堕落性は条件で脱げる? | 統一原理の生活化

統一原理の生活化

「テーマ別」に読んで下さい!

天一国時代になり、本然の人間にならないといけない。しかし水晶のような澄み切った心とは言えない現実がある。そのようになる為の一つの原理的な方法。少し長いが、以前に語った事を整理して記す。


〜〜〜


「信仰基台の条件は、失敗せず守る事は出来る。だけど、堕落性は気をつけても、すぐに出てしまう。努力しても乗り越えられない」と言う方へ。長いがじっくりお読み下さい。


信仰路程の概観


復帰原理の最初のページ「概観」は、頭によく入れておくべき所です。信仰路程の全体が示されていますから。


簡単に内容を見てみます。まず、堕落人間がメシヤを迎える為には「サタン分立路程」を歩みます。内容は「信仰基台」と「実体基台」を立てて「メシヤのための基台」を造る事です。

 

そこで自犯罪、遺伝的罪、連帯罪を清算していきます。この期間は「一人」で行く道です。そして復帰の道ですから「探して」行く道です。とくに「行義」と「信義」が強調されます。復帰原理が重要になります。


サタン分立路程の後、メシヤを迎え祝福を通して、原罪を清算します。それからの道は「二人(又は家族)」で行く道です。アダムも歩んだ事がない道なので、メシヤの跡を「辿る」道です。ですから「侍義」が強調されます。創造原理が重要になります。


復帰の道を通過して、長成期完成級までを「復帰した型を備えた基台」の上で、メシヤを迎えます。ここで見落としてならないのは「型」を備えるという事です。


本来なら三種の罪を完全に清算し、メシヤを迎えて原罪を清算するべきですが、一定の型を備えればいいのです。ですから信仰基台、実体基台の中身は「条件」となっています。


ところで、実体基台の「堕落性を脱ぐ為の蕩減条件」という言葉は、文章的に表現がおかしいのです。蕩減条件は「罪」の赦しの条件であり、堕落性は「性質」ですから、意味が違います。本当は「罪を清算する為の蕩減条件」と言う表現が、正しい文章です。


しかし間違いでは、ないのです。これは「一定の条件を立てる事で、堕落性を脱いだ、という立場に立てる」という事です。


実際は、訓読するなどの信仰基台を立てる事でも、堕落性は脱げます。アベル・カインの関係で、堕落性を脱いでいく事もあります。しかし「型」としては、実体基台で脱ぐ事になっています。


ですから、堕落性は一度の勝利で完全に脱げる訳ではありません。完全に血気や殺気などがなくならなくても、一度、それを乗り越えた事で「条件が成立する」という訳です。


例えばヤコブ路程で「エサウと一体化」した条件が立ち、メシヤを迎える基台が成立しました。しかしその後、二人は一緒に過ごしていません。


お父様は「ヤコブ家庭とエサウ家庭が一つになってエジプトに行くべきだった」と語られています。そのように完全な一体化ではありませんでした。



堕落性と条件


では堕落性は実際に、条件で脱げるでしょうか?


一例で説明します。文句を言う夫に対して、妻が血気怒気で皿を投げたくなった時、心は怒っていても「はいお茶よ、呑んでください」と言って渡します。


そうすると、それが「蕩減条件」となり、怒気の情が消えるのです。体験すると実感します。昔、ある女性にこの話をしたら、10年後に「あの時の意味がわかりました」と言って来られました。


ですから無理に堕落性を脱ごうとせず、行動を変える事を繰り返すと、堕落性が消えていくのです。


感謝できない時に、感謝の形、行動をとると感謝の心が自然に湧いてくるのです。ポイントは、堕落性が出ても「抑えるだけ」ではなく「あえて言葉や行動」をする事です。


心は怒っていても、段階として①頭の中で感謝と念ずる②言葉で感謝と言う③行動で笑顔やハグをする…の段階があります。最初から③の行動が出来れば一番良いのです。


怒りの情を抑えようとしても①も出来ずに「このバカ男!」と言いそうな時は、すぐにその場から逃げるしかありません。


しかし、これは一時退避であって「消極的条件」にしかなりませんので、その場で克服する努力が大事です。またその場で我慢して「抑えるだけ」ではなく、①②③のような「積極的条件」が大事です。


この情は血気怒気だけでなく、愛の減少感のような嫉妬心や不平不満、傲慢、浮気心などの、他の堕落性でも同じです。例えば嫉妬の状況の時は、相手に「○○さんは偉い」「○○さんは素晴らしい」「おめでとう」などのアベル的な思いを、実践する事です。


その時の動機は「神を愛する」と言う心で、結果的に「自分の心を否定する」事が、蕩減になるのです。


そのように形(条件)を立てると、心(堕落性)が変わるのです。情はすぐに変わりませんが、行動や言葉はできます。先に形を作り心を変えると言う、形状の性相化の方法です。


これを日々の生活の中で考えてみます。文句を言う夫の状態を見た時、その「場面」は偶然ではありません。一つ一つの出来事には、意味があります。私が超えないといけない、過去の蕩減の為に与えられた神の導きだと考えるのです。


私たちに起こる事は自分、家系、国家などの蕩減です。ご父母様は世界に起こる事は、直後無関係でも「私の責任だ」と考えられます。


ですから、人間的に見れば嫌な事ですが、神の愛の導きですから、感謝するのです。嫌な事が沢山起きるほど、復帰の「チャンス」が沢山あるのですから、嬉しい事なのです。


「条件」ですから、心は怒気の情でも、頭で感謝と思うのです。最初に、怒気の思いが出てもいいのです。その後、すぐに「感謝です」と自分に言い聞かせると、いいのです。お父様でも、すぐに感謝出来ない時もあります。


お父様は魚釣りの時、あまりにも臭い魚に、悪い思いを持たれたのですが「自分は蕩減しないといけない」と思い直したら、魚の臭みが愛に変わったと言われました。


突然、その現場になると、すぐにアベル的な言葉が言えない事もあります。その為に常に「感謝、感謝」とクセのように、言い続ける事も一つの方法です。


どんな種類の堕落性が起きた時でも、単純に「感謝」と言うだけでも、言わないより良いでしょう。色々な宗教の教えがありますが、どの宗教も基本は「感謝する」と教えているのは、その為です。


そのポイントがわからないから、何度も堕落性を繰り返し「努力しても、なかなか堕落性が消えて行ない」と、落ち込んでしまうのです。


私達の本当の悩みは、伝道できない事ではなく、伝道出来ても、無くならない自分の堕落性で苦しむ事です。 そして絶対善霊が協助しても、人格完成を遠く感じる事なのです。


 「水晶のような澄み切った心を持ちましょう」と言われても、素直に返事ができない時もあります。是非この内容を、実践してみて下さい。