こんばんわ、蒼です。
彼岸花。
別名曼珠沙華(マンジュシャカ)、リコリスとも言いますね。
お彼岸の時期に咲くこの花は、
人から忌み嫌われることが多いみたいです。
彼岸は彼(か)の岸。
つまりあの世、死の世界ということです。
しかも墓地の近くでよく花を咲かせています。
そして血を連想させる真っ赤な花。
通常の花とは違い、独特な形。
地上から茎だけがすーっと伸び、葉っぱもない。
球根には毒性があり、死に至ることもあります。
ここまで読まれるといかにも不吉な印象ですよね。
でもね本当はいい花なのかもしれませんよ。
墓地や畑の近くで彼岸花をよく見かけます。
それは毒性のある球根をモグラやネズミが嫌うからです。
モグラやネズミは土の中のものを食い散らかします。
昔、死者は土の中に埋められていました。
土葬です。
彼岸花は死者が安心して眠れるよう、
また畑の作物を荒らされないよう
ずっと守っていたんです。
曼珠沙華(マンジュシャカ)とは、『天上の花』という意味。
素敵な花に見えてきませんか?(*^_^*)
こんばんわ、蒼です。
いろいろと言ってくる人がいる。
あーした方がいいとか、こーした方がいいとか、
そんなんじゃ駄目だとか・・・
そう言ってくる人は実情を知らない人が多い。
そして責任をとる必要のない人に限っていろいろ言ってくる。
例えば首相はいい例だ。
政治をよく知らない人に限って「あの首相は駄目だ。」とか言う。
自分が首相になって国を動かす責任がないから言えるのだろう。
実情を知っていれば、責任があれば、
おいそれといろいろと言うことはできない。
言ってる人にとっては、きっとその人のためを思って
言ってくれているのだと思う。
だから反論はしない。
言いたい人には言わせておけばいいのだ。
いろいろと言ってくる人がいる。
あーした方がいいとか、こーした方がいいとか、
そんなんじゃ駄目だとか・・・
そう言ってくる人は実情を知らない人が多い。
そして責任をとる必要のない人に限っていろいろ言ってくる。
例えば首相はいい例だ。
政治をよく知らない人に限って「あの首相は駄目だ。」とか言う。
自分が首相になって国を動かす責任がないから言えるのだろう。
実情を知っていれば、責任があれば、
おいそれといろいろと言うことはできない。
言ってる人にとっては、きっとその人のためを思って
言ってくれているのだと思う。
だから反論はしない。
言いたい人には言わせておけばいいのだ。
「あなたにとって奥さんとはどのような存在ですか?」
「空気ような存在かなぁ。」
よく耳にするような質問と答えです。
こう答える男性にとって『空気のような存在』とは
決して悪い意味で使っているのではないのでしょう。
あって当然のもの。
なくてはならないもの。
空気のように意識しなくてもいいもの。=気兼ねしなくていいもの。
だと僕は解釈しています。
空気を引き合いに出す気持ちはわかるのです。
僕自身はこの考え方に賛同するかというと、あまり賛同はしかねます。
そこからは大切だとか感謝の気持ちのニュアンスが
あまり伝わってこないからです。
大切なものだったら、「お金」もそうなんです。
しかもなくてはならないもの。
しかし「お金」は意識はします。
ここから見えてくるもの。
それは気を使わなくていいというニュアンスが
含まれているのではないかということです。
身内に気を使ってどうするという意見ももちろんあります。
ただ「大切な人・大事な人」という観点から見てみたいと思います。
「大切な人・大事な人」といる場合、どういう行動をとるでしょうか?
人ではなく「お客さん」に置き換えるともっとわかりやすいでしょう。
大切なお客さんには、気を使いますね?
粗相のないように、気分を害されないように、
楽しんでくれるように、喜んでくれるように・・・
気を使って、言葉を使い、行動する。
翻って奥さんは大切な人でしょうか?
僕にとっては大切な人なので、気を使っていきたいです。
大切にしようと思っていても、常にできるとは限りません。
常に気を使い続けることもできません。
いつも大切に思い、感謝できるようになるには
相当の時間と修練が必要でしょう。
20年かかるか、30年かかるか・・・
そういう長い時間をかけ努力した結果、
自然と相手を大切にしているということが
真の「空気のような」存在なのかもしれません。
「空気ような存在かなぁ。」
よく耳にするような質問と答えです。
こう答える男性にとって『空気のような存在』とは
決して悪い意味で使っているのではないのでしょう。
あって当然のもの。
なくてはならないもの。
空気のように意識しなくてもいいもの。=気兼ねしなくていいもの。
だと僕は解釈しています。
空気を引き合いに出す気持ちはわかるのです。
僕自身はこの考え方に賛同するかというと、あまり賛同はしかねます。
そこからは大切だとか感謝の気持ちのニュアンスが
あまり伝わってこないからです。
大切なものだったら、「お金」もそうなんです。
しかもなくてはならないもの。
しかし「お金」は意識はします。
ここから見えてくるもの。
それは気を使わなくていいというニュアンスが
含まれているのではないかということです。
身内に気を使ってどうするという意見ももちろんあります。
ただ「大切な人・大事な人」という観点から見てみたいと思います。
「大切な人・大事な人」といる場合、どういう行動をとるでしょうか?
人ではなく「お客さん」に置き換えるともっとわかりやすいでしょう。
大切なお客さんには、気を使いますね?
粗相のないように、気分を害されないように、
楽しんでくれるように、喜んでくれるように・・・
気を使って、言葉を使い、行動する。
翻って奥さんは大切な人でしょうか?
僕にとっては大切な人なので、気を使っていきたいです。
大切にしようと思っていても、常にできるとは限りません。
常に気を使い続けることもできません。
いつも大切に思い、感謝できるようになるには
相当の時間と修練が必要でしょう。
20年かかるか、30年かかるか・・・
そういう長い時間をかけ努力した結果、
自然と相手を大切にしているということが
真の「空気のような」存在なのかもしれません。
おはようございます、蒼です。
天高く馬肥ゆる秋真っ盛りという感じですね♪
清々しいような甘いようなそれでいて懐かしいような香りが
外へ行く時漂ってきます。
金木犀です(*^_^*)
この金木犀の匂いがしだすと、
唐津では唐津くんちが始まることを意味します。
11月2,3,4日に行われるお祭りですが、
10月に入ると秋の夜長に
そこかしこから祭りの調べが聞こえてきます♪
それにしてもこの金木犀の香りが漂い出すのが
今年は少し早かったような気がします。
去年より涼しくなるのが早かったのかな?
僕はこの金木犀の香りは好きなんですが、
同時にメランコリックと言いましょうか、
なんか物悲しいような、寂しいような、物憂いような
気分になります。
秋の昼間は穏やかで平和そのものです。
それが朝夕は肌寒い。
夏のギラギラした活動的な季節から一変し、
2面性のある不安定な気候が
心にも影響を与えるのかもしれません。
天高く馬肥ゆる秋真っ盛りという感じですね♪
清々しいような甘いようなそれでいて懐かしいような香りが
外へ行く時漂ってきます。
金木犀です(*^_^*)
この金木犀の匂いがしだすと、
唐津では唐津くんちが始まることを意味します。
11月2,3,4日に行われるお祭りですが、
10月に入ると秋の夜長に
そこかしこから祭りの調べが聞こえてきます♪
それにしてもこの金木犀の香りが漂い出すのが
今年は少し早かったような気がします。
去年より涼しくなるのが早かったのかな?
僕はこの金木犀の香りは好きなんですが、
同時にメランコリックと言いましょうか、
なんか物悲しいような、寂しいような、物憂いような
気分になります。
秋の昼間は穏やかで平和そのものです。
それが朝夕は肌寒い。
夏のギラギラした活動的な季節から一変し、
2面性のある不安定な気候が
心にも影響を与えるのかもしれません。
『障害者』
一般的には目の見えない方や耳が聞こえない方などの身体的障害者、
人より知的機能の発達が遅れている方を指す知的障害者、
精神の異常がある方を指す精神障害者
を『障害者』と言う。
障害を辞書で調べると、
1.さまたげとなるものや状況
2.個人的な原因や社会的な環境により、
心や身体上の機能が十分に働かず活動に制限があること
とある。
私個人の意見では障害とは短所だと思っている。
つまり短所は誰にだってある。
私にだってある。
短所は一つの個性だ。
そして短所とは一つの「限定された」側面からの見方だ。
別の側面から見ればそれは裏返って長所となる。
目が見えないというのは一つの側面から見ると短所だ。
しかし目が見えない人は別の部分が人より発達することが多い。
辻井伸行さんがいい例だ。
目は見えない。
しかし耳がものすごくいい。
その才能を活かした結果、
世界的に認められるピアニストになられた。
彼は目の見えないことを悲観的にはとらえず、
プラスの側面に焦点を当て努力されてこられたんだと思う。
私はブサイクだ。
一つの側面から見ると明らかに短所だ。
お角違いだが、若い頃は親を恨んだことさえある。
「顔がキモい」と今でも言われる。
しかし見方を変えれば、一回会うだけで顔を覚えてもらえる。
社会へ出るとものすごい長所だ。
短所という側面にばかりこだわると、
気持ちが落ち込むし、卑屈になる。
「どうせ自分なんか・・・」
そう思っている人は『障害者』だろうが『健常者』だろうが、
『心や身体上の機能が十分に働かず活動の制限』
を自分でかけることとなる。
となると『障害者』と『健常者』の垣根は消えてしまう。
私は養護学校と関わる仕事をさせて頂いたことがある。
直接生徒と関わることは少なかったが、
生徒達は明るく優しい人が多い。
農業実習を見ていると、先生が怒っている。
「お前は何回おんなじことを言わせるんだ!
それはやっちゃだめだって言っただろう!」
どこかで聞いたことがある。
会社の中だ。
会社の中でまるっきりおんなじことが繰り返されている。
そのことに気付いた時とても可笑しくなった。
どっちが養護学校だろうと…
人に言えないような短所だって見方を変えれば長所となる。
私は心が弱い。
でも弱いからこそ、人の痛みがわかる方だと思う。
自分の弱さを一旦認めてしまえば、
別の側面が見えてくるような気がする。
「どうせ自分なんか・・・」と思うより、あっさりと受け容れて
明るい方向を向いてともに歩いていきたいと願う。
一般的には目の見えない方や耳が聞こえない方などの身体的障害者、
人より知的機能の発達が遅れている方を指す知的障害者、
精神の異常がある方を指す精神障害者
を『障害者』と言う。
障害を辞書で調べると、
1.さまたげとなるものや状況
2.個人的な原因や社会的な環境により、
心や身体上の機能が十分に働かず活動に制限があること
とある。
私個人の意見では障害とは短所だと思っている。
つまり短所は誰にだってある。
私にだってある。
短所は一つの個性だ。
そして短所とは一つの「限定された」側面からの見方だ。
別の側面から見ればそれは裏返って長所となる。
目が見えないというのは一つの側面から見ると短所だ。
しかし目が見えない人は別の部分が人より発達することが多い。
辻井伸行さんがいい例だ。
目は見えない。
しかし耳がものすごくいい。
その才能を活かした結果、
世界的に認められるピアニストになられた。
彼は目の見えないことを悲観的にはとらえず、
プラスの側面に焦点を当て努力されてこられたんだと思う。
私はブサイクだ。
一つの側面から見ると明らかに短所だ。
お角違いだが、若い頃は親を恨んだことさえある。
「顔がキモい」と今でも言われる。
しかし見方を変えれば、一回会うだけで顔を覚えてもらえる。
社会へ出るとものすごい長所だ。
短所という側面にばかりこだわると、
気持ちが落ち込むし、卑屈になる。
「どうせ自分なんか・・・」
そう思っている人は『障害者』だろうが『健常者』だろうが、
『心や身体上の機能が十分に働かず活動の制限』
を自分でかけることとなる。
となると『障害者』と『健常者』の垣根は消えてしまう。
私は養護学校と関わる仕事をさせて頂いたことがある。
直接生徒と関わることは少なかったが、
生徒達は明るく優しい人が多い。
農業実習を見ていると、先生が怒っている。
「お前は何回おんなじことを言わせるんだ!
それはやっちゃだめだって言っただろう!」
どこかで聞いたことがある。
会社の中だ。
会社の中でまるっきりおんなじことが繰り返されている。
そのことに気付いた時とても可笑しくなった。
どっちが養護学校だろうと…
人に言えないような短所だって見方を変えれば長所となる。
私は心が弱い。
でも弱いからこそ、人の痛みがわかる方だと思う。
自分の弱さを一旦認めてしまえば、
別の側面が見えてくるような気がする。
「どうせ自分なんか・・・」と思うより、あっさりと受け容れて
明るい方向を向いてともに歩いていきたいと願う。




