『障害者』
一般的には目の見えない方や耳が聞こえない方などの身体的障害者、
人より知的機能の発達が遅れている方を指す知的障害者、
精神の異常がある方を指す精神障害者
を『障害者』と言う。
障害を辞書で調べると、
1.さまたげとなるものや状況
2.個人的な原因や社会的な環境により、
心や身体上の機能が十分に働かず活動に制限があること
とある。
私個人の意見では障害とは短所だと思っている。
つまり短所は誰にだってある。
私にだってある。
短所は一つの個性だ。
そして短所とは一つの「限定された」側面からの見方だ。
別の側面から見ればそれは裏返って長所となる。
目が見えないというのは一つの側面から見ると短所だ。
しかし目が見えない人は別の部分が人より発達することが多い。
辻井伸行さんがいい例だ。
目は見えない。
しかし耳がものすごくいい。
その才能を活かした結果、
世界的に認められるピアニストになられた。
彼は目の見えないことを悲観的にはとらえず、
プラスの側面に焦点を当て努力されてこられたんだと思う。
私はブサイクだ。
一つの側面から見ると明らかに短所だ。
お角違いだが、若い頃は親を恨んだことさえある。
「顔がキモい」と今でも言われる。
しかし見方を変えれば、一回会うだけで顔を覚えてもらえる。
社会へ出るとものすごい長所だ。
短所という側面にばかりこだわると、
気持ちが落ち込むし、卑屈になる。
「どうせ自分なんか・・・」
そう思っている人は『障害者』だろうが『健常者』だろうが、
『心や身体上の機能が十分に働かず活動の制限』
を自分でかけることとなる。
となると『障害者』と『健常者』の垣根は消えてしまう。
私は養護学校と関わる仕事をさせて頂いたことがある。
直接生徒と関わることは少なかったが、
生徒達は明るく優しい人が多い。
農業実習を見ていると、先生が怒っている。
「お前は何回おんなじことを言わせるんだ!
それはやっちゃだめだって言っただろう!」
どこかで聞いたことがある。
会社の中だ。
会社の中でまるっきりおんなじことが繰り返されている。
そのことに気付いた時とても可笑しくなった。
どっちが養護学校だろうと…
人に言えないような短所だって見方を変えれば長所となる。
私は心が弱い。
でも弱いからこそ、人の痛みがわかる方だと思う。
自分の弱さを一旦認めてしまえば、
別の側面が見えてくるような気がする。
「どうせ自分なんか・・・」と思うより、あっさりと受け容れて
明るい方向を向いてともに歩いていきたいと願う。
