昼過ぎ。この時間帯になりますと国会中継やワイドショー等、ネクタイの大人達のイライラが拝見できる訳ですが、心が純粋な子供には絶対に見せられないと思うのです。

国家の中心部から、この様な大人版イライラが配信されているので国民もイライラするのです。

野党のイライラに対して与党が言葉を多く作って、器の大きい感じを出して交わす構図が毎回放映される訳で、なんとなく与党の弁解(内容の質よりも言葉数の多さ)によって場内のイライラが半分になった所で次に持ち越しであり、映像は全体的に厳粛な色合いなのですが、話の全体像が分からずに、よって厳粛な態度は面白がられるゆえに、知ったかの様な一般政治マニアがYoutubeとかで揶揄する編集映像をアップする訳です。

 

政治家を批判しても、どこか釣られて魅せられてしまう部分があるのでしょうね。

本当は国会は非公開にすべきかと思いますが、国民は知る権利があると言う事になっているので延々と同じ様なやり取りが放映されます。

どうも日本人と言うのは無表情だと怒っている様に見えるのか、実際はそうでもないのに、周りがそう見えてきて政治家自身も心ガードが固くなってきて、本当にイライラになってくると言うメカニズムがあると思われます。

 

場慣れしてないと緊張で固くなり自己防衛反応として怒った様な感じになるので一般人も注意です。

 

怒りは不安から生じます。そして全体的に戒めと批判の世界がここにはあります。

人が生まれ目指す所がこう言う所か、とも思えてきてしまうのです。

これを毎日見てると、一般人でも議論するのが人間のライフスタイルなんだと思えてきてしまうでしょうね。
 

【全ての「画面」には本当に注意です。】

 


例えば私が免許更新に行ったとします。

先生の話もありますが、テレビに電源を入れて、悲惨な交通事故ドラマを流す訳ですが、
その教育効果が抜群なのです。電気一つで人間の先生の話以上に人を教育できてしまう。

テレビとは「テレ・ビジョン」の略であり「遠くの映像を映す」と言う意味です。
原始人や動物の世界ではこの概念は存在しません。しかも加工と編集ができます。

原始時代は自分のテリトリーに怖い物を置いとく等して、敵・相手に「ここに自分はいるんだ」と思わせました。
「今は、いないのだけど、いる。」と相手の脳に伝える訳です。
これは時空を超えた意思伝達方法の始まりではないでしょうか?

そして今やテレビやパソコン・スマホ画面で起こる事が本当・真実だと誰が決定したのでしょうか。
画面は画面です。誰かの意思によって映像が送信されるだけの器具です。

つまり全ての「画面」を俯瞰的・客観的に見て、
何が起こっているのか?映像制作者の意図を読み取る力が必要です。

現代人の人生の多く、あるいは酷ければ半分以上は画面で起こった出来事を、自分の人生の出来事だと錯覚し生きているのではないでしょうか?
これは決して上から目線ではありません。私もそうであり、そう思うからです。

「それも現代人の宿命」だと思えれば、ネガティブではありますが、それはそれで俯瞰的に物事を受け取れている証拠です。
危険なのは、全ての画面に対して素直すぎて盲目な人達です。

それはそれで夢を見させてもらっているのですが「死ぬまで目覚めなけば幸せだ」と言う理論付けも可能です。
ただし経済的な勝者は映像の配信者、つまりマーケッターにあると思われます。

「画面」の圧倒的な有効性をもっと知れば勝者になれるのではと思います。

自分は何をしなくても良い。ただ、より強力な映像・画像、
コンテンツを画面に映し出す能力さえあれば良いのです。

画面からのコンテンツ出力は、現代における諸刃の剣の様な魔術なのです。
それを生かすか?自らが滅ぼされるか?は自分自身にかかっているのです。

【彼らの文面からは、ささやかな寂しさが感じられる。】

 

 

今やネットでは音声の様にチャット等で言葉が飛び交う時代となりました。

 

またあらゆるサイトやブログでも多くの文章が載せられています。

 

そこで私が昔から感じ取っているのは、その執筆者たちの心の寂しさです。

 

どこかフレンドリーな感じがあり、それはネットでさえも好かれたいと言う気持ちがあると思われます。

 

それゆえに自分の頭の中のアイデアを照れ隠しで遠まわしに表現する事も多く、

かと思えば若者受けしたいのか、一方では中高生の様な言葉使いも見受けられます。

 

その一方、私の文体と言うのは、未来の自分に今の発想を伝える為のメモ書きでもあり、

実際過去の自筆を読むと言う事もしたので、淡々としており、初めての人には「何だこいつは」と言う事で、受け入れにくいでしょう。

 

私はネットで友達を作る為に書いているのではないからです。

 

ただし好感が持てる人物と言うのは営業的にもメリットがあり、それこそがセールスの肝であります。

 

そこの所で私は一つ損をしてる訳でもございますが、せっかく思いついた考えをぼやかして残す訳にはいかないのです。

 

現実世界では、多くの困難や悩み、戦いがあり、それを解消する思考アイデアが必要だからです。

 

これまで私が2013年からアメブロやってきた中で、本当に有効な記事がいくつかあったと思います。

 

別に私の人格性はどうでも、その読者の方がそのヒントを見つけ、少しでも間接的に世がスムーズに進めば良いと言う気持ちがあるのです。私と同様の方も少なくないと思います。ニヤリ

 

昔の人はネットが無かったから屋外に出っ放しで、

 

それでは私達は、現代人ならではの室内のネットを活用して、

 

いろいろやり、違う生き方をしようと思う訳ですが、

 

昔の人が本当は人生で何を体験して感じたのか知らずに(だいたいこんな物だろうと言う事は

勝手に憶測しているけれど)、

 

自分自身だけ見てみれば、たった一度の人生を引きこもる事に費やしてしまう。

 

本当は情報収集や経済的に困窮しなければ、別に昔の人の生き方と同じだって良い訳です。

 

むしろネットをしないと文化的に遅れてしまう様な世の構造が可笑しいのであり、

 

そもそもネットは現代人生上の面倒な雑務処理をする為に使っているとも言え、

 

本当はその作業自体を無くせば良いのです。

 

実際、人体とネットとの融合は、かなり未来の話であり、その遅い進化プロセスの一環として

 

自分自身のたった一回の人生をネットに捧げないとならないのでしょうか。

 

ネットで何か新発見し感動しても、それは単なるゲームマニアやガジェットマニアの発見と同じく趣味レベルの物なのかもしれません。

 

ただそれで自分が幸せを感じるのであれば、それもそれで現代人の生き方だと思います。ニヤリ