ある二世家庭の思い | 統一原理の生活化

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(長文です)
 
去年の事件以後始まったマスコミの報道や、色んな二世たちの声を聞いて、最近ずっとモヤモヤしていました。
 
私たち二世は、み旨の犠牲者、摂理の犠牲者。この言葉を聞くたびに、私はとても疑問に思う本当にそうなのかなって、、

確かに二世として育ってきて、寂しかった時期、苦しかった時期がなかった訳ではない。

私は、生まれた時から両親が公職者でした。私が3歳の頃には母が宣教、父が牧会者40修へ行くため0歳の妹とは別々の家庭に預けられました。
 
0歳だった妹にその記憶はありませんが当時3歳だった私は、父に連れられて知らない家に来た日のこと、子供ながらに父とこれから離れるんだと悟り、父の手をギュッと握って離さなかったこと、目が覚めたら父がいなかった寂しさ恐怖全て覚えています。
 
小学校に上がると、鍵っ子になり、鍵を家に忘れてしまった日には、ドアの前に新聞紙を敷いて、その上に座って宿題をしながら親の帰りを待ちました。
 
父の人事があったため、その度に転校も経験しました。新しい環境に馴染むために必死で、他と違うこと、自分の家が宗教をしていることを知られるとハブられるんじゃないかという恐怖もあり、自分が二世であることや教会のことは言えず、教会行事で休む度につく嘘に、なんで嘘つかなきゃいけないんだろうと心が苦しいときもありました。

二世だったが故に経験した色んな寂しいことや苦しいことも確かにあったけれど、今自分が祝福を受けて家庭を持ち、子どもを育てながら、、
 
私は、過去を振り返っても、今を見ても、自分が犠牲者だとは一切感じない。

なぜなら、自分が親から本当に愛されてきたことも知っているから特に母親になった現在は、本当に自分が愛されてきたことをひしひしと実感する毎日。

両親は牧会者だったけれど、正直私は真面目に二世として生きてきたわけではない。中学高校大学と進むにつれ、何度両親を困らせ泣かせたか分からない。

教会では、真面目に過ごしていた私。だって、教会では常に教区長の娘というレッテルがついてくる。

でも、学校に行けば関係ないなんのレッテルもなく私としていれる。学校では良い子ぶることもなく自然な自分自由な自分でいられると。

中学高校大学と進むにつれて、家での私、教会での私、学校での私、全部無意識に使い分けてた。

高校に入ってからは、自分が二世であることに息苦しさを感じ、教会では学生会長とかやりながらも、家では反発することが増え、、

大学に入ると、自分が自由にできる範囲が広がって、もう二世をやめて一般で生きていこうと決意したことも何度もあった。

反発の強かった時期は家に帰るのも嫌になり、友達と夜遅くまで遊んで朝帰りすることもあった。
 
静かに玄関を開けると、母がバタバタと玄関まで走ってきて、こっぴどく叱られ、「いちいちうっさいな」とガン無視してリビングのソファで、そのまま寝たこともあった。
 
でも、その時覚えているのは、あんなにさっきまでガミガミしてた母が私が寝たとなると、部屋から布団を持ってきて、静かに私にかけてくれたこと。
 
私は寝たふりをし知らないふりをしていたが、その時母のかけてくれた布団の中で、こっそり泣いた。

父も私の反発を見ながら、度々2人で出かけようと誘ってくれた。私は父と2人でいたり、その会話を友人に見られたりするのが嫌で、私たち父子のお出かけは、いつも父の車の中、、
 
そこで、父が最近どう?とか何か辛いことがあるのかと聞き、どんな私も受け止め聞いてくれる父の優しさを感じてきた。

毎日、両親が訓読し、祈祷し、私のために一生懸命祈る背中を見ながらも、まだ二世として自分が生きることに素直に納得出来ない自分もいた。

私が本当に転換したのは、大学卒業してすぐの清平40修。(これも無理矢理行かされたに近い修練会)
 
あの時、母が日取りを決め、飛行機も予約し、前日になってもスーツケースを開けない私をみかねて、荷造りまでしていた。それでも私は行かないと言った。
 
その日の夜中、父が倒れて病院に運ばれたその病院で母に泣きながら40修に出てほしいと懇願された。
 
私が行かないと父が死ぬかもしれない、流石にそれは嫌だと思い、飛行機を3日後に取り直し40修に参加した。

その40修に出ていなければ、今の私はないし、最愛の旦那さんとも出会っていなかった。

最近は、2人の子どもを育てながら、4歳になった長女にガミガミ言ってしまうことが増え、自分の子育てを反省する毎日。

なんでこんなに、自分が親からガミガミ言われて嫌だったのに、自分も同じように子どもにガミガミ言ってしまうんだろうと考えてみると。

自分がガミガミ言ってしまうのは、長女を愛しているが故に、より良い姿を願ってしまうから、、

そう気づいた瞬間、親からガミガミ言われて、当時はウザいと思っていたこと全てが、親の愛だったと分かり、涙が止まらなかった。
 
全て親の愛だった、自分はどこを見渡しても愛されてきてしかいないと分かった。

最初の話に戻ります。二世は、犠牲者だとマスコミで大々的に報道される。

『一世は自ら信仰の道に来たが、私たちは、好きで二世に生まれた訳ではない』

確かに言いたいことは本当によく分かる。私もそう思ってた時期があったから。

でも、私が、自分はこの教会にいなくてもいいと反発できたのは、両親をはじめ、み旨を頑張ってやってくれている一世がいるからだった。

二世なんて辞めると好き放題言うことが出来たのも、私なんていなくても誰かがみ旨を進めてくれると思っていたから。
 
私たち二世には『反発』という名の逃げ場があった。

でも、一世にはそれが許されなかった。自分たちが辞めたら誰が真の父母とともに、天の願いを果たすのかと、どれだけ切実な気持ちでみ旨を歩んでいたか分からない。

天のみ旨を知ったが故に、親を泣かせてでも献身し、大学を諦め、就職を諦め、祝福を受け家庭を持っても、自分の子どもたちに買ってあげたいものも十分に買ってあげられずに、愛する子供達からは恨まれ、、

天のみ旨に出会っていなければ、良い大学を出て、良い仕事に就き、両親からも認められたまま、家庭を築いて裕福に子供達を育てることができ、子どもたちからも尊敬され、個人としての幸せを掴めていたかもしれないのに、、
 
その個人の幸せを投げ打ってでも、世界全体の幸せのために歩んできた一世たち。

本当のみ旨の犠牲者は、二世ではなく、一世たちではないでしょうか?
 
でも、確かに、一世たちがみ旨を頑張るが故に、置き去りになってきた二世たちがいる。

『あの時寂しかった、苦しかった、辛かった。それを親にただ分かって欲しかった、受け止めて欲しかった』

二世の心の傷が深いのも事実。

今回の事件を通して、その事実が家庭連合にとって、早急に解決しなければならない課題として上がり教会全体が今までの古い体制から新しい体制へと改革することを進めていっているけれど、、

教会の体制が変われば、二世の傷は解決するのだろうか?

親子間で生まれた心の傷は、親子間でしか解決できないと私は思う。

だから、教会の改革も大事だけれど、一世と二世が向き合う場、親と子が向き合う場をしっかり作って、本音で語り合う時間が一番重要なのではないでしょうか。

私は以前、親子セミナーに参加して、その際、親から子への手紙、子から親への手紙を読む時間があり、その時初めて自分の本音。
 
『何を言ってもどうせダメダメ言われるから、それなら最初から何も言わずに隠れてやればいいと思って、やってきた、だってどうせダメって言われるんだから』
 
と両親に伝えることができ、そこから少しずつ変わっていったように思います。

親子が心から向き合い、過去の色んなわだかまりが全て解け、一世と二世がお互いに理解し合い一つになった時、本当の意味で、私たち家庭連合は中から変わっていけると信じます。

最後に今の自分があるのは、最後までどんな私でも愛し離さなかった神様がおられるから。

今は過去を振り返っても、自分は、み旨の犠牲者ではなく、両親の愛の中、天から全てを祝福され生まれてきた祝福二世だと胸を張って言えます。

私は犠牲者じゃない。

こんな長文を夜中に打っている間、隣で大きなイビキをかきながら寝る旦那さんと、その反対で、「オンマー」と寝言を言いながら寝る息子。旦那さんの寝相の悪さに押しつぶされそうになりながらも、ぐっすり眠る娘、そんな一場面にも大きな幸せを感じる。