よく考えてみるとシャッター商店が増えても何の問題もありません。
むしろ更地になればそこに植物が育ちますから。


さて人間社会とは一体何なのかと言うと「アスファルト」と「建造物」があるだけです。


古代とかであれば東京も関東平野の一部だったので、科学力によって今度はその様な風景に戻っていきます。ただ昔と違うのはその様な自然は人の手よって管理・把握されます。よくある大型公園が町全体に広がる様な光景でしょう。

もちろんその中で人の住む所はあるのですが立体的になって平面的には自然が増えます。

物理的である必要が無い物はデジタルになるので簡素になります。昔はパイプの配管やら機械やらで町が複雑でしたが、それが科学力によってシンプルになるので、その方向性でよりシンプルになり自然が増えます。

地球は町全体は自然あふれる公園の様になり、逆に他惑星への移住が進み、そこは昔の様に機械的でゴミゴミしくなります。ただし火星は100年以上先です。

やがて惑星への移住が進むと、人の活発な活動はそこで繰り広げられるので、地球は保護される為に、本当に人類の居なかった頃の太古の様に、自然あふれる地球になります。これはもう千年以上かかります。

最近の間違いは、この様に技術力が無いのに形だけ自然に戻って原始人の様な生き方をしようと強いる動きです。

 

この様な場合、巨大隕石突入は避けられず人類は、ほぼ滅亡します。

 

科学力を発展させる為には、沢山のエネルギーを地球から採掘しないとなりません。地球を綺麗にする為には地球から燃料を掘り起こし続けるか、人類が居なくなるしかないのです。

日本人だけがレジ袋有料化などでエコしても、エネルギー消費量が世界規模の中国とアメリカがエコしてないので意味はありません。日本人にできる事は何もないのです。

 

 

「ツイッターにログインすると、いきなりタメ口で「今なにしてる?」と表示されますが」

 

ツイッターや匿名巨大掲示板と同じテンプレートを使った様なサービスは、書き込み投稿者の名前が表示された後に短文が表示されるのですが、短文が100回投稿されていると、その分、投稿者の名前も100回表示されるのですが、その割りには短文なので必然的に内容が非常に浅くなるので、なぜあの様なサービスを使うのかは私には理解できず、また投稿者もなぜあの様なだらしない文字を投稿できるのか理解できない訳です。

大抵は何かあったら逃げるのが前提ですが、私は何かあったら自分の投稿に関しては説明する気持ちがあるので、その違いだと思うのですが、仮に逃げる姿勢であってもわざわざ自分の時間を割いて自分を下げる様なネット行動はしないのです。

もしも自分のステータスがゲームキャラの様に表示され残るとしたら「悪質な書き込み投稿者」と言うのがついてしまうのです。

 

それ以前にまず特定個人を悪く思いネットで書こうとは思いません。

なぜツイッターの書き込みがだらしないのかはツイッター表面的には分かりません。今は分かりませんがツイッターにログインすると、いきなりタメ口で「今なにしてる?」とかが表示されます。

 

これはツイッターがユーザーに「今なにしてるのか、何を思っているのかを書いて下さい」と言ってる訳で、「ツイッターと言うサービスはそれが許されているのだ」とユーザーは思ってしまいます。

だから例えば私が「ふざけんな」と思っている時にツイッターにログインするとツイッターが「今なにしている?」と質問してくるので、そうは思っていても「ネットと言うのは不特定多数も見ているし印象も悪くなるし、ためにならない事は人に伝えてもしかたがないので書くのはやめよう」等と普通は一瞬でなる訳ですが、「ふざけんなと思って○○している」等と書いたりします。

しかし実際に表示される内容は投稿者の書いたままの文が表示されるだけであり、ツイッター側の注意書きとして「この投稿者の書き込みはツイッター側からの"何をしているか"の質問に対しての投稿です。」等とは書かれてません。

 

(もちろん上記では長くなるので、「○○さん(投稿者)がしてる事!」や「○○さんが思っている事!」などの様に運営側からの何かしらの表示。 その投稿の切欠はツイッター側からの問いかけによる、と言う事が分かるもの)

だからその表示を見ると、いきなりその人が本当に思っている事などが唐突に書かれていたり攻撃的発言があるので、私はこれは何かしらの幇助になるのではないかと思っています。

 

(逆にアメブロは厳しくて、引っかかる文字があると記事が削除されたりして、管理がなされています。)

 

この地球に生命が生まれてから多様多種な形体の性質の物が生まれ、環境に適合するかどうか試され、淘汰と生存を繰り返して人類まで進化しました。ただ私が考える上では知的生命と言う中では人類は非常に未完成な生命体です。

生命と言うのは生き延びる事を第一目的として作られています。死んでしまったら「生命」ではないからです。そして今の地球上の生命は永遠に生き延びる事ができなかったから、何とかして遺伝子だけ子孫に残すと言う方法で生き繋いでいますし、人類もまたそうです。

生き延びる事が第一目的であるのですから、思考をあらゆる方向に使ってそれを考えます。そしてその中で超長期的な視点では「自分の住む惑星は、いつか滅びるから他の星に移る」と言う問題もあります。それを本気で考えたのがアマゾンのCEOでしたが生命体としては真面目に問題に取り込んでいると思います。

ただ火星に住めない事を前提に判断したり、火星に住む為には必要な人工知能の進化を、これをターミネーター化すると考え否定する方々は、言わばここで言うには生命的な物の考え方ではありません。人工知能のターミネーター化も人類にとっては脅威なので、回避すべき問題ではあるのですが、ほとんどの人は単に面倒臭いから「否定しておけば良い」と言う姿勢です。

 

そして今日もネットで行動的な人を発見しては否定の方法を探して出しており、その為に毎月のプロバイダー料金を支払っています。自分の状態を安定させる為に、自分の中で言い訳の理論を構築します。

彼らは人間界における、あらゆる世俗的な物に染まってしまって、またあるいは間違った者達をも含んだ社会の連帯感、その心地良さに浸かりすぎて、やがては生命であると言う事を忘れつつあるのです。

もしも大隕石が突入してくれば全てが終わるのです。現世代の思考が停止すれば次世代がその分、思考を稼動させなければならないのです。個人的な心地良さの追及と、生命の一員としての壮大な仕事、その双方のバランスの良さが今、求められるのです。

 

 



「いかがでしたかブログ」と言う物がありますが、私は普通は最後に「いかがでしたか」とは書きません。

この「いかがでした」の文字を除く検索をすると、浅いまとめ記事は出ないそうです。

もはや「いかがでしたか」本来の意味ではなく、記事の終わりを意味する記号的な言葉として使用されつつあるのかもしれませんが、まだまだ私には「いかがでしたか」は明らかに書き手から読み手への問いかけ感のある言葉です。

いかがでしたかと質問をすると言う事は記事に対して問い合わせてくださいと言う事です。それなのに問い合わせる事はできません。自分で記事を書いておきながら読み手に、その真偽を考える余地を与えてしまっています。これは私も先日書いた自信の無さ、心の縮こまり、心のしぼみ、寂しさ等から起こる事なのです。

ただ自分が知ってる事や関心の無い事が、初心者向けに書かれているからと言って否定するのも良くありません。あなたが知らない事をいきなり上級者向けに語るまとめがあったらどうですか。

 

それに多少は違和感を感じても「いかがでしたか」と書かれていたら素直に読んで流しておけば良いのに、これまた重箱の隅をつつくネット批判民です。お笑い芸人のつっこみ役ならわかりますが、そんな事にいちいち引っかかっていたら、何事もスムーズに進みません。

逆に、まとめサイトが無ければ論文の様な長文で小さな文章を読んで、そこから自分の知りたい事を調べないといけないので大変です。

新型コ○ナよりも怖いツイッターと言う病。こちらを考えてみれば、それよりは全然まともなサイトだと思います。やはり人はお金にならないと真面目になりません。