人間の責任分担は厳しい? | 統一原理の生活化

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私は特別な信仰を持っていた訳ではないが、中学生の頃から「何でも出来る神が戦争を無くせないのか?」と疑問を持っていた。祈りではないが、よく「イエスの神よ、アラーの神よ、孔子の天よ、答えよ!」と叫んでいた。

だから原理を聴き、人間の責任分担を知り、今までの悩みから救われた実感があり本当に喜んだ。

ところが、現実の信仰を持つようになって、この人間の責任分担、5%が重荷になり、苦しみとなった。

「5%を尽くせ!」と言われても、どこまてが5%なのかがわからない。条件で敬礼をするとしても、400拝なのか1000拝なのか分からない。これで良いと言うものがない。

そのため、教会の信仰は厳しくなる。祝福の条件に7日断食があるが、本来は40日断食が必要だ。

私は結果的に40日断食を形象的に通過した。18歳の時、日本救国の為に7日断食をし、その後、伝道勝利の為の無期限断食で12日断食。

そしてブラックフンジンの時に8日。そして成約断食で7日。最後、30歳の時、青年と共同での7日断食だったが、不信して1日サボリ6日になった。それを合計するとピッタリ40日になった。

その時その時の状況や不信もあったが、10年間の歩みの中で一つの神の計画があったと思う。自分なりの信仰や不信も全てわかった上で、神が働いたと思う。

そう思うと神の95%がいかに大きなものかがわかる。信仰生活の中で、良い事、悪い事、信仰や不信で悩んだりするが、神から見れば、それがどれだけ意味が薄いものかと思う。まさに釈迦の手の中の孫悟空と同じだ。

5%に悲痛な顔をするのではなく、95%に感謝し笑顔で歩む姿に神が喜ばれると思う。

因みに原理講論は5%となっているが、お父様は3%だと言われた。時には「1%なんだ!」と神の偉大さを強調された事もある。

どれが本当かと思い、同時性にある原理数と実際の出来事のプラスマイナスの平均を出すと、お父様が言われた3%になった。天の父母様の97%に感謝である。