エレファントカシマシ 新春ライブ 2020 | ラフラフ日記

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エレファントカシマシ 新春ライブ 2020
2020年1月5日(日) 東京国際フォーラム ホールA


“あゆ出産” というニュースの驚きを抱えたまま、エレカシ新春ライブへ。

あゆの出産について、ミカジョンこと野口美佳さんがインスタグラムに投稿した。
ミカジョンはあゆのライブ会場でお見かけしたこともあるし、私はこういう人があゆのそばにいることを勝手に嬉しく思っていた。けれど最近は環境も変わったようで、二人のやりとりも聞かなくなっていた。そんな中での今回の投稿だった。

https://www.instagram.com/p/B675C1mJWBN/

また一緒に共感できることが始まった気がする
芸能人も同じ人間だった



会場の国際フォーラムに向かう途中、訃報を知る。

https://www.facebook.com/CMJK0821/posts/2931727216892172

「The Judgement Day」はグレゴリオ聖歌にパイプオルガン、「HANABI」にはケルト音楽。
「The Judgement Day」は先日のカウントダウンライブのオープニングで厳かながら昂ったし、夏の野外で聴く「HANABI」は格別だ。
広谷順子さん、素敵なコーラスをありがとうございました。

亀田誠治さんもコメントしていて、亀田さんがはじめてお願いしたスタジオコーラスが広谷順子さんだったそう。

それにしても “Haプロ” って。「のびた」とか「シモ子」とか、あゆのセンス。


そんなこんなで会場入り。




ゆっくりと歩き出していくように「俺の道」からスタート。

そのまま「平成理想主義」へ。

ずっとやってなかった曲だけど、平成のうちにやるのではなくて、令和になってからやる。しかも新春ライブで。

“まあ長く生きてきたなあ
 おかげで闇を知った
 さらぬだに風を感じ
 愛さえわかりはじめた”


愛さえわかりはじめた。これは、あゆ及びあゆファンの 2020年のテーマなんじゃないか!? なんてことを思ってしまう。(もちろんそのときは思わず、今思えば)

この曲、スティービー・ワンダーの「迷信」っぽいかも! 後半のゆっくりになっていくところはレディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」っぽいと思ったこともあるんだけどね。

「ふたりの冬」の歌声、凄かった。
声が大きくて、ここが国際フォーラムだとは信じられないような、おかしな感覚であり表現かも知れないけど、まるで自分の喉から出てきた声なんじゃないか?と思ってしまうくらいの。こちらの体を突き抜けてくるわけよ。

「未来の生命体」が嬉しかった。
今の自分のテーマ曲のようにも感じられるが、ファンキーなバンドの演奏に “未来” を感じた。

「旅立ちの朝」を聴いて、この曲が U2 の『ヨシュア・トゥリー』を意識して作られたということを体で理解した気がする。それは、昨年 12月に U2 のライブ(『ヨシュア・トゥリー』再現ライブ)を観られたからであり、特に「Where the Streets Have No Name(約束の地)」~「I Still Haven't Found What I'm Looking for(終りなき旅)」あたりを思い出し、体にどんどん音が入ってきて、目の前の景色が開けていくようで、ああ!これか!この景色か!って感動した。

そして、「俺たちの明日」の前だったと思う。
「ドーンと行こう。のんびり行こう。って矛盾してるけど……」というようなことを言ってから、宮本が言った。

「君の人生は矛盾を孕んでいる。それで良い。ドーンと行け!」

(2020年1月5日 国際フォーラムにて)


昨年の新春ライブは宮本浩次のソロ宣言後というドラマがあったけれど、今年はもっとフラットというか、それでいて、宮本浩次ソロ本格始動(アルバム発売~ソロツアー)が控えているので、現状維持のようなところもありながら、これからまた歩いていくんだというような感じもあった。

・・・と、なんとも歯切れの悪い感想になってしまうが、どんどんフラットにしていく作業のようにも思えた。

でも、それもこれも顔が見えなかったのも大きいかも知れない。宮本がどんな気持ちでいるのかがわかりづらかったというか、表情が見えなかったというか。石森、高緑、冨永の 3人に対しては思わなかったんだけど。
でも、顔が見えないなんていう状況は今までもあったわけだし、やはり何か読み取れないものがあったのかも知れない。

そうだ。10日の大阪公演では WOWOW の生中継がある。それなら表情が見える。

そして見た。

それでも同じだった。

けれど、とにかく懸命で、新春ライブも 4公演目ということもあり、相当にハードなんだろうと思った。

一言で言えば、壮絶だった。

こんなギリギリの宮本浩次見たことないかもってくらいに。


新春ライブに行く前も行った後も「エレカシに飢えてる・飢えてた」という声を結構見かけた。

しかし私は、エレカシに飢えているという感覚がほとんどない。

むしろ、エレカシで満たされている。

宮本浩次がソロをはじめて、エレカシの活動が(前より)ペースダウンしたとはわかっていても、でもやっぱりどうしたって、私はエレカシで満たされている。

昨年の野音とひたちなかでのエレカシが素晴らしかったからかも知れない。

あるいは、今まで結構長い間エレカシを観て来れたからかも知れない。

とにかく私はエレカシで満たされている。

しかし、今回の新春ライブが終わった後、「もっとエピック時代の曲も聴きたいなあ」と素直に思っている自分がいた。
それは、以前のようなエピックコンプレックスとでも言うような、エレカシはエピック時代こそが素晴らしいんだというようなそれではなく、素直に自然にそう思っていた。そんな自分に少し驚く。
昨年の野音で「やっとエピック時代から解放されたかも知れない」と思ったのはこういうことだったのだろうか。

そして、エレカシで満たされていながらも、「もっとエピック時代の曲も聴きたい」という飢えがあること。そこに希望があるんじゃないか。


今回のライブも素晴らしかった。(サポートギターが新しく、山本幹宗という方だった)

素晴らしかったけれども、きっとみんな「素晴らしい」と言うんだろうなみたいな、何ならライブをする前からみんなが「素晴らしい」と言うことは決まっているみたいな(もちろん本当はそんなことないんだけど)、そこに苦しさを感じるような気もしてしまう。「エレカシで満たされている」ことの苦しさ。

これは、あゆのニュースやら何やらで私の気持ちが一杯一杯だったからかも知れないし、ソロのこととかそういった情報がかえって頭でっかちな勘違いな思い込みになっていたからかも知れない。

けれど私は、今回のエレカシ新春ライブを観て、宮本浩次ソロ……具体的にはソロアルバムとソロツアーが楽しみな気持ちが強くなった気がする。


「エレカシ胎動記」が書き終わったので第0回~第19回まで全部読み返したら、「宮本浩次にとって「音楽」とは「世間と対峙する」ことであり、「世間と対峙する」というのが「バンド」だったんだ」と書いていた。

今、宮本にとって「世間と対峙する」のが「ソロ」なのかも知れない。

バンド(エレカシ)で「世間と対峙する」のが難しくなったからのソロでもあるのかも知れない。

とにかくソロだ!
ソロがはじまらなければ、エレカシもはじまらない!


そのくらいの気持ちで宮本浩次のソロアルバムとソロツアーを楽しみにしようと思う。