茶だんすの上の缶からせんべいをとった
誰もいないので一つ口に入れた
後ろを振り向くとふと目にとまった
それは死んだおじいちゃんの写真だ
私をじっとみているので
茶だんすからはなれて柱の陰からおじいちゃんの写真を見た
おじいちゃんはまた私をみている
私は恥ずかしくなって元のところへせんべいをかえした
(小学生の詩より)
茶だんすの上の缶からせんべいをとった
誰もいないので一つ口に入れた
後ろを振り向くとふと目にとまった
それは死んだおじいちゃんの写真だ
私をじっとみているので
茶だんすからはなれて柱の陰からおじいちゃんの写真を見た
おじいちゃんはまた私をみている
私は恥ずかしくなって元のところへせんべいをかえした
(小学生の詩より)
『さ、ひっくり返そう』
大逆転は、起こりうる。
わたしは、その言葉を信じない。
どうせ奇跡なんて起こらない 。
それでも人々は無責任に言うだろう。
小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。
誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。
今こそ自分を貫くときだ。
しかし、そんな考え方は馬鹿げている。
勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。
わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。
土俵際、もはや絶体絶命。
「ここまで読んでくださったあなたへ。
文章を下から上へ、一行ずつ読んでみてください。逆転劇が始まります。」
(西武・そごうの広告より)
考え方や物事の見方で、上から読んでいくタイプの人と、
下から読んでいくタイプの人に分かれるかと思います。
さて、あなたはどっち?(*^▽^*)
日本人は協調性を大切にする民族だし、協調性を重んじる社会だよね。
それはそれでいいと思うんだ。
ただ協調性を大事にするばかりで、まわりの目ばかり気にしていたら、
息苦しくなってしまう。
だからといって「みんな」という輪から抜け出すのには、とても勇気がいるよね。
だってその輪から一歩出ようとすれば、すぐに批判の声が聞こえてくるから。
でもそれらを吹っ切ってしまえれば、抜け出してしまえれば、
「あいつはすごい奴だ。」とか「あいつはそういう奴だから。」
とまわりから評価を受けたり、受け容れられたりするんだよね。
でもやっぱり抜け出るまでがつらい。
「あいつは変だ。」とか「あの人ちょっとおかしいよね。」と
誹謗中傷の的になるからね。
それでも抜け出てしまえば、見える景色が変わってくる。
それは抜け出た者にしかわからない世界。
悲観の声は聞こえることもあるけれど、
それはずっと遠くの方で何か言っているくらいにしか感じない。
曇天の下生きていくのもいいし、
厚い雲を突き抜けて雲海を見下ろしてみるのもいい。
でもどっちも体験してみるのがいいのかな。
晩御飯を食べて、皿洗いをしていた時のこと。
深めの皿の底に何か貝のようなものがあったので、
取ろうとしたら、皿から離れない抵抗を少しみせた後取れた。
取れた瞬間、「うわぁ!」と低い声が漏れ出た。
かたつむりである。
たぶん虫好きな甥っ子2号が持ってきたのであろう。
器にかたつむりが入っていると気づかずに、
誰かが流しに持ってきたのであろう。
お湯を使ってなくてよかった、よかった。