に翳る、抗えない感情を司っている。
美しく輝く光は平等に降り注ぎ、愛の手は差し伸べられているにも関わらず、そうでない方に目が向くことで、不信感が募っていく。八十神は、これらを消化するために闘っているのだ。
「間違いを起こしたときに、どのように向き合うかで真価が決まります。自分や世界を信じられなくなったときに、どう立ち直るかが大切なのです。これから、私たちが創る国には多くの民が誕生していくでしょう。兄たちは、その手本となるべく愚かであることを選んだ」
オオナムチは、痛みが引きましたありがとう、と私に礼を言い、静かに岸辺に歩いて行く。
そして、赤と白が入り混じる花に触れた。
「あなたも、禍々しい神と疎まれ恐がられても、兄たちと同じ、〝八十″もの災や苦しみを一手に請け負った。その名を撤回されないことが証です。八十禍津日神」
痩せていたオオナムチの肉体に張りが戻り、神々しい光がゆっくりと放たれ始めている。
目の下の濃い隈が薄くなり、黒黒とした髪の毛の艶も見える。
「……ほら、こうしてあなたや兄たちが受け止めてくれるから、私のなかには憎しみも恐怖も復讐心も、何一つ残りません。優しくありたい、与えたい気持ちで満ち足りる。だから私は幸福なのですよ。それよりも、そんな感情に呑まれていくのを止められずに、私を殺めようとし、母を泣かせるほうがずっと辛いだろうに」
オオナムチの眦から溢れる滴が、はらはらとそよ風に乗って横に飛ぶ。
とても綺麗な光景だった。
「八十禍津日神、あなたは何故、この役目を続けられているのですか」
なんと答えたら良いのだろう。
私は、この禊の川で神々の、幾多の想いを味わった。イザナギノミコトの葛藤を皮切りに、本当に複雑な想いを。
何が善で、何が悪なのだろうか。
明るさが強ければ闇もまた強くなるのか?
洗い流される様々な場面や記憶や涙をどれだけ見ても、それを断言できない。
嫉妬、憎しみ、悲しみ、不安、焦りや卑屈さは、愛や慈しみや気高さと繋がっているのか。
「まるで、この曼珠沙華のようです。血のように赤く、毒があると誰も手を伸ばさない。けれど、美しい花であると、天上の花と謳われる意味をもまた、どこかで皆わかっている」
私は大好きですと、オオナムチは微笑んだ。天と地を結ぶ花だ、と言って。
「何故、この役割を手放せないのかに、明確な答えはありません。祓い給い、清め給い、守り給い、幸え給え……私は、ずっと祈り続けて来た。その身から、この世から、禍が抜けていくようにと。そしてこれからもそうして行きます。災の神と呼ばれようと、汚濁ばかりを託されようとも。業の神であり続けるだけです」
ーー恐いならば預けなさい
疑うならば預けなさい
呑まれぬように預けなさい
そして明け渡したならば、隣の誰かを傷つけてはいけないよ。
目の前の誰かを泣かせてはならないよ。
災難の全てを、災厄の全てを、私たちが引き受ける。
だから、その心はいつも青天でいて欲しい。
業とて、私が誠に向き合えたならそれは、かみわざ、と呼ばれるものになるのだから。
「あなたの名には、八十の苦がある。そしてそれを日に変えていく神だ。八十の倍の幸福に……誰が忘れても、私だけは覚えています」
「ありがとう。オオナムチ」
人柱など要らない。
目を開けてよくごらん。
先の見えない明日に、まだ来ぬ何かに怯えて刃を振り回してはいけないよ。
それは己をも傷つける。
見知らぬ誰かに振り下ろしたはずの刃が、どこに向かっているのかを知るんだ。
「私も、兄神たちの役目が全うされるまで逃げません」
「お互いに、やり甲斐がありますね」
胸に吹き荒れる嵐を祓い
頭を過ぎる最悪の事態を清め
日の加護に守られよ
手のなかの希望に気づき幸い給え
幸い給えーー
【流した穢れのいく先に】
真実かどうかわからないけれど
見せていただいたから書いてしまう
勝手に神さま救済して
自分が救済されてしまう
人間エゴ爆発シリーズ……
↓
こちらの話
↓
↓
こんな時間軸で話が続いております
八十禍津日神と大禍津日神は、
イザナギが黄泉の国から帰り
なんて汚いところに行ったんだ!と
禊いだことから生まれたと言われています。
そして、
オオナムチに対する八十神、マジでない。
因幡の白兎問題をまだまだ引きずっていました。
だから、感無量です。
今、書かせていただけたことに
意味があると信じたい。
最後までお読みくださり
本当にありがとうございました