『こころとからだと人と自然と。』 -187ページ目

『こころとからだと人と自然と。』

人生5回も死ぬ目に遭えば、否が応でも強く、しなやかになる。
人生を楽しみながら歩く錦ちゃんのブログ。

こんにちわ、蒼です。

今年から青年会議所という団体に入った。

この団体は大まかに言うと、ボランティアに近い団体だ。

地域の清掃活動をしたり、

子供たちのためになるようなことを行っている。

それらの行動を起こす前に

何回も議論が交わされたりする。

「これはこうした方がいいんじゃないか?」とか

「あれはするべきではないのではないか?」とかだ。

そうしていく中で、ひとつの形が形成されていき、

行動に移される。



最近気付いたことがある。

会議や議論で元気な人は、実際の行動に移された時

あまり目立たなくなる。

また会議であまり目立たなかった人が、

行動時に現場を仕切っていたり、元気だったりする。

人にはやっぱり得意不得意があるんだと気付く。

体を動かすことが不得意な人が、

たまに不得意なことをすると、

たいていは失敗し、皆から笑われたりする。

そして恥ずかしいからやらなくなる。

やらないから不得意なままだ。

でもやらないから、下手だと笑われることもない。

こうして得意なものの時は元気になり目立ち、

不得意なものの時は目立たなくなる。



さて僕はどっちか。

僕は考えることが好きだし得意な方だ。

そして体を動かすのは好きだけど上手くはない。

どちらかというと不得意な方だ。

しかしだからといってじっと見ていることはない。

下手だがチャレンジする。

得意な人からすると、

見ているとやきもきするだろうし、

すっと替わって要領良く軽快にこなしてしまう。

それを見るとちょっと落ち込む。

しかしやらないことには永遠に上手くはならない。

不得意でも諦めず続けていると、

初めての時よりはちょっと上手くなる。



ある学者が言っていたのを思い出す。

「人はたいていのことはできるんです。

 できないと思っているのは、

 やってないだけなんです。

 人はやればやるほど、神経回路は強化され

 活発になり、やがて苦も無くできるようになる。

 しかしやらないとどんどん退化し、

 今までできていたものもできなくなります。」

いろんな考え方があるが、

僕はチャレンジし成長する方が好きだ。
こんにちわ、蒼です。

先日福岡県広川町の「和華」さんへお邪魔しました♪

日本料理のお店なんですが、

お昼のコース料理も1,600円からととってもリーズナブル♪

店内も和のテイストでかつ、お洒落な感じです。

お席のほとんどが個室のような作りになっていて、

とても落ち着ける空間でした(o^-')b

年を重ねたせいでしょうか、

最近和食がすごく口に合います( ´艸`)

あまり食欲はなかったのですが・・・

こんな素敵な前菜を見てしまうと

未熟者でいいじゃないか


ついつい箸が動いてしまいます(⌒¬⌒*)

10品くらい出たと思うのですが、

カメラの存在を忘れておりました≧(´▽`)≦

余談ですが、トイレの綺麗なところって印象いいですよね♪

百合の花が素敵です(*^▽^*)

未熟者でいいじゃないか
こんばんわ、蒼です。

今日いつも通っている国道が渋滞してた。

今までその場所で渋滞することはなかったので、

事故かなにかが起こったのだろうと思い脇道へそれた。

初めて入る脇道だった。

直進していくと、道が狭くなった。

右側に民家があり、道が続いている正面は田んぼだった。

なので道は右側へ折れていた。

民家があり、その先がわからなかったが右へ曲がった瞬間、

『しまった…』と思った時には遅かった。

この道は完全に農作業用の道路だった。

道路の幅が乗用車の幅くらいしかないのだ。

路肩の先は両サイド田んぼ。

その道が今度は左へ折れる。

左へハンドルを切ると、どこかの車輪が

脱輪しかかっているのを感じた。

これはやばい。。。

一旦止まった。

落ち着け。落ち着け。

自分に言い聞かせた。

それをよそに後ろからなんと後続車が来た。

曲がるしかない・・・

脱輪しかけつつもなんとか曲がることが出来た。

田んぼの中を真っすぐに伸びる農道は

少し気を抜けばすぐ脱輪してしまうだろう。

この先どうなるか・・・

怖くてどきどきする。

しばらく行くと、左へ折れる道が現れた。

このまま真っすぐ行くか、左へ行くか・・・

意を決して左へ曲がることを決めた。

決めたはいいが、誤れば即田んぼへ脱輪だ。

細かく方向転換をしながら、少しずつ左へ曲がる。

その時、今まで来た道をふと振り返った。

後続車のそのまた後ろに後続車がいて、

僕がちょうど脱輪しかけた左折の場所で、

車がまさに止まっていた。

僕にはその車が傾いているように見えた。

脱輪しているように見えたが、

他を気づかう余裕すらない。

気を緩めると自分こそ脱輪してしまうのだ。

なんとか左に曲がった先は道が広くなっていた。

無事生還することが出来た。

ふ~っと胸をなでおろした。

後ろの後ろの車は無事生還できたのだろうか…



こんにちわ、蒼です。

いつだったか、テレビの番組で

仏像が取り上げられていました。

それによると、仏像は結構奥が深いものだと知りました。

仏像って人に似てはいるんですが、

人ではあり得ない特長があるんです。

例えば、お釈迦様の手には縵網相という

水かき(かえるの手みたいなもの)がついています。

これは漏れなく人々を救えるようにという意味です。

またお釈迦様の爪は赤ちゃんみたいに

爪が反り返っていて、手もふっくらしています。

これは赤ちゃんのように無垢だという意味です。

こういった人々を優しく包み込んでくれるような

側面があるかと思えば、袈裟のディテイルで力強さも

表現されているんです。




仏教が入ってくる前は、神道か自然崇拝しか日本には

ありませんでした。

その時代はもののけや魑魅魍魎といった類が

幅を利かせていた時代です。

医療も発達していなく、飢饉や疫病も蔓延していた時代。

そんな中中国から渡ってきた仏教や仏像は人々にとって、

どれほど光輝く存在だったか…

その当時の人々はそれを見て、興奮し、かっこいいと思い、

自分に力を与えてくれるものだと信じたことでしょう。

亡くなられましたが、今でいうマイケル・ジャクソンくらいの

存在感、パワーがあったことでしょう。

そういう想いを馳せながら家の仏壇のお釈迦様を眺めていると、

なんかかっこよく見えてきてしまいます。

$未熟者でいいじゃないか
勉強と学習。


今ではほぼ同じ意味に使われていますよね。


でもよ~く漢字を見てみると、その違いが見えてきます。


『勉強』・・・勉(つと)めることを強(し)いる。


と書きます。


つまり、嫌々努力するってことなんですね。


『学習』・・・学び習う。


と書きます。


前者はどちらかというと消極的な姿勢で、


後者は積極的な姿勢のように思えます。


でもやってることは同じなんです。


どうせ同じなら僕は『学習』していきたいですね♪