メシアは完全? | 統一原理の生活化

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以前、教会関係と経済関係の責任者の間で、お父様に対する捉え方の違いが面白かった。教会関係者は「お父様は何でも見抜かれる。全てご存じである」と言う形で、お父様の証をしていた。

経済関係者は「お父様は、摂理で何度も失敗された。困難さに苦しんでおられ、どうする事もできず、私たちに頼るしかない」と現状の厳しさを訴えられた。立場で観点の違いを感じた。

ではメシアは全知全能の神以上の存在なのか?み言では、そい言う表現もあるが。それとも、普通の人間と同じ人間なのか?

結論から言うと、メシアは全知全能の神と同じではない。み言も違う事がある。人類の始まりについても、ある時は何十万年とか、何百万年とか、色々違う。専門家の研究使命だと言われる事もある。

では神とメシアの一致点は?愛においては神と一致する方である。お父様を完全な者と捉えると、不信も起こり離れてしまう。それはお母様に対しても言える。お母様が語る言葉ではなく、実体の愛の基準が重要なのだ。

お父様はイエス様に対して「奇跡を起こし過ぎた、、み言で導くべき、、」「私は道であり真理であり命であるに、愛であると加えないと、、」などと語られている。

ところで、イエス様の言葉には、イエス様の心の一端を垣間見る事ができる。「私は愛である」と言われなかったのは、実体の愛を受けなかったから、、

お父様は何を通して神の愛を知ったのか?それは母の愛を通してである。イエス様は母の愛を受ける事ができなかった。あの言葉には、そういう背景があるのだと思う。

メシアは完全か?一人では完全ではない。夫婦を合わせて完全となる。だから、お父様とお母様は捉え方、考え方、み言も違っていい。

それが分かればつまずく事もない。私たちが完成した人間を目指す時、完全と完成の違いを頭に入れておくといい。