宮本浩次のソロプロジェクトが始動し、オフィシャルサイトもオープンし、新曲「冬の花」がドラマ『後妻業』の主題歌に決定し、配信日(2/12)も決まった。確かに動き出している。
それなのに、私は「エレカシ胎動記」の続きを書こうとしている。
なんだか私だけ「過去」に生きているかのようだが、ブログに書かないだけで『後妻業』で「冬の花」も聴いているし、書きたくなったら今のことも書くだろう。ただ今は、「過去」のことを書くことだって意味があるんじゃないか。
しかし、その前に、宮本浩次ソロ始動の今の気持ちを書いておこう。
宮本浩次ソロ始動を知って、また、ロッキングオンジャパン 2月号のインタビューを読んで、2017年に放送されたドキュメンタリー『ノンフィクションW』のこんなシーンを思い出していた。
「宮本さんはエレファントカシマシのために生きているんですか?」
記者が宮本浩次に質問した。
このときのことはとても印象に残っていて、だから自分もブログに書いていた。
さいたまスーパーアリーナに四月の風が吹く
今読むと、このとき書いていたことが自分に跳ね返ってくる。
どれだけ葬っても葬ろうとしても、「自分」というのは何度でも何度でも蘇ってきてしまう。
また、エレカシのファンクラブ会報で宮本が 30周年ツアーファイナルの映像を見て感じたことを語っていて、それを読んだとき私は「時が来た!」と思った。と言ったって、何の時かなんてわかっていなかったけど、まさか宮本のソロが始動するなんて・・・。
『ノンフィクションW』で上記のように聞かれた宮本は、真っ先に「それはお互いにね」と言っていた。メンバーのことだ。
あのときの「・・・」沈黙、それがすべてを表していると私は感じていたけれど…。
なんでも、30周年のツアーが終わったらソロをやると決めていたというから、宮本はこの質問をどんな気持ちで聞いていたのだろう。(今さらながらこの質問をしてくれたことに感謝したい)
宮本がファンクラブ会報で語っていたことというのは、
例えば、宮本といえば「髪の毛をぐしゃぐしゃする人」とか「話がぶっ飛んでる人」とか「落ち着きがない人」といったイメージがあるだろうか。ファンにとってだって、宮本がメンバーをいじったり、そういうところに魅力があったかも知れない。要は、オシャレだったりスタイリッシュだったりするイメージじゃなくて、ダサかっこいいだなんて言葉もあるけれども、どこか完璧じゃないところやある種の「もどかしさ」がエレファントカシマシの魅力であったと。
それを宮本は自覚して、それは「もう終わり」と言った。これから目指すものの話として、なんとマドンナやレディー・ガガの名前まで出していて、あゆファンの私なんかはひっそりと驚いたものだった。
そこで私は「時は来た!」と思ったわけだが、ここで起こるのはファンとの乖離だ。
こういうエレカシが好き!と言えば言うほど、いや、これからはそうじゃないものを目指すんだよ!と。
しかし、ファンから言わせてもらえば、ファンだって前からわかっていたんだよ。
エレファントカシマシがかっこいいこと。
宮本浩次の新しいアーティスト写真が公開された。
確かに、オシャレな感じがするね。
だけど、エレカシだって今まで全くオシャレじゃなかったわけじゃないんだよ? それはファンだってわかっていたと私は思う。
じゃあなんで、今までエレカシでこういうことやらなかったんだよ!と思うかも知れない。けどそれはやはり、余裕がなかったんだと思う。では、今やっと余裕ができたのだとすれば、どっちが「余技」だかわからなくなるね。
なんだよ!ミヤジだけ先にこんな素敵なことやっちゃって!
けど、ミヤジが誰よりもエレファントカシマシのために努力してきたことを知っている。
そんな想いで引き裂かれる。
桑田佳祐、奥田民生、吉井和哉、浅井健一、後藤正文、、、、、
バンドもソロもやってる人なんてたくさんいる。
しかし、エレファントカシマシが特殊だと思うのは、ソロをやらないということも含めてのエレファントカシマシだったというか。
もちろん、決まりがあったわけではない。むしろ、ごく初期は別として、「4人の音を出す」というよりも、「どうして4人なのか」「エレファントカシマシとは何なのか」という問いを常に突きつけてくるものであった。バンドであることに何の疑いも持たないというよりも、常にバンドで良いのか?と問うているような。バンドとは何か。そのくせ、絶対的にバンドであり、「4人の音」を常に追い求めているような。そしてそれらの問いは、ソロをやらないからこそ真に迫ってきたのであった。
私は、ソロをやらないで欲しいと思っているわけではない。
ソロに対して何か不安があるというのでもたぶんない。
次にエレファントカシマシをやるとしたら、それはきっと、今までのエレファントカシマシとは違っているだろう。
そのとき私はどう思うだろう。ちゃんとエレファントカシマシと向き合えるだろうか。
それが不安なのだ。怖いのだ。
エレファントカシマシをやめるとは誰も言っていないし、エレカシファンは何を言ってるんだと思われるかも知れないけれど、大げさに言えば、エレファントカシマシを失うかも知れないというくらいの不安なのだ。
でも、こうも考える。
もしもこのまま宮本がエレファントカシマシだけをずっとやり続けたとしたら、「一回くらい宮本ソロも聴いてみたかったな」なんて思っていたんじゃないかって。我ながら勝手だよ。
そして、このままエレカシを続ければ安泰かも知れないけど、それでは突破できない何かがあるかも知れないとも。
なんだよ!ミヤジだけ先に行っちゃって!
そうだよ。ミヤジだけ先に行ってるんだよ今。
宮本浩次は、石森敏行は、冨永義之は、高緑成治は、ずっとエレファントカシマシだった。だけど、そうじゃなくて、それぞれがそれぞれの道を歩いて、また集まったとき、どんなエレファントカシマシになるのか。
ミヤジは一歩を踏み出した。
エレファントカシマシを失うかも知れないというくらいの不安は、きっとミヤジにもある。誰よりもある。
さあ、出かけようぜ!!